なぜ仏教に?(4)

2017年12月20日

続きです。

40年近く昔、やさぐれて小生意気で理解力も足らない中学生の時に救いを求めて色々な宗教に触れてみて、その時に感じた事を素直に書いています。
現在の私は他宗教他宗派の批判や否定をするつもりはまったくございません御理解下さい。
御信仰なさっている方にとっては暴言に聞こえるかも知れません。大変申し訳ありませんが、大昔の事と言う事で御理解、御容赦下さい。



前回は神社に行って話をしてみようと試みた結果、忙しい神職の方に殆ど相手にされず、若く愚かだった私はそれだけでイラッとしてしまったお話しを書きました。^^;


やっと仏教が出てきます。(笑)
神社では殆ど神職の方に相手にされなかったので「ならば仏教だ!」と思ったわけです。
ですが、そもそも仏教がどういうものかもよく分かっていません。
家には仏壇はございましたが、御供養のために御供えと御線香をあげて手を合わせるというだけであって、実際どんな教えなのかもまったく知りません。
それどころか漠然としたイメージでは「ちょっと古臭いな」と感じていたのも事実です。
仏教の開祖が御釈迦様と言う事は知っていましたので、お寺の御本尊は全て御釈迦様の像だと思っていたくらいです。(笑)

例によって、まず基礎的な知識だけでも仕入れておこうと思いました。
ですが、経本そのものを読んでも理解できないしょうし、色々な御経のどれを読んだらいいのかも分かりません。
そして当時は今と違い、中学生でも分かる程に仏教を分かり易く説明した書籍はそれほど多くはありませんでしたので、なんとなくある程度までは理解出来そうな書籍を適当にいくつか読んでみました。
ところが書いてある内容が普通に違ったりするのです。
今なら著者がどの御経を題材にするのかによって違ってくるのだと言う事も分かりますけれど。

最も困るのが少しマニアックな内容が書いてあったりして「そもそも仏教って何なんだ」と言う事がよく分かりません。著者もそういったマニアックな点を強調して書いているのではないかと感じるほどです。
仏教というものが何なのかと言う事が分かっていないままで、宗派毎の違いやマニアックな儀式の事、宗派によって本尊も詠む御経も違うなどと言う事は分かったものの根本の教えが何なのかは分からないままです。

教えの基礎となるものが一体どれなのかが分からないのですから、正直に言えば聖書や古事記、日本書紀などよりも困りました。
仕方が無いので、よく分かっていないまま、普通に御坊様に聞いてやろうと思いました。
(行ったお寺の宗派などは伏せさせて頂きます)

最初に行ったお寺ですが、忙しいのかまったく相手にされませんでした。(笑)
もしかしたら子供など相手に出来ないと思ったのかも知れず、親御さんと一緒に来た方がいいと言われました。
帰り際にパンフレットみたいなものは何冊か頂きましたが、その宗派で定期的に出している刊行物だったようで私が知りたい事は載っていませんでした。

次に行ったお寺も同じで御住職以下忙しいらしく、代わりに御住職の奥様らしい年配の御婦人が親切に多少のお話し相手になって下さいましたが、あまり具体的な話はできないままでした。同様にパンフレットを頂きましたが、やはり肝心な部分は分かりませんでした。

やさぐれていて沸点も低めですので、この時点で既にイライラしました。(笑)
僧侶と言うのは、昔からもっと身近な存在で庶民の些細な相談事でも親身になって相手をするものなのではないかと不満でした。(昔は庶民の相談相手になっていたと言う事は読んだ)
色々と忙しいのかも知れないが庶民と交流をして教えを広めるのが僧侶の務めのはず、相手が中学生だから御布施も期待できないと思っているのであろう、所詮は金儲けなのかと思いました。

勿論、今では僧侶とは想像する以上に大変忙しいのだと言う事も分かっているのですが、当時の私って奴は。^^;

その次のお寺では、初めて副住職の方が親切に対応して下さったので少し感激しました。
ただ、(これも宗派は書きませんが)少し一神教に近い考え方をする宗派だったため、親切に話し相手になって頂いていながら申し訳ない限りなのですが、私にはやはり合わないと思いました。
あと、霊の存在はやんわりとでしたが否定されました。(笑)

やはり仏教も私には合わないかなと思いましたが、今まで行ったのとは違う宗派のお寺にも行ってみようと思いました。


数日後ですが、また別のお寺に行ってみました。
ここで少し運命的な出会いがあったのです。
御住職は出かけているとの事でしたが、応対して下さった御住職の奥様から
「御坊様とお話したいなら御住職のお兄さんが本堂にいるので行ってみてはどうか」
と言われたのです。

その言葉に従って本堂に行ってみると、御坊様が一人静かに本堂に座っておりました。
座禅を組んで瞑想しているように見えましたので、邪魔にならないように静かに本堂に入って、御坊様の後ろの方に座りました。


まだ続いてしまいます。長いですね、すみません。^^;


posted by 未熟な修行者 at 23:00 | Comment(7) | TrackBack(0) | 日記

まだお話の途中ですが

2017年12月16日

長々と訳の分からない記事を書いている途中でございますが、ちょっと別のお話を。^^;

以前にパワーストーンの腕輪念珠(要はブレスレットですね)が切れた事は無いと書いたと思います。
御返事のコメントに書いたのだったか記憶が定かではございませんが。(笑)
割と作り直す事が多いので、切れるところまでいかないのです。
ところが先日、とうとう異常な切れ方をしました。

ある客先から戻る際の電車の中です。
割と空いている時間帯だったせいか悠々と座ることが出来、まだ空席もあるくらいでした。
最近ではスマホとにらめっこしている方も多いですが、私は電車移動の際には本を読んでいる事が多いです。
その時も座って本を読んでおりました。

お年寄りや妊婦の方がいらっしゃったら席を譲るつもりですので、駅に着く度に顔を上げて乗車してきた人を見るのです。
とある駅で、顔を上げるとそこそこ多い人が乗車してきました。
人が乗車してきた瞬間に、突然グワーッと視界が狭くなり、物凄く嫌な気配を感じました。

<これはまずい、多分なにか変なのが一緒に乗ってきた>

ずっと視界が狭いままで嫌な気配はしています。
もう本を読むどころではありません。絶対に周りを見渡さない方がいいと思いました。
本を閉じて鞄にしまい、顔を伏せたままにしているのが精一杯でした。
悪いのが近づくと涙目になると以前に書いたと思いますが、何故か涙目にはなりませんでした。
どこか途中の駅でいなくなってくれないかなと思うのですが、一向に視界も戻りませんし、嫌な感覚も消えません。

ひたすら顔を伏せたままでいましたが、そうこうする内に私が下車する駅に着いてしまいました。
割と降りる人も多い駅ですので、顔は伏せたまま立ち上がると流れに身を任せて、変なものは何も見ることなく降りることが出来ました。

後はついてきていなければ問題無しです。
駅のホームを足早に歩いている内に、普通の感覚に戻りました。
それでも念の為、あちこちのお店に寄り道しながら、自宅に戻りました。
全然大丈夫です。ついてきてもいないようなので安心しました。

私は腕輪念珠は出かける時以外は仕事部屋の隅にある祭壇に置いておりますので、いつものように腕輪念珠を置こうと思って祭壇の前まで来た瞬間、いきなりパンッと弾けるように切れてしまったのです。
あんな目にあった後でしたので、かなりドキドキしました。^^;
切れてしまっただけで石自体には変わった様子はなかったのですが、ひょっとしたら守ってくれていたのかなと。

そういう事がありましたと言うお話しでした。^^;


posted by 未熟な修行者 at 00:11 | Comment(10) | TrackBack(0) | 日記

なぜ仏教に?(3)

2017年12月10日

続きです。

40年近く昔、やさぐれて小生意気で理解力も足らない中学生の時に救いを求めて色々な宗教に触れてみて、その時に感じた事を素直に書いています。
現在の私は他宗教他宗派の批判や否定をするつもりはまったくございません御理解下さい。
御信仰なさっている方にとっては暴言に聞こえるかも知れません。大変申し訳ありませんが、大昔の事と言う事で御理解、御容赦下さい。



聖書を読んだり教会に行ってみたりした結果、キリスト教(と言うより一神教の宗教)は私には合わないだろうなと感じたと言う記事を前回書きました。


それならば八百万の神様、つまり日本の神道が良いのではないかと。
まずは古事記や日本書紀を読んでみました。
ところがですね、本当に子供向けの童話に近いような記述のものか、完全に大人向けに書かれたもの、と言うどちらも極端なものしか見つけられませんでした。
子供向けの方は省略が多かったり、思い切ったデフォルメがされていると思われますので、なるべく正確に書いてある方(でも主要な部分以外はかなり短めに編集しているらしい)がいいだろうと言う事で大人向けの方を読んでみました。
年齢不相応な記述の物を読んでしまったためだと思いますが、中学生の私には今一つ理解できないところが多くありました。(聖書の方が分かり易かったです)

半年近くかけて年齢不相応な方を必死に読みました。
今なら多少分からない所があってもインターネットで調べればいくらでも情報が出てきたりしますが、当時は調べて分からなければ他の書籍で調べることくらいしか方法が無くて、いちいち時間がかかってしまったのでした。それでも分からない点も多く残ったままでした。
考えてみれば、神代から始まって、ある時期の天皇までの長い歴史が記述されているわけで、それを中学生が完全に理解できる筈などありません。

なので、試しに子供向けの方も読んでみたのですが予想した通りで分かり易いのは確かでしたが、理解出来なかった部分が多い所は丸ごと書かれていなかったり、かなり端折って書かれたりしていました。^^;

他の書籍も調べていたためか、余計な情報も色々と入ってくるわけです。
古事記も日本書紀も西暦700年過ぎに完成したものであり、その編纂は天皇が命じております。
つまり、当時の政治のトップにとって都合がいいように書いてある筈です。すべてが根も葉も無い虚構とまでは言いませんが、日本と言う国と天皇と言う存在の正当性を示すために虚飾も多い筈で、疑問点も当然のようにいくらでも出てくる訳です。その辺りは調べようもなく分からない事だらけです。

いくつか神社にも行ってみました。
神職の方に話を聞ければと思いましたが、基本的にはその神社の歴史、どんな御祭神かについて非常に簡潔なことは教えて頂けましたが、それ以上の説明はありませんでした。
簡潔な内容であっても短時間でもお話ししてくれた神職の方がいるのは随分とマシな方で、たいていは神職の方にも会えずに境内に立っている由緒書きの碑を見るように言われたり、パンフレットを渡されて終わりと言うのが普通です。
当たり前ですが、たかが中学生ですから大きな寄進があるわけでも無いですし、神職の方だってお忙しいわけで、長々とお話しに付き合ってくれるわけが無いのですが。
当然の事なのですが、具体的な相談などは事前の連絡をしてから親御さんと一緒に来て欲しい、と言われてしまいます。どう考えても極々当たり前の事なのですけれどね。^^;

でも、そんな事すら分からない、若くて小生意気な中学生はそれだけでもイラッとしました。(笑)
そんな対応をされればされるほど、たとえ相手が中学生だろうと救いを求めてやってきているのに、と神道自体に不信感が募っていくだけで、これは信仰するに値しないと思ったりしました。


もちろん、今は神社も大好きですよ。
特に信仰していると言う訳でもないのに助けてくれる神様がおられる神社もありますし。


まだ仏教が出てきていませんが、漸く次に出てきます。
しかし、失礼極まりない私は仏教にも反感を持つのでした。(笑)

続きます。


posted by 未熟な修行者 at 23:17 | Comment(8) | TrackBack(0) | 日記