穴守稲荷神社

2017年02月24日

続けざまですが、私の好きな神社を御紹介させて頂きます。

東京都大田区羽田にあります穴守稲荷神社です。
江戸時代後期に勧請されたと言う事ですので、歴史的にはそれほど古くはありません。
御祭神は名前の通り、稲荷大神である「豊受姫命(とようけひめのみこと)」です。
稲荷神社としてはかなり大きな神社です。

敗戦後に米軍による羽田空港拡張に伴って現在の地に遷座しました。
門前に合った赤鳥居の撤去を行なおうとしたところ、事故が起きたり工事関係者が病気になったりで撤去できないまま残されていたと言う事で有名になりましたので、そちらの話で御存知の方もいるかも知れません。
ですが、この赤鳥居も平成11年に羽田空港拡張に伴って撤去ではなく移設されており、そういった曰くのあった場所からは移されております。(その時は事故はありませんでした)

拝殿もいい感じなのですが、拝殿右横にある沢山の鳥居をくぐっていきますと奥の宮と築山があります。そちらには様々な御利益のある御稲荷様の祠がいくつか祀られており、その時によって違いますが神聖な空気を感じる事があります。

奥の宮では御神砂を頂く事が出来ます。
家内安全や商売繁盛などの様々な御利益があると言われ、頂きに来る方も多くいらっしゃいます。
奥の宮と境内整備の工事が平成30年に完了予定となっており、御神砂を頂けるのは別の場所になっているかも知れません。
実は暫く行けてないので状況が分かりません。^^;

とても良い神社ですので宜しかったら御参拝されてみて下さい。

posted by 未熟な修行者 at 01:11 | Comment(10) | TrackBack(0) | 日記

小網神社

2017年02月16日

東京都中央区日本橋小網町にある大好きな神社です。
境内は凄く狭くて、鳥居から御賽銭箱まで5メートル程しかありません。
ビルに囲まれており、ちょっと離れた所から見ただけでは見逃す方もいるようです。

御祭神は倉稲魂命(うがのみたまのかみ、いわゆる稲荷大神)、市杵島姫命(いちきしまひめのかみ、いわゆる弁財天)、福禄寿(ふくろくじゅ)の三柱です。

かなり由緒のある神社です。現社殿は再建されたり修復されたりしておりますが。
社殿の昇り竜、降り竜の彫刻が見事です。
東京銭洗い弁天としても有名ですし、場所柄、金融・証券関係で御利益を求める方が参拝されることもあります。平日でも常に数人の方が入れ替わりで参拝しているような感じです。
境内は狭いのですが、授与所(9〜18時)もありますので御札やお守りを授かる事も出来ます。


私はここの神社が大好きなんです。
途切れる事ないくらいに参拝される方がいるのに結構、神聖で空気がいい感じである事が多いです。

近くのお客さんの所に仕事で伺った時には、時間が許せば必ず御参拝させて頂いています。
実は私はちゃんと御利益を頂くことができました。どんな御利益だったかは内緒ですが。(笑)

もし宜しかったら御参拝されてみてはいかがでしょう。

posted by 未熟な修行者 at 23:14 | Comment(11) | TrackBack(0) | 日記

金縛り

2017年02月12日

みなさん、金縛りにあった事ありますか?

実はですね、私は所謂「金縛り」にあった事がありません。
大概、寝ている時に何故か目が覚めて身動きが出来ず、恐ろしい体験をするみたいなものを言うのが一般的なようですが、そういった金縛りになったことなど一度もないのです。

金縛りはレム睡眠が原因と言う説がありますね。
身体は眠っていて弛緩しているが、脳は半分起きている状態になると金縛りと言われる現象になるとか。

実体験としては私も何故か目が覚めたら変なものがそこにいることに気付いたという事はありますが、体は動くのです。
その後は(実はビビッてしまい)眠れずにテレビやビデオを見て朝を迎えた事はあります。でも体が動かずに恐怖体験をするという金縛りにはあった事は無いです。
ですので理屈はよく知らないですが、よく言われる金縛りはレム睡眠が原因という説が正しいような気がします。

目覚めたのに体を動かすことが出来なくなるほどの影響を持った霊などいたら、普通に昼間に見えてしまっても動けなくされると思います。そんなのに会った事無いです。
あ、ビビッて動けなくなるのは別です。(笑)


私がたまに見えてしまうと言う事を知った人から
「よく金縛りにあうんですよ」
と聞かされる事も多いのですが、実は私は金縛りにあったことがありません、と言うと非常に驚かれたりします。(笑)

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写仏のやり方

2017年02月05日

以前に写仏をする時間が取れないと書いたら意外と興味ある人がいらっしゃったようです。
単純にお絵描き感覚で書きたい方はそれほど気にしなくても構いませんが、一応は作法と言うものがありますので記載しておきます。
但し、一部の真言宗系の作法と思いますので、他宗派の方は御宗派に沿ったやり方でなされて下さい。


まずは手を洗い、口を漱いで、身を清めます。本来ですと全身を清めるべきはずですが、なかなかそうもいかないと思います。塗香を使っても構いません。

次に仏壇や掛け軸などの御本尊があれば合掌して三拝します。そういったものが無ければ心の中で仏様を思い浮かべて三拝でも構いません。

次に懺悔文(さんげもん)、開経偈(かいきょうげ)、般若心経などを唱えます。この辺りは調べれば分かるかと思います。ここに書くと非常に長くなってしまうのと、本来は師から教わるべきものですので、スミマセンが割愛します。

次に静かな部屋の机で墨をすり、お手本の上に写仏用紙を重ねて写仏の準備を整えます。
お手本は(すごく少ないようですが)一部の宗派のWebサイトからダウンロードできますし、書店で買い求めても構いません。
お手本と写仏用紙がずれないようにクリップなどで厳重に固定しておく方が良いです。簡単にずれちゃいますので。あと、お手本無しで描ける方は写仏用紙だけを用意すれば構いません。

次に写仏用紙の前に向かって心を落ち着け、作仏形像経を唱えます。と言っても、こちらは調べても分からないかと思います。仏像を作ったり写仏するなどの功徳を説いたお経です。実際には必須でもないようでお寺の写仏会などでも唱えずに書き始める事が多いので、それほど気にしなくてもいいかと思います。

そしておもむろに写仏を始めます。描きづらい場合は写仏用紙を回転させたりして描きやすいようにして描いて構いません。そして、なるべく一気に描き進めます。
この際の注意点ですが、顔は最後に書くようにします。特に眼は必ず一番最後に描き入れると言う事になっています。

描き終わったら、願文と奥書を書き入れます。
願文は願い事で「祈 所願成就」などを写仏の右側に縦書きで書きます。
奥書は写仏の左側下の方に縦書きで日付を「平成〇〇年〇月〇日」、その横に同じく縦書きで名前を書きます。つまり2行書きます。
願文が無い場合には書かなくても構いません。

最後に合掌して普回向を唱えます。これも調べればすぐ分かると思います。


・・・凄いあっさりした内容になってしまった。^^;
写仏自体は簡単そうに見えても、1時間以上かかる事も普通にありますので、時間に余裕がある時に行なわれた方が良いです。もちろん毎日少しずつ進めても構わないですが、その度に身を清めるところから行なって下さい。

描き終わった写仏はお寺に納めても構いません。(御布施が必要な事も多いですが)
宗派の教義やお寺の方針、写仏した仏様によっては受け付けてくれない場合もありますので事前に確認された方が良いでしょう。

御自宅の壁に貼って毎日手を合わせると言うのも問題ありません。

普段は受け付けてくれないお寺でも年末年始であれば納札所が用意される事があります。その時に納めると言う手もあります。
なお、失敗したものも無闇にゴミとして捨てずに保存しておいて、年末年始に一緒に納める方が良いです。

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節分

2017年02月01日

2月3日は節分の日です。

そう言えば節分の日に豆まきをする習慣は仏教のものなのか神道のものなのかを言い争っていた人がいたなと思いだしました。(笑)

仏教を信仰されている方の言い分は、神道では穢れを払うという考えがあり豆をまいて鬼を払う、つまり鬼と言う穢れを払うのだから元は神道の行事だ、というもの。
神道を信仰(と言うのも実は変な言い方ですが)されている方の言い分は、成田山新勝寺では力士やタレントなどを呼んで豆まきしている、神社で行なっている所はそれほど無い、仏教の行事だからだ、というもの。

そして、双方の共通認識としてあるのは、元々は中国から伝わってきたものを追儺(ついな)の行事として宮中で行なわれていたが、民間にも広まって豆まきが行なわれるようになったと言う事です。

まず整理すると、節分と言うか暦(こよみ)自体が中国から入ってきたもので、日本ではそれらを参考に作った(と言うか日本向けにアレンジした)暦しかありませんでした。
暦の中に二十四節気というものがあり、更にその中に立春・立夏・立秋・立冬がありまして、これを「四立(しりゅう)」といい、勿論これも中国で成立したものです。節分とは読んで字の如く季節を分けるものですから、この四立それぞれの前日こそが節分であり、1年に4回あるのです。
現在は春の節分しか残っておりませんが、冬から春になる時期を1年の境で、その前日である春の節分は昔の人からは感覚的に言えば大晦日のように考えて大事にするようになったため残ったと言う事です。

暦も節分も中国から伝来したものであり、暦自体は陰陽道で多く活用されました。
同じく中国から伝わった行事を追儺という鬼払いの儀式も宮中での陰陽道の儀式として行われるようになりました。その流れとして神道に節分という行事が残っているのです。
ですから、節分、追儺の2つは元は陰陽道の行事であり、節分は神道に受け継がれたと言う事になります。

さて、では節分の時の豆まきの行事はどうでしょう。
室町時代に鞍馬山から鬼が出て来て都を荒らしていたが、毘沙門天の御告げにより、炒り豆(大豆)で鬼の目を打ち潰し災厄を逃れることができた、というのが豆まきの始まりだという説があります。
毘沙門天は仏教で伝えられた神ですから、上の説が正しいとすれば(本当かどうかは別として)豆まきと言うのは仏教の行事として取り入れられたものだと言う事になります。

当時から節分に豆まきが行なわれていたかどうかは知らないですが、いつの間にか何となく節分の日に豆をまくと言う習慣になったのかも知れません。
節分イコール豆まきの日と考えるから訳が分からなくなるわけです。色々な風習や宗教儀式が日本で混ざってしまったのです。

ちなみに日本は長いあいだ神仏習合しておりましたし、神社で豆まきの行事が行われる事も実は少なくはありません。(参拝者に来てもらうためと言う理由もあるとは思いますが)
外国の風習なども上手く取り入れることが出来るのも日本の特徴ですし、元が昔の中国の風習であったとしても日本に来てアレンジされ長く伝えられてきた日本の文化なのですから、仏教なのか神道なのかを論ずること自体に意味はありません。

正直な話どっちでもいいじゃないか、としか・・・(笑)


あと、節分と言えば「恵方巻」を思い出す方もいらっしゃるでしょう。
細かい話をしてしまうと、その年の恵方を向いて黙って食べるので「恵方巻」とつけた商品名が全国的に認知されるようになっただけで、以前は「丸かぶり寿司」とか普通に「太巻き」、「節分の巻き寿司」などと呼んでいたはずです。もしかしたら大阪では今でも「恵方巻」とは言わない人が多いかも知れませんね。
太巻きになったのも昭和になってから多くなったらしく、今でも普通の太さの巻き寿司と言う方もいるようです。
以前は大阪の一部地域で行なわれていた風習です。
戦後一旦廃れていた風習ですが、発祥は江戸後期やらと言う説もあります。
そもそも巻き寿司そのものの起源が江戸中期頃らしいですから、それほど古い物ではありません。
誰でも分かると思いますが仏教にも神道にもない風習です。

恵方を向いて黙って願い事しながら食べきる、これもイメージの力次第で何らかの効力が出ないとも限りません。
日本には各地にこういった風習がありますから、別に否定するつもりは一切ありません。
私自身は豆まきも恵方巻もあまり興味がありませんが、昔からのこのような風習っていいなと思っています。


そう言えば以前に「子供の目に当たったらどうするの」というクレームがあって幼稚園の豆まきが中止になったという話を聞いた事があります。
豆まき自体が危ないからやめようではなく、目に物が当たったら危ないから気を付けようと言う事を幼稚園でも家庭でもしっかり教えるのが本来あるべき姿で、豆まきの時期にはその事をしっかり教える事の出来るチャンスでもあるんですけどね。
話が脱線しましたが、今日はこれで終了。
posted by 未熟な修行者 at 23:36 | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

これって霊障?

2017年01月23日

コメントで質問を頂きました。
その質問コメント自体はかなり長文でしたのと内容的に濁した方がいい部分がかなりありましたので公開せず、当記事でプライバシーに触れない範囲で御質問の要点を纏めさせて頂き、御返事と一緒に記事にさせて頂きます。

念の為に言っておきます。
霊障なのかと言う話もありましたので一応お答えさせて頂きますが、本来こういった質問は私にするべきではございません。然るべき知識を持ったや、除霊などを公に受け付けていない近所の普通のお寺さんや神社にでも相談された方が遥かに良いかと思います。
私は在家修行者でしかなく、霊能者でも僧侶でもなく普通の仕事をしている一般人ですので、こういった相談をされてもお答えできない事の方が多いです。なによりこんな適当な在家修行者に本気の相談をしてはいけません。(笑)


御質問の要点は
実家から離れ一人暮らしの御姉様が、昼夜問わず絶叫や異常な言動などをするようになり、近隣から苦情が賃貸管理会社に入り、管理会社から御両親に連絡。
心配した御両親が様子を見に行き、異常な状態に驚いて御姉様を実家に連れ戻したが、部屋に閉じ籠ったままで普通の時と異常な言動がある時を繰り返す。
後日、御姉様の持ち物から異常な言動の原因ではないかと推測が成り立つような物が見つかった。御父様はその事に激昂し御姉様を問い詰めてしまった。
親戚の御年寄が、田舎の方で数十年前に同じような人を見ており、その人は今で言う霊能者のような人に助けてもらったので一度見て貰った方がいいのではないかと進言があった。
御父様はそういう事はまったく信じず精神科に連れて行くという意見で一度無理やり連れて行った。御母様は親戚の御年寄の進言を受け入れ何人かの霊能者に連絡を取って相談を始めている。方針の違いで御両親が言い争うことも多い。
質問コメントを下さったルカさん御自身は霊を頭から否定するつもりもなく、安易に精神科に連れて行けばいいと言うだけの御父様と、まともかどうかも分からない霊能者に相談をしている御母様の間に挟まれて苛立ちも感じる。もちろん御姉様が元のように戻ってくれれば何でもいいのだが、どうしたらいいのかも分からない。
概ねそういうことですね。


私の勝手な意見ですので正しいとは限りませんし、受け止めようによっては酷な話であるかも知れませんが御許し下さい。

今迄に何度も同じことを書いておりますが悪霊なんてものは滅多にお目にかかれないレア物です。
悪霊と言うほどでは無いそこらにいる霊の場合、生命力や気力が横溢している生きた人間の方が遥かに強いので悪影響を受けることもまずありません。
逆に言うと、実際には霊からの影響は何も無いのに、恐怖心や罪悪感だけが増大してしまい耐え切れずに心が壊れるケースの方が圧倒的に多いです。

ただ、霊の影響を受けやすい人と言うのは少ないですが確かにおります。それは姿を見たり声を聞いたりで霊と縁を持ってしまう人です。
私自身もその内の一人なのか、他の人よりその手のものに少し敏感なため影響を受けやすい(時期もある)ですが、それでも少し体調を崩す程度で暫くしたら霊も自然にいなくなり体調も元に戻るのが殆どです。

霊に影響を受けやすい人自体が非常に少ない、たとえ影響があっても少々体調を崩す程度が大半、そもそも悪霊自体が非常にレア。
ですから、自分の身近でもそんな霊現象に悩まされている人など一度も見たことがないという人の方が圧倒的に多いわけで、御父様のように霊の存在など信じない人が多いのも当たり前の事なのです。
私も見えなければ多分信じないだろうと思います。

Y君に伝手を頼って相談してきた内の九割方は霊は関係無く、思い込みなどによるものです。
本当に霊が原因であったケースでも、その大半が大騒ぎする事なく放っておけばその内消えるような軽微なものです。相談者の恐怖心が強過ぎる場合、その時を待たずに出ていってもらうなどはしているようです。
思い込みだけでも、あまりにそれが強い場合には心が壊れてしまう可能性がありますので除霊などの真似事をして安心して貰う事もあります。


御父様に対しては、まずは信頼できるお医者様のいる病院に行くべきだと御母様を説得すると言って下さい。
病院でも改善しないようであれば、御母様の意見も一度は聞いてあげようとお願いしてみて下さい。
御姉様の症状がルカさんが疑っていらっしゃる病気だったとすれば、御両親が言い争っていると病状悪化の原因になる可能性が非常に高いです。
御父様には御姉様の気持ちが理解できないのでしょうが、本人の言い分を聞かずに無闇に否定したり、怒りをぶつけたり、こんな病気になって恥だとか言うのは、悪化の原因にはなっても改善には繋がりません。
御父様のお気持ちや立場、意見も尊重しつつ、その点も上手く御説明された方が宜しいかと思います。

御母様が心配のあまり霊能者に相談してしまう事は御姉様を思うあまりの事ですので責めるべきではありませんが、同じくなんでも霊の仕業で片付けてしまうべきでもありません。
まず上に書きましたように霊障自体が非常に珍しい事である事、電話相談だけで霊障と決めつけるような霊能者がまともだと思えるかを冷静になって考えるよう優しく諭してあげて下さい。
数十年前の田舎にいるような霊能者のような人と言うのは、霊云々よりも本人の気持ちが軽くなるような対応をする、今で言うカウンセラーみたいな役割の方が大きかったのだと思います。
昔はそういう人も多くおり、大金を請求するような事もありませんでした。今で言う霊能者とは全く違うと思います。私が幼い時にも田舎の方に稀にそういう方はおりました。
勿論、本当に力のある霊能者だった可能性も無いとは言えませんが。


そして、精神保健指定医と(できれば)臨床心理士の資格を持っているお医者さんに診察して頂く事をおすすめします。臨床心理士が別にいる場合でもいいです。
(公認心理士と言う国家資格が出来るようですが現時点ではまだいません)
御姉様本人の話もロクに聞かず、ただ薬を出して終わりと言うお医者様も多いかも知れませんので気を付けて下さい。大切なのは御姉様の話を無闇に否定する事無く聞いて下さる事です。
ただ、そういうお医者様は一人一人にかなり時間をかけますので、待ち時間が長く1日がかりと言う事もありますが我慢するしかありません。
きちんと御姉様と会話してくださる専門の方を紹介してもらえる場合もあります。
なお、御姉様を連れて行く時には無理矢理ではなく、気持ちを軽くするためとか夜もきちんと眠れなかったり食事も摂れないと言うのが心配だから、まずそれだけでも良くなるようになって欲しいと説得し、本人同意の上で連れて行く方がいいです。(そうはいかない場合もあるかも知れませんので、できれば)
病院に同行される方は、御姉様に敏感に読み取られてしまい更に追い詰めてしまう場合もありますので、こんな病気で恥ずかしいとか、そういう感情は一切捨てて下さい。そういう意味では暫くは御父様は同行しない方が良いかもです。


治療方針に反さないことが前提ですが、近所の神社やお寺でお祓いなど儀式を頼んでみるのも良いのではないかと思います。但し、最初から除霊などをすると謳っているような所は避けた方が無難です。中には悪質な霊能者と同じである所もありますので。
これは実際の霊験云々よりも、まずは御姉様の心労を軽くする事が目的ですので、無理矢理連れて行くのではなく本人が行く気になればの話です。神職や僧侶の方に事前に事情説明しておいて、御姉様の心が軽くなるようなお話しをして貰うと更にいいですね。
気の持ちようと言う言葉もありますし、偽薬でも効果が出るプラセボ効果と同じで、意外と効果があったりするものです。終わった後に、少し顔色が良くなったとか肯定する言葉をかけるとベストです。
勿論、中には本当に助けてくれる神様や仏様がいらっしゃる場合もありますので、きちんとした儀式をしてもらって心から救いを求めても良いです。この場合は神仏を信じない人は一緒に行かない方がいいです。

心が弱っている方は周りの環境の影響で悪化していく事もありますので、仰る通りに閉め切った部屋に籠るのはあまり良くありません。
読んで頂いた過去記事の部屋の掃除ですが、霊障であろうがなかろうが前向きな気持ちにさせるという意味で良い事だと思います。これも無理矢理ではなく、その方がいいみたい、などと上手く説得して本人が納得したらです。勿論、治療方針に反さない事が前提です。


私はたまに見えるだけの変人ですので言う事に根拠はございませんが、最初は自ら薬も飲み少し落ち着いたと言う事ですので、私もルカさんが仰っている病気ではないかと思えます。
頂いた御姉様の様子から考えると99%霊は関係なく、悩み過ぎて心が耐えられなくなったように思います。
まず信頼できるお医者様を見つけて診察・治療してもらう事で、これ以上悪くなる事を阻止するのが良いと思います。暫く入院と言う事も考えられますが最悪の事態を避けるためにも必要になる場合がある事も理解して下さい。
あと大切な事ですが、御家族も仲良くしていて下さい。

posted by 未熟な修行者 at 00:17 | Comment(20) | TrackBack(0) | 日記

心霊スポットのロケ

2017年01月19日

季節はずれと思われそうな話を書いてしまいます。(笑)
ちょっとそういう話題が上ったものですから。

昔に比べたら少なくなったかもしれませんけれど、テレビで心霊スポットへ行くロケなんかよくやっていますね。
タレントと一緒に霊能者が心霊スポットに行くというような番組がありますが、そういった番組は霊の存在を信じない人と同じくらい、かなり冷めた目で見てしまいます。

本当にきちんとした霊能者であれば、いわゆる本物の心霊スポットにホイホイ行く事も無いと思います。

「ここは危険です」
とか言う霊能者もいますが、そんなに危険ならばロケを中断してでも行くのをやめればいいのに、と思います。
霊能者がそんな事を言うほど危ない場所なのにタレントやらスタッフやらを連れて結局はお金儲けのためにロケをしているわけです。
どんな霊がいても自分がいれば大丈夫と思っているのであれば、わざわざ恐怖心を煽るような事を言う必要などどこにもありません。

「ここは入りたくないです」
このセリフもよく霊能者が言いますよね。入りたくないなら入らなければいいだけですし、霊能者によっては気分が悪くなったと言って一旦その場から離れるという行動をしたりします。
その場所に入りたくない、影響を受けて具合が悪くなる程度の霊能者なんて、ただ見える事があるだけの私と同じレベルじゃないかと。(笑)
そんな霊能者、役に立たないと思うんですよね。

「ここは昔・・・」
って説明しちゃう霊能者もいますね。
歴史的悲劇などを盾に恐怖心を煽っているだけにしか見えませんし、何度も言うようにまともな霊能者であれば本当に危険だと分かっているような所にわざわざ大勢の人を連れて行くなんて事はしないと思うのですよね。
その上で更に上に挙げた二つのセリフを言う霊能者なんてのは、分かり切ってて行っているはずなのに何故そんなセリフが出てくるんだろうと思ってしまいます。

こういう事は、たまに見えてしまうだけで何も出来ない私だから思うのかも知れません。
いるかいないかは別としても心霊スポットと呼ばれるような場所に理由もなく行く事は私はしません。もっと言えば自分では何の対処もできない人を連れていく事など絶対にありません。
とは言っても20代くらいの頃は若気の至りで友達何人かで行ってみた事がないわけでもないので、あまり偉そうな事も言えませんが。^^;

このブログにも度々登場するY君でさえ、知人の伝手のみ限定ですが霊関連で困っている人がいれば手助けする事はあっても、商売ではないのでわざわざ危険を冒す必要も無いのですから自分から霊に近づく事は決してしません。
ちょっとした霊なら簡単に散らすことも出来る彼でさえ、偶然に霊が何体か集まっている程度の所であっても普段はわざわざ避けて通ります。簡潔に言ってしまえば無駄に関わる事を回避するのです。

実はテレビなどのメディアに出てくる霊能者の何人かは、私とY君も会った事があります。
だいたいY君と意見が合います。
「適当な事ばかり言うね。そんなのいないのにね」
という意見です。
もちろん、彷徨っているだけの霊が偶然通りかかっている事もありますので、そんな悪影響があるほどのものはいない、という意味も含まれます。
メディアに出ているような霊能者は矢鱈と恐怖心を煽る発言が異常に多いのです。そうしないと商売にならないのでしょうけれど。

逆にあらゆるメディアにまったく出ず、口コミでしか存在を知られていない霊能者の方が信頼できます。
私とY君が見ているのと同じ霊を見て、それを説明できる人もいます。
Y君自身がそうですが、こういう人はそれを職業として商売にしていない事が多く、自分にそういう力がある事さえも人に知られるのを避けたがる人が大半です。
謝礼として足代プラス食事代の数千円程度を申し訳なさそうに頂く人もいますが、一銭も受け取らない人も多くいます。

そしてそういう人が言う事はだいたい同じです。
「悪霊なんてものは滅多にいないよ」
です。

心霊番組は所謂バラエティですから、多少の誇張や脚色も必要なのだとは思いますけれど。
冒頭に季節はずれと書いたのは心霊番組自体の放送は夏が多いためです。実際のところ霊に季節なんて関係無いですけれど。(笑)

posted by 未熟な修行者 at 00:35 | Comment(13) | TrackBack(0) | 日記

これは厳しい^^;

2017年01月12日

あと少しで落ち着くとは思うのですが超多忙中です。(泣)

う〜ん、写仏しようかなと思っていたのですが・・・
御挨拶に伺いたいお寺もあったのですが。

記事も更新できておりません。申し訳ないです。


仕事ですから仕方ないのですが。

posted by 未熟な修行者 at 22:00 | Comment(9) | TrackBack(0) | 日記

御神木、実は・・・

2017年01月06日

初詣には行かれましたでしょうか?

知人が
「参拝者が多く参道の端なんて歩けなかったよ」
と言っておりました。
参道は端を歩くものと私が言っていますので気になったようです。

参拝者が多くて歩く場所を選べない程に混雑している場合、神様の方でも仕方ないと思って頂けておりますので失礼には当たりません。(そうでなければ神社側が規制しますし)
参道の真ん中を歩いてしまって申し訳ない、という気持ちがあればなおさら問題はありません。

混雑により御賽銭を遠くから力一杯投げ入れている人も多くいたようですが、それは駄目です。
普段であれば軽く滑らすようにして御賽銭を入れるべきですが、混雑していればそこまで御賽銭箱に近づけない事もありますので軽く投げ入れる程度くらいであれば大目に見て頂けるかも知れません。
しかし遠くから力一杯投げ入れるのは駄目です。かなり失礼に当たります。

色々説があり初詣は早く行くのが常識と思っている方も多いですが、その年に初めて参拝する事を初詣と言い、新年になったから出来る限り早く行くというのは決して正解ではありません。
混雑している時期に初詣に行くのは人間側の都合でしかなく、失礼な行為をしても混んでるから仕方ないのだと思うのも人間側の勝手な都合です。
それならば混雑が少し落ち着いた時期に初詣に行く方が遥かにマシです。


その同じ知人が
「御神木があって、触って御願い事してきたよ」
と言う話も聞きました。

境内に御神木がある神社も多く、中には自由に触れる事が出来る御神木もあります。
がっかりしてしまうかも知れませんが、実はそういった触れられるようにしてある御神木は本当の御神木ではなくて、本当の御神木は別にあるという神社も多くあります。
いわゆる代理の御神木とでも言いましょうか。

そういう場合、本当の御神木がある場所は立ち入り禁止となっている場所にある事が多いです。
だからと言って勿論その場所に入ってはいけません。

御神木ですから古い樹である事が殆どで誰彼構わず触っていたら傷んでしまうという理由や、御神体そのものであると言う理由などによって秘かに管理しているために、代理の樹木を御神木として公開しているケースも割と多いのです。
中には本当の御神木に無闇に触れると障りがあると言う言い伝えがあるために、別の樹を代理の御神木としているというケースもあります。なので決して立ち入り禁止の場所に入ってはなりませんよ。

代理の樹が御神木とされているからと言って、あまりがっかりする必要はありません。
と言うか、わざわざ代理の御神木であると言う公表はしませんし、たとえ代理であろうともきちんと御神木として祭っていますので、本物か代理かを気にする必要はありません。
だったら、わざわざ言うなと言われそうですが。(笑)

触っていい御神木があれば、是非とも触って御願い事をすると良いと思います。

posted by 未熟な修行者 at 21:00 | Comment(14) | TrackBack(0) | 日記

新年あけましておめでとうございます

2017年01月01日

あけましておめでとうございます。

旧年中はこんな適当なブログにもかかわらず御来訪賜り誠にありがとうございました。
本年も相変わらずの適当なスタンスで適当な記事を書いていきたいと思います。

皆様にとりまして、より良い一年となりますよう心よりお祈り申し上げます。
何卒、変わらぬ御愛顧の程宜しくお願い致します。

posted by 未熟な修行者 at 00:00 | Comment(9) | TrackBack(0) | 日記

今年は大変お世話になりました

2016年12月31日

こんにちは。

今年は思い付きでこのブログを始めてしまいました。
元々、(色々厄介事も持ち込まれるので)連絡先を直接教えたくない知り合いの方のために始めました。
ですがコメントを公開できない内容も多く、記事で返事を書くにしてもその中に個人情報を書かざるをえないケースもあるため、結局こちらから直接フリーメールを使い回ししてでも直接連絡しなくてはならない事も多くあります。
その意味ではこのブログはあまり役立っていません。(笑)

そんな中、どう検索して来られたのかそれ以外の方からもコメントを頂くようになりました。
今ではこちらの方がメインになっております。
私が好き勝手に書いているだけのこのようなブログにお付き合い下さいまして誠にありがとうございます。
もちろん単なる暇潰しでのコメントも有難く思いますし、ほぼ無いことと思いますが(笑)少しでも何らかのお役に立てれば幸いです。


本年の御厚情に心より感謝申し上げます。
皆様に良いお年が訪れますように。
来年もひっそりとノンビリした更新頻度でやっていこうと思いますので宜しく御願い致します。

posted by 未熟な修行者 at 11:16 | Comment(9) | TrackBack(0) | 日記

年越しの祓

2016年12月27日

6月と12月の晦日(みそか)に行われる神社の行事で、6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)、12月を年越の祓(としこしのはらえ)と言います。

実は、夏越の祓は気付いたら過ぎてまして、記事にできませんでした。(笑)
というわけで
「年越しの祓は忘れずに記事にするぞ」
とその時は思っていたのですが、またもや危なく忘れるところで、気付いたら記事にするにはギリギリではないかと。(笑)

「人形(ひとがた)」や「形代(かたしろ) 」と呼ばれる人の形に紙を切り抜いたものに、名前と年齢を書き、身体の左右左と三回撫でて、ふうっと息を三度吹きかけます。地域によっては体の悪い所を撫でると良いとも言われますね。
これは自分に溜った罪や穢れを人形に移し、神社でその人形を川に流したり焚き上げたりしてもらって祓ってもらうと言う行事です。

たいていの神社ではもう受け付けが始まっているはずです。
無料ではなく一応祈祷料が必要です。と言ってもだいたい数百円から千円程度です。
どこかの神社の氏子になっていれば、ほぼ必ず行なうようです。

だいたい大晦日の午後15時から16時頃に行われて、その後神社は怒涛のように初詣の準備に入らねばなりませんので、ギリギリに人形を納めに行く場合でもお昼くらい迄には納めに行く方が良いです。

ところで時代とでも言いましょうか、車の形の形代は少し前からありましたが、今は犬用の形代、猫の形代と、それぞれ犬、猫のかたちに切った形代を用意している神社もあるそうです。

祓って頂けば、より良い新年を迎えられるかも知れません。

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仏様も派遣されてきてるの?

2016年12月24日

神社は必ずしも御祭神がいらっしゃるとは限らず、派遣されてきた神様がいると思うと書きました。
では、お寺はどうなのか?

仏様は常にお寺にいる訳ではなく、通常は仏様の世界におります。
お寺というのは教えを伝える場所であり、更には本堂などは仏様をお迎えできる場として整えられてあります。
その整えられた空間において仏像や仏画などが媒介となってコンタクトすることが出来ると言う形です。
必要とあらば、それら媒介となるものを通じ、その場に仏様にお越し頂くと言う形です。

実際の所、仏像や仏画が無くても仏様と繋がることは出来ます。
それは自身の心を仏様をお迎えする場として整えればいいと言うわけです。
ですので、仏様をお迎えできるように教えを守り正しく生きるという方法で心を整える者がいるのです。

お寺の本堂が仏様とコンタクトが出来るよう整えられているのは、未だ自身の心を整え切れていない者でも仏様とコンタクトを取ることができるようにするため、仏様が万人に救済の手を差し伸べることが出来るようにするための拠点でもあるわけです。

お寺は誰もが教えを請けることができ、仏様とコンタクトを取るための連絡所として機能すれば良いわけですから、常に仏様がいらっしゃるわけではありません。
いつでも真摯な願いで仏様に語り掛ければコンタクトを取れるよう、更に必要があらば仏様をお迎えできる場所となるよう準備を整えてあるというわけです。

そもそもがお寺という場所でなければならないと言う事は無いのです。
その場所でなければならないと言うのは執着そのものですから、本来仏教の教えではあり得ません。
自身の心にお迎えできるようにする事が本来の姿で、お寺でなければならないと言う場所の限定はありませんので、お寺に仏様が常駐される必要などどこにも無いわけです。

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同じ神様があちこちにいるの?

2016年12月20日

同じ神様を祭神として祀っている神社は全国各地に非常に多くあります。
例えばおそらく日本で一番多いのは稲荷神社、次に八幡神社ではないかと思います。

稲荷神社の場合、主祭神として「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」、「豊宇気毘売命(とようけびめ)」、「保食神(うけもちのかみ)」などの神様が祀られている事が多いです。
稀にもっと他の神様の場合もありますし、名前が違っても同一神とされている場合もあったりで分かりにくいですが。
稲荷神社は、他の神社の境内にある末社だけでもかなりの数になりますし、個人宅に祀られていることも非常に多く、道端にある小さな祠まで合わせると、それこそ数も分からないくらい多いです。

八幡神社の場合、もう少し分かりやすくて、主祭神は「誉田別命(ほんだわけのみこと)」ですね。
誉田別命は応神天皇と言われております。
八幡神社の数もやはり凄くて全国に4万社以上あるようです。

「同じ祭神を祀っている神社ならば同じ神様がいるの?」
という質問がございました。
つまり全国に非常にたくさんある稲荷神社で主祭神が「宇迦之御魂神」だったら、どこの神社に行っても「宇迦之御魂神」がいるのか、という質問ですね。

稲荷神社の総本社である京都の伏見稲荷大社には「宇迦之御魂神」自身が、八幡神社の総本社である大分の宇佐神宮には「誉田別命」自身がいらっしゃるのだと思います。

全国の同じ神様を祀る神社では、総本社からの勧請、つまり神霊を分けるという分霊を行ない、その分霊をお祀りしていると言う事になっています。神霊は幾らでも分ける事が可能なのだそうです。
勧請された神社から更に他の神社への勧請という総本社以外の社から勧請される場合もあります。
ともかく、その理屈から行けば同じ祭神を祀っていれば同じ神様がいると言う事になります。

畏れ多い事ですが、実際はそうではないと感じます。
(私個人の感覚の話しですので間違っているかも知れませんが)

何と言えばいいのか分かりませんが、多くの場合は系統としては確かにその祭神の系統だと思うのですが、どうも違う神様がいる気がしてなりません。

私がどこかの神社でやらかして(笑)、拒否や拒絶を受けたにもかかわらず、同じ祭神であるはずの他の神社に行くとあたたかく迎えられる感じを受ける事があります。
分霊と言っても同じ祭神なのであれば、やらかしちゃった神社と同じ祭神の祀られる神社に行けば全部で拒否・拒絶されてもおかしくないはずです。
(心が広いので、すぐに許してくれたと言う事なら別ですが)

ともかく、この点が不思議ですので、実際には違う神様がいるんじゃないかと思えてしまうのです。
先に言ったように多くの場合、系統としては同じ系統の神様である感じはするのですが。
もしかすると勧請されてきた神社の場合には、総本社の神様の部下に当たるような神様が派遣されてきているのかも知れません。場合によっては祭神のお遣いである眷属の方だけが来ているのかも知れませんね。

古く歴史のある神社の場合には元々がその土地の神様を祀っていた場合である事も多く、本来の神様の名前は分からないままで時代が進んで祭神は誰々として体裁を整えなくてはならないこともあったのかも知れません。
場合によっては一番性格とか御利益が近いとされる神様の名前を付けただけかも知れません。
例えば何と言う神様か分からないが豊作を祈っていた祠があったので、いつの間にか食物や農業の神様である稲荷神であるとされて祀られるようになったと言う事もあったかもしれません。

なお、あまり有名ではない神社に行くと
「書いてある御祭神とは違う感じがするな」
と思うことも稀にあります。

基本的には勧請をお願いした神社から派遣されてきた部下に当たるような神様がいるんじゃないのかなと思っています。

神様の姿が見えたり会話できたりすれば、すぐに分かる事なのでしょうけどね。
私がたまに見えるのは見たくもない余計なものだけです。(笑)

posted by 未熟な修行者 at 23:46 | Comment(9) | TrackBack(0) | 日記

即成仏できるとは限らず

2016年12月15日

戒名を頂くと言うのは仏弟子になると言う事です。

仏式の葬儀をあげた場合(宗派によりますが)、戒名を頂いて仏弟子になると言う形になります。
生前戒名と言って、生きている内に戒名を頂く場合も仏弟子になると言う事です。

仏弟子になると言う事は即成仏、つまり仏様になるのか?
即成仏できるのであれば御布施をして戒名を頂く意義もあるが、生前に悪事を働いて罪業の深い人は戒名を頂いて仏弟子となる葬儀をしたとしても成仏できるとは到底思えない。
となると戒名を頂く意味とは何なのか?

そのような趣旨の御質問がございました。

そもそも戒名とは仏弟子となって戒律を守る証として付けられる名前の事です。
元々の原始仏教には戒名と言うものは存在せず、仏教が中国に渡ってから習慣化したものと言われております。

中国では個人名として「姓=氏(うじ)」と「名=諱(いみな)」があり、それとは別に「字(あざな)」の三つを使っており、個人を「諱(いみな)」で呼んでいいのは親や主などの目上の立場の者だけで、立場は関係なく相手を尊重して敬意を示す場合には「字(あざな)」で呼ぶのが普通でした。
出家して仏弟子になるのは世俗を捨てたと言う事であり、親は勿論、国の君主にも支配される人間でなくなったと言う事で、たとえ親や君主と言えども仏弟子である出家者には建前上と言えども敬意を示して「字(あざな)」で呼ばせる必要が出てきて、いわゆる「戒名」と言う「字(あざな)」が使われるようになったようです。

仏教は中国を経て日本に伝わっていますので、出家して仏門に入った場合には師匠から戒名を付けて頂くのが当然の事となっておりました。

昔は故人となっても一般の人は戒名を頂くと言う事はなく、貴人に限られておりました。
高額な御布施をして戒名を付けて頂くという風習は、お寺の造営や改築の為に多くの寄進を集める手段として、寄進した者には貴人に限らずとも戒名を与えるという事例から始まり、それまで戒名など出家でもしなければ頂けないと思っていた一般の人も先を争うように寄進をして戒名を頂くと言うのが流行りました。

そして日本では仏教信者は死後に極楽に転生するという思想などの影響により、いつの間にか仏式葬儀は「故人を慌てて仏弟子にして成仏を願う」ものとなり、たとえそれまで信者で無かった場合でも故人には戒名を付けるのが当然のように行われるようになりました。
成仏とは仏様になって、輪廻から離脱し、極楽と言われる仏様の世界に生まれることです。

では、故人となって仏弟子になったと言う事は、仏様(亡くなった人と言う意味ではなく)になったのかと言うとそうとは限らず、あくまでも修行者という形になります。

亡くなられたら即成仏とされる宗派の方からは怒られるかも知れませんが、戒名を頂いたからと言って信心も無いまま悪行を積み重ねてきたような人まで成仏して極楽に行けるかと言うと、やはりそんな筈はなく、正しく生きてきた人の方が有利なわけですし、更に信心があればなお有利なわけです。

葬儀中にも葬儀後にもフラフラ彷徨っている故人の霊も見ております。
実際に見た酷い例としては、葬儀から数か月後に嬉々として形見分けしている親族達を凄い形相で睨み付けている霊を目撃しました。かなり高価な形見が多数あったのです。遺影に写っている穏やかな顔とは大違いでした。物への執着が強く残ったままの故人だったのでしょうね。
Y君から聞いた話ですが、葬儀後の数か月間、愛人に付き纏っていた霊もいたそうです。


戒名が無駄とは申しません。
檀家でもなく信者でもなく全く御布施もしてこなかった故人の葬儀にそれなりの御布施をして戒名を頂くのはたとえ僅かであっても故人の功徳となり供養となります。
生前に多少の善行を為し、概ね正しく生きていた方であれば、葬儀や戒名を頂く事が更なる功徳となるわけですから成仏も出来る可能性は上がるのでしょう。
数多の善行を為して正しく生きてきた方ならば、戒名が無くとも、たとえ葬儀がなされなかったとしても成仏される方もいるのでしょう。
ただ、悪行を為してきた方では、御布施をして戒名を頂いても少々の減刑という所でしょう。

戒名は供養の一つでしかないと思っていた方が正解でしょう。戒名を頂いたからと言って即成仏できるわけではないのです。

posted by 未熟な修行者 at 23:12 | Comment(12) | TrackBack(0) | 日記