私にお休みを下さい。^^;

2018年06月08日

ほぼ一か月になりますが、全く休めておりません。(笑)
この御時世、吹けば飛ぶような自営業の私に多くの御仕事を頂けるのは大変ありがたいことで、贅沢を言うつもりはございません。

でも、そろそろ倒れるかも。いえ、冗談ですが。^^;

御客様から指摘されてしまったのですが、忙しさのあまりに非常に目つきが悪くなっているようです。ただでさえ人相が宜しい方ではないと言うのに。(笑)

そんな最中、久しぶりに見える時期に突入しました。
ところがですね、常に気が張り詰めているせいなのか、忙しいんだから近寄るなと言うオーラでも出ているのか、まったく寄ってきません。
出合い頭に結構宜しくない霊にばったり会ってしまいましたが、それすらも近寄ってこないです。(笑)

もしかして、普段からこういう気持ちと言うか感覚と言うか心持ちで対すれば霊が近寄ってこないように出来るのかな、なんて思いました。
でも、忙しくなくなったら、どういう感覚で対すればいいのかは綺麗サッパリ忘れる気がしてます。^^;

あまりにも近寄ってこないので、先日などは移動中の電車内で見かけた霊をじっくりと観察してしまいました。
結構空いていて席もチラホラ空いており、フラフラと車内を歩いてきた40代くらいの女性の霊が空いている席に座りました。
霊も席が空いていれば座るんだな、などと思って見てました。

とある駅で乗客がどっと乗り込んできて車内が混んできたのですが面白いですね。
いくつかの席が空いておりますし、霊が座っている席も他の方から見れば空いている席にしか見えないわけです。
乗り込んできた乗客の方々は、霊の座っている席を何か感じるのか、それとも何となくなのか、無意識に避けているようで、他の席から先に埋まっていきます。
他の席が埋まってしまい、空いているのは霊の座っている席だけになりました。
いえ、私から見れば空いてはいないのですけど。(笑)
席が確保できなかった何人かの方は、何故か立ったままでいる事を選んでいるように見えました。

やっぱり何となく何か感じて座りにくいのかなと思いましたが、ツワモノが一人やってきました。
20代くらいの男性で少し離れたところにいたのですが、誰も座ろうとしない席を見て、歩いてきてドカッと座りました。
<おお、勇者だ>
とか密かに思ったのは内緒です。^^;

女性の霊はどうするのだろうかと思いましたが、ツワモノが座るとすぐにスッと立ちあがって、そのまま消えてしまいました。
霊にとっては自分が座っていた席に、無遠慮に座るツワモノが迷惑だったのでしょうか。

なに、観察してるんだろ、私。^^;


posted by 未熟な修行者 at 23:39 | Comment(7) | 日記

呼吸法はゆっくりが基本です

2018年05月22日

超忙しくて放置になっていました。申し訳ございません。^^;
いや、もう何でしょう、あまりの忙しさに常に吐き気がしている程です。(笑)

ですので、まだ記事らしい記事が書けないのですが、先日御客様の所に伺った際に事務の女性の方から非常に気になる事を聞きましたので、そのお話をサクッと。

ヨガなのか気功なのか瞑想なのか今一つはっきりしないのですが、そのような事をして心身をリフレッシュするとかいう、要はヒーリング教室に御友達に誘われて通いはじめたそうで。まだ通い始めて数か月程度らしいのです。
その方が教室でビックリする体験をしたと言う事で、勢い込んで教えてくれたのです。

足を組んで座り、瞑想。目は閉じていますが閉じた先の一点を見つめるような意識で、まずゆっくりした呼吸を10分程したのだそうです。
そういう時間を取ろうと思っても自分ではなかなか出来ないですからね。リラックスするにはいいと思いました。
私が修行している事を知っていますので、座禅と同じだと思ってその話をしてくれたようなのです。

ところが、その後はかなり速い呼吸をするようにするように言われて、必死についていったそうです。
「ほら、〇岡〇太郎がテレビでやってるくらいの速い呼吸。こんな感じの」
と実践してくれました。
そこまで速い呼吸は慣れていないと結構きついと思うのですよ。

仏教では速い呼吸をする事はまず無いと思います。私が知らないだけかもしれませんが、心を穏やかに落ち着ける殊更ゆっくりした呼吸である事が殆どだと思います。
でも、ヨガではそういうのもあるのかなと思ったのです。

「5分くらいやってたらね、頭がぼーっとして、体もふわっと浮いているような感じになって、目は閉じているのにオーロラみたいにゆらゆら動く綺麗な光が現れたの、すっごい驚いた」
「え、5分って!それ駄目ですよ、危ないでしょう」
「でも、精神が解放された証拠って言ってたよ」
こっちの方が驚きましたよ。私の反応にポカンとしてましたが。

まさか超初心者にそんな事をやらせるとは思いませんでした。
速い呼吸をする瞑想は、きちんと指導できる人が様子を見ながら、それも鍛錬を積んで精神をコントロールできる人が極短時間だけならいいですが、超初心者なのに5分って。^^;

速い呼吸は慣れないと浅くなりますので、思ったほどには酸素を取り込めていない事が多々あり、この場合は速い呼吸なのに酸欠に近くなります。
その反対に酸素を取り込め過ぎている場合、過換気症候群、いわゆる過呼吸の状態になります。

これだけでも危険な事が分かりますが、速い呼吸というのは交感神経が活発になります。これ実はそのままストレスなんですね。血流が低下する事もありますから脳神経にも影響が出てしまうかも知れません。そのせいで体に異変を感じ、妙な光も見えたのでしょう。

教えてる方もよく分かっていないのか、どこかの新興宗教の下部組織と言う可能性もありますが。^^;
こんな事を続けると最悪の場合は重度の精神障害になってしまう事もありますので絶対にやってはいけません。

きちんと説明したら
「だから、その後は体がだるい状態がしばらく続いてたのかな」
と驚いてました。
何度も言いますが、驚いたのはこっちの方ですけれどね。(笑)

「じゃあ怖いから行くのやめよう、友達にも教えとかなきゃ」
と言ってました。^^;

posted by 未熟な修行者 at 22:54 | Comment(10) | 日記

白い猫

2018年05月07日

例の話、実はまだ聞けておりません。^^;
ようやく話が聞けるかと思っても、お互いに都合が悪くなったりしております。
もしかしたら、まだ聞いてはいけないのかな、その時ではないのかなとも思ったりしております。
お待ち頂いている方には申し訳ない限りですが、時期が来れば記事にもできるのではないかと思います。
時期が来なかったら期待だけさせておいてと言う事になってしまいますが。^^;

その代わりと言ってはなんですが、以前にY君に聞いた彼のお婆様の話を一つ。
ちょっと長くなりますが。(笑)

Y君がまだ5〜6歳の事だそうですが、親戚に不幸があり、Y君と両親そしてお婆様で葬儀に出かける事になったそうです。
親戚と言っても遠くに住んでおり、Y君の御両親の結婚式に出席してくれて以来、長らく無沙汰をしたままで、Y君自身は会った事がなかったそうです。
亡くなったのはお婆様の一番上のお兄さんの娘さん、お婆様にとっては姪っ子にあたる方です。

出発する時にY君は自宅の前で白い猫を見たそうです。ほぼ全身真っ白なのですが右目の下に少しだけ黒い線のような模様がありました。
バタバタしていた両親は気づかないようでしたが、Y君は
「ばあちゃん、見て見て、きれいな猫がいるよ」
と言ったそうです。
お婆様はちらっと見て
「近寄っちゃ駄目だよ」
と言ったそうです。
Y君が猫の方に視線を戻した時にはもういなかったそうです。

Y君達4人が駅に到着してホームで電車を待っていた時でした。
ホームにいる筈が無いのですが、先ほど自宅の前で見たのと全く同じ猫がいたそうです。
「あ、さっきの猫がいるよ」
と言ったY君。
それを聞いたY君のお母さんは
「こんな所に猫なんていないわよ」
と言ったそうですが、お婆様は小声で
「うんうん、さっきの猫だね。でも、ばあちゃんとお前にしか見えないから言わないようにね」
と言います。
Y君は既にその頃から他の人に見えないものが見えるという自覚があったので
「そっか、見えないのか、きれいな猫なのにな〜」
と思ったそうです。
そこから先も電車の車内で、到着した駅で、姪っ子の家の前で、まったく同じ猫を何度も見たそうです。

緊張したのか疲れてしまったY君は、お通夜が終わるとすぐに眠ってしまい、夢を見たそうです。
中年のおばさんが何か言いながら何かを一生懸命探しております。その姿と重なるように道中で何度も見た猫が必死で鳴いているような姿もうっすら浮かんで見えます。ですが、おばさんの声も猫の鳴き声も聞こえない全く無音の夢です。
何故だかY君にはお互いを探しているように思え、可哀そうになってきてしまい大泣きしながら目が覚めたのだそうです。

まだ起きていた大人達は、Y君にとっては初めての御通夜だし疲れてもいるだろうから、怖い夢でも見てしまったのだろうと思ったようです。
お母さんに宥められても泣き止まないY君でした。
すると、今までどこにいたのか大人達がいた部屋に襖を開けてY君のお婆様が入ってきました。
そのままY君の所まで来たお婆様は
「あたしが見てるからいいよ」
と言います。
Y君は相当なおばあちゃん子だったので、お母さんは
「では、お願いします」
と言って離れました。

すると、お婆様はY君にそっと小声で
「探してた物は、ばあちゃんが見つけたから大丈夫」
と言って、着物の懐からビニール袋に入った小さな白いぬいぐるみを出して見せました。
それを見たY君は安心してすぐ再び眠ったそうです。

本葬が終わり荼毘に付す前でしたが、Y君のお父様の仕事の都合もあって帰る事になりました。
いよいよこの家を後にする間際になって、お婆様は姪っ子のお父様、つまり御自分のお兄様にそっと
「これ、一緒に送ってあげなよ。どっちも離れたくないみたいだから」
と渡したものが、右目の下に一本の黒い線のような模様が入った白い猫のぬいぐるみだったそうです。
お兄様はびっくりしたようでしたが
「そうか。お前は昔からこういう事が分かるもんな、ありがとな」
と納得して受け取ったそうです。

実はお婆様も道中で見かける白い猫がとても気になっていたのだそうです。Y君には本物の猫と思っていたようですが、お婆様には最初から作り物の猫にしか見えなかったそうで、しかもその猫を何度も見ている内に長らく会っていない姪っ子が何かを探しているような姿まで頭に浮かんできたのだそうです。
何故かは分からないままでしたが、姪っ子の部屋で無造作に落ちていたぬいぐるみを見つけた時に「これだ」と思ったそうです。

実は姪っ子には娘がおり、猫が好きだったので自ら作ってあげた、ぬいぐるみだったそうです。しかし、その娘はまだ幼い内に亡くなってしまったそうです。
お婆様も当時は細かい事情までは知らなかったようですが、数年後にお兄様が教えてくれたそうです。
娘を亡くした後ずっと傷心のままだった姪っ子は、作ってあげた時には真っ白だった猫のぬいぐるみの右目の下に黒い線のような模様が入っていることに気づき、娘さんが悲しんで泣いているようにも思えて、仏壇にお供えして大切にしていたのだそうです。
病気になって入院する際はぬいぐるみも持って行っていたそうですが、亡くなった後に家族が病院から荷物を引き上げたのですが、他の荷物とともに姪っ子の部屋に置いたままだったのだそうです。

お婆様が懐かしんで話していた内容を教えてくれたY君なのですが
「俺は細かいとこよく覚えてないから、この話どこまで本当か分からんよ〜」
「ばあさまは怖い霊がいても俺には誤魔化してたからさ〜」
「でも、あの時は全然怖いとは思わなかったのは覚えてるけどね〜」
と笑いながら言っておりました。

posted by 未熟な修行者 at 23:30 | Comment(7) | 日記

薬師如来

2018年04月30日

仏様方の御紹介の第五弾です。
私は真言宗系ですので、真言宗での仏様のお話であり、目一杯の独断と偏見に満ちております。(笑)
また、御紹介する仏様の順序には特に意図はございません。
なお、他宗派での教えに異論を挟むものではございませんので御理解下さい。

病気平癒、身心健康という現世利益の仏様として信仰の篤い仏様である薬師如来様です。

日本での名前:「薬師如来(やくしにょらい)」
       「薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)」
梵名:「バイシャジヤ・グル」
   「バイシャジヤ・グル・バイドゥールヤ・プラバ・ラージャ」

「バイシャジヤ」と言うのは「医療」とか「薬」という意味が、「グル」は「導師」とか「尊師」とか「指導者」の意味があります。
「バイドゥールヤ」は「瑠璃」、「プラバ」は「光り輝く」、「ラージャ」は「王」とか「君主」と言った意味があります。

少し脱線しますが、インドで強大な権力を持つ豪族や王を「マハラジャ(正確にはマハーラージャ)」と呼ぶのを御存知かと思います。「マハー」が偉大、「ラージャ」が「王」を意味するわけで、ここで言う「ラージャ」と同じです。
話しを戻します。(笑)

薬師如来様は飛鳥時代から信仰されてきた仏様で、東方浄瑠璃世界という仏土(浄土)の教主です。

12の大誓願を起こしましたが、その中に「衆生を健康にしたい」、「衆生の病を癒したい」という誓願があったためか、病に対して特に功徳があるとされ多くの信仰を集めるようになりました。

左手に薬壺(やっこ)を持っている像が有名です。
この薬壺にはあらゆる病気を治す薬が入っているとも、悟れず迷っているが故の病を治す薬が入っているとも言われます。
日光菩薩像と月光(がっこう)菩薩像を脇侍とした三尊像で祀られている事も多いです。
また、眷属である十二神将像が共に祀られたり、薬師如来様の光背に配置されている事もあります。
しかし、平安時代より前の初期の像では薬壺を持っておらず、釈迦如来像と同じ印を結んだ像が多い為、薬師如来様一尊だけの像の場合は非常に見分けがつけにくいです。^^;

不思議な事に弘法大師様が請来した金剛界と胎蔵界の両部曼荼羅図には薬師如来様の姿は描かれておりませんが、金剛界曼荼羅の成身会(じょうじんね)の東方に配置された阿閦(あしゅく)如来様と同体という説もあります。


念の為に言っておきますが、病を癒す仏様だからと言って祈ればどんな病でも治ると言う訳ではありません。
まずは実際に現代の医療を受ける事です。
その上で祈れば、正しく生きてきた信仰深い人に対しては薬師如来様が実際の医療の効果に少し手を貸してくれるかも、と言う程度と思っていた方が宜しいかと思います。
本人の業を何とか出来るのは本人だけと御釈迦様も説いておられますが、本人の業による病であるなら如何ともし難いのではないかとも思います。
本当は、立場上こんな事を言うのは良くないのですが、薬師如来様の名前を持ち出して悪用する怪しげな新興宗教も多いので。^^;

posted by 未熟な修行者 at 00:46 | Comment(10) | 日記

超凹んでました

2018年04月16日

少々前の事なのですが。
私が凹んでいたのではなく、Y君とSさん、それからもう一人少々力のある方が凹んでおりました。
3人から同じ件で超凹みまくった内容のメールが来ました。特にSさんの凹みようが凄く、Y君に至っては怒り半分でした。

どう返していいのか分からず
「残念だけどそれ以上はどうしようもなかったでしょ。直接は関係無いのかも知れないし、仕方ないよ」
程度の返事になってしまい申し訳ない事をしましたけれど。

危なそうなので私は関わっていない(禁止されました)のですが、あっさり言ってしまうと3人がかりで手に負えず、それが直接の原因かは不明ですが残念な結果になった件があったのです。
そんな事態に対して何も出来ない私などが何を言ったところで慰めにもなりませんし、何の役にも立てない私自身が情けなくも思います。

こういった他者にはどうしようもない事が起きてしまうと、お金儲けではない本当の霊能者の方は嫌になってしまうのだろうなと思います。

関係者以外には何の事やら分からないと思いますが、もう少し細かい話を聞いてから記事にしようと思っています。


posted by 未熟な修行者 at 23:38 | Comment(7) | 日記

叱られました(笑)

2018年04月12日

1月に「とある日の師僧(1)」と言う記事を書きました。

……
………御師僧様に叱られました。(笑)

いえ、別にそれほど酷く叱られたと言う訳でもなくて、苦笑交じりだったのですが
「変な事を書くんじゃない」
と。^^;

誰からバレたのでしょう。御師僧様はインターネットなど見ないですから、きっと何人かいる御弟子さん経由からなのだろうとは思います。
その内には伝わるだろうなと思っておりましたので「バラすなよ!」とも思ってませんし、バレたところで別に構わないわけなのですが、想定していたより早かったなと。(笑)
御師僧様に対して持っている私の敬愛の気持ちも、御師僧様の飄々とした性格も十分御存知の方ばかりなので、きっと御師僧様の反応を見たくてニヤニヤしながらお話ししたのでしょう。私が他の御弟子さんの立場だったら同じ事します。(笑)
(御弟子さんって言っても私以外は全員立派な僧侶です)

ちなみに
「格好いいところなら書いても構わん」
と御師僧様は言ってました。(笑)
格好いいところは私も見ていて幾らでも知っているのですが、それは修法や修行をされているところが多く、あまり大っぴらに明かしてはいけない部分もあるため書きにくく、それなら素っとぼけた所の方が面白い書きやすいのです。^^;


それはともかく、変な事書くな、格好いい所は書いて構わんと言いながらも、やはり飄々としているのでどこまで本気で言っているのかも分かりません。そういう質問をしても答えてはくれませんし。^^;

お寺の名前も御師僧様の名前も書いておりませんし、私自身が身元も明かしていないので、御師僧様が誰なのかも分かってしまう事はないと思うのですが。
よく考えたら、かなりの変わり者である事を御存知の方であれば見当がついてしまう可能性もゼロとは言えないかも知れないと思いました。

何の記事を書こうかと困った時のネタになる(結構多いので)なと思っていましたが、とりあえず自粛することにします。(笑)

posted by 未熟な修行者 at 23:41 | Comment(6) | 日記

阿弥陀如来

2018年04月09日

仏様方の御紹介の第四弾です。
私は真言宗系ですので、真言宗での仏様のお話であり、目一杯の独断と偏見に満ちております。(笑)
また、御紹介する仏様の順序には特に意図はございません。
なお、他宗派での教えに異論を挟むものではございませんので御理解下さい。

多くの宗派で御本尊として祀られる事の多い阿弥陀如来様です。

日本での名前:「阿弥陀如来(あみだにょらい)」
梵名:「アミターバ」、「アミターユス」

浄土系宗派で御本尊としてお祀りされているとして有名ですが、それ以外の宗派でも御本尊とされる事の多い仏様です。
「アミタ」とは「無量」と言う意味で、「アミターバ」の下の部分「アーバ」は「光明」、「アミターユス」の下の部分「アーユス」は「寿命」という意味になり、「無量光仏」、「無量寿仏」とも呼ばれます。

西方にあるとされる極楽浄土の教主です。実は極楽と言うのは阿弥陀仏信仰で言う浄土なのです。
以前に仏教では天国ではなく極楽なのだと書きましたが、浄土と書くつもりがうっかり極楽と書いてしまったのではなく、一番認知されている浄土ですのでそう書いたと言う事にしておいて下さい。(笑)
(他の仏様が教主の浄土が他に幾つもあるのです)

極楽浄土の素晴らしさを説いている「阿弥陀経」、阿弥陀如来を念仏する事により極楽に生まれ変われると説く「観無量寿経」、出家して立てた48の大願と念仏の重要性を説く「無量寿経」があり、この3つを浄土三部経と言い、浄土系宗派では阿弥陀仏信仰の典拠とされております。

その内の「無量寿経」には次のような逸話が記されております。
遥か昔、インドの国王が王位を捨て出家して「法蔵」と名乗りました。修行して悟りを得たら全ての衆生を救える浄土を作るにはどうすれば良いか、五劫という長い時間思案されました。
一劫は約4億3200万年と言われますので五劫は21億6000万年になります。(諸説あります)
(そのため大変特徴的な五劫思惟阿弥陀如来坐像という像もありますので検索してみて下さい)
ともかくそれほど長い間考え抜き、48の大願を立てて厳しい修行をして遂に悟りを開いて仏陀となり極楽浄土を建設しました。
その48の大願の中の第18番目に、自分(阿弥陀仏)を信じて名前を唱えた者を極楽浄土に往生させよう、それが出来ないなら自分は仏陀になる事をやめようと言う大願があります。

だいぶざっくりした説明で書きましたが簡単に言ってしまえば、これが「南無阿弥陀仏」と唱えましょうと言う念仏の根拠となったものであります。

阿弥陀仏信仰は鎌倉時代に成立した浄土宗や浄土真宗からだと言う方もおりますが、飛鳥時代には既に日本に伝わっており、平安時代後半には末法思想が広まり阿弥陀仏信仰が盛んなり、鎌倉時代の浄土宗や浄土真宗によって更に盛んに信仰されるようになったのです。
ちなみに真言宗でも金剛界五仏の一尊とされており、御本尊としているお寺さんも多くあります。

御本尊とされている事が多いためか、仏像としても非常に多く目にする事が多いです。
鎌倉の大仏も阿弥陀如来坐像です。
ちなみにですが、座像は古い時代の物が多いです。
後世になると立っている姿の立像が多く作られるようになりましたが、立像は亡くなった方を迎えに行く姿とも言われます。阿弥陀仏信仰が盛んになるにつれて立像が多く作られるようになったようです。

posted by 未熟な修行者 at 00:27 | Comment(8) | 日記

神棚のお祀りの仕方

2018年04月05日

神棚をきちんとお祀りする方法を知りたいというコメントがございましたので記事に致します。
ですが、実はネットで検索すれば幾らでも出てきます。特に神具を扱っているお店のWebサイトには詳しく載っておりますので、一般的にはそういった所を参考にお祀りすれば大丈夫です。

それだけではあまり記事にする意味がありませんので、こうしたらいいよ、と元神職のSさんに教えて頂いた事を書かせて頂きます。元神職としての知識だけでなく、現在までにこうした方が良い、これでも問題無いとSさんが感じた経験に基づいたものもあります。
なので、正式に言われている祀り方と違う所もあるかと思いますが、それらを否定するものではございません。御理解下さい。

なお、私自身が詳しい訳では無いので非常に読み難い記事になりますが御容赦下さい。(笑)

原則的には氏神様の神社で御札を授与して頂く時にお祀りする方法を聞いて下さい。
神社や神様によっては稀に一般的ではなく少々独特な方法でお祀りした方が良い場合もありますので、御札を授けて頂いた神社で確認された方が確実です。



まず、神棚をお祀りする御部屋と場所を決めるのですが、御家族が一堂に会する機会の多い御部屋で、出来るだけ外の自然光が入る明るい御部屋の方が望ましいそうです。廊下や扉の上など人の通りが頻繁な場所は避けます。
設置する際は、北側の壁に南向き、もしくは西側の壁に東向きで、やや見上げるくらいの高い位置に設置する方がいいのですが、絶対と言う訳ではないそうです。

神棚を設置する予定の場所で、神棚の正面と背面、両横、上下の直線上に御家庭の水場が来ない位置にする方が良いそうです。部屋や壁や扉を挟む場合であっても、直線上にトイレ、洗面台の流し、キッチンシンク、浴室などが来ないように気をつけます。しかし住宅事情により難しい場合は最低でもトイレだけは直線上に並ばないようにして下さい。
それから、神棚の設置場所の上を人が歩く(集合住宅や一軒家の上階など)場合、神様の頭上を人が歩くことになり失礼に当たるので、神棚の真上の天井に「雲」とか「天」と書いた半紙を張り付けるといいです。

神棚の設置場所は綺麗に掃除するのは当然ですが、出来れば御部屋ごと掃除した方が好ましいです。
日本酒と御浄めの粗塩を使って浄めるのが一番いいそうですが、壁や柱などの材質によっては変色したり染みになる恐れがある(ほぼなります)ので、丁寧に掃除するだけでも大丈夫です。

次に御札を入れる神棚、正確に言えば宮型と言いますが、神殿を模した豪華な物から簡易的な物まで色々ありますが無理に豪華な物にする必要はなく、手頃な価格で入手できる物や簡易的な物でも問題はありません。
宮型で一般的な物は「一社宮」か「三社宮」と言う、扉が1つか3つかの違いです。
「一社宮」であっても御札を重ねて入れるのは構いませんので、その辺りはあまり気にせずに設置スペースなどを考慮して選べばよいでしょう。

宮型を設置する前には、水道水で構わないので手と口を浄めます。神社の参拝の時と同じですね。
出来るだけ清潔なタオルなど(新品でなくても構いません)で手の水分を拭き取ってから、選んだ場所に宮型を設置します。御札はまだ入れなくて結構です。

宮型に授与して頂いた御札を入れる前にも、水道水で構わないので手と口を浄めます。
それからマスクをして下さい。マスクをするのは御札に息をかけないようにする為です。タオルなどで鼻と口を覆っても構いません。これは大事な事ですので必ず守って下さい。

御札は天照大神様の神宮大麻と呼ばれる御札、氏神様の御札、場合によっては他にもお好きな神社(崇敬神社と言います)の御札と言うように複数の御札があると思います。
宮型に入れる前に御札を何処かに置く場合には、綺麗な半紙やタオル(これは新品が良い)を敷いたテーブルや机などの上に置くようにして下さい。床に置くのは絶対に駄目です。
大抵の場合、御札は薄い紙で覆われていて文字が透けていると思います。この薄い紙は汚れないようにする為の物なので通常は取り去りますが、取らなくても大丈夫だそうです。

「一社宮」の場合、前から神宮大麻、氏神様の御札、崇敬神社の御札となるようにお入り頂きます。
正面から見ると神宮大麻が見えている形で、御札は3体くらいまでにしておく方が良いです。
神宮大麻、氏神様の御札は必ずあった方がいいですが、崇敬神社の御札は無くても構いません。

「三社宮」の場合、中央に神宮大麻、向かって右に氏神神社の御札、向かって左側に崇敬神社の御札にお入り頂きます。複数の崇敬神社の御札がある場合も、左側に重ねてお入り頂く形になります。こちらも御札は多くない方が良く、多くても全部で4〜5体にしておいた方がいいです。崇敬神社の御札は無くても構いません。

中にお入り頂く御札以外にも、厄除けや祈願の御札を授与して頂く事があるかと思いますが、それらは宮型の中には入れません。宮型の横に並べて置くようにして下さい。

御札にお入り頂きましたら、米と粗塩と日本酒、お水をお供えします。
本来であれば正式な神具(瓶子二本、水玉、高杯、平皿など)が必要ですが、正式で物でなくても構いません。
百均ショップで売られている小さくて白い丸皿を2つ購入して、綺麗に洗ってから水気を完全に取り、お米と粗塩をそれぞれ少量入れます。(混ぜるのではないです)
お米を入れた方は宮型の正面に置き、粗塩の方はその右側(向かって)に置きます。

日本酒はワンカップでも構いません。お水は小さなペットボトルでも大丈夫です。(開けなくても良い)
これらはお米や粗塩の丸皿の横の空いた所に置いて構いません。置き方にはそれほど拘らなくとも問題無いそうです。

榊もお供えした方がいいのですが無くても構わないそうです。
お供えする場合は榊立(花瓶みたいなもの)が必要です。こちらも百均ショップで売られている物でも充分だそうです。
もし神棚を最初にお祀りする時にお供えするならば造花ではなく、本物の榊を花屋などで購入して用意した方がいいそうです。置き場所は宮型の両脇より少し前で構わないそうです。

宮型の扉の前に御神鏡を置かれる方もいらっしゃいますが、神職の方を呼んで御祈祷して貰い、御神鏡に入って頂くのでない限りは無くても構いません。

ここまで出来ましたら神棚の扉を開けておき、祝詞を唱えます。(もうマスクも取っていいです)
お金はかかりますが神職の方を呼んでお願いしても構いません。でも自分で行なっても大丈夫です。
祝詞なんて分からないと言う方、インターネットで「神棚奉斎詞」と検索すれば出てきます。
こちらは神棚を最初にお祀りした時の祝詞です。ゆっくりで構いません。


普段のお祀りの仕方ですが、こちらが重要な点です。
まず、お供えから。
お供えしたお米と粗塩、日本酒は毎日取り換えると言う方もおりますが、毎日でなく月に1度でも大丈夫だそうです。
下げたお米は出来れば、御家族が炊くお米に混ぜて炊いて食べた方がベストです。数日置いたお米を炊いて食べる気にならなければ、お庭などに来る雀などの野鳥にあげても構いません。
神様からのお下がりになりますので無駄に捨てるのは絶対厳禁です。
粗塩はお庭や玄関前などに、お浄めの塩として撒いて大丈夫です。(捨てた事にはなりません)
日本酒は自分で飲むか、粗塩と同様にお浄めとして撒いても構いません。

お水は毎日取り換える方が望ましいです。
未開封のペットボトルのお水であればすぐに腐る事もありませんので月に一度でも問題ありません。
器に入れたお水の場合で、面倒で何日も放置したままになるなら、お水はお供えしない方がマシだそうです。
下げたお水は傷んでなければ飲んでも構いませんし、飲むのが不安であればお庭やプランターなどの植物にあげても構いません。

榊が本物の場合は毎日榊立の水を換えねばなりません。このお水は普通に捨てて構いません。榊は枯れてきたら取り換えるようにします。
なお、普段は造花でも良いそうですし、特に無くても問題は無いそうです。

一番大事なのは、毎日出来るだけ早い時間に身支度を整えてから手を合わせる事だそうです。
神社の参拝と同じように、まず二拝二拍手します。手を合わせたまま短い祝詞を三度唱えます。
こちらの祝詞は書いておきます。神社にも参拝時の作法として唱えるよう書かれていることも多いです。
「祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え」
(はらえたまい、きよめたまえ、かむながらまもりたまい、さきわえたまえ)
三度お唱え終わったら、神棚にいらっしゃって下さる神様方の御名前をお呼びします。(〜〜神社の御祭神様という呼びかけでも良いそうです)
日々お守り頂いている事への感謝をします。その後で何か御願い事があればしても構いません。最後に一拝します。
時間にすれば5分もかからないようなことです。余程の事情が無い限り、その家の御主人もしくは奥様のどちらかが必ず行なうようにします。もちろん御家族皆さん揃って行なっても構いませんし、手を合わせたい人が別々に行なっても構いません。

毎日手を合わせる事が何よりも大事な事だそうで、満足なお供えが出来なくとも絶対に欠かしてはならないとSさんは言っておりました。
あと出来れば、御札を頂いた神社には時間のある時で構わないので出来る限り参拝し、普段守って頂いている感謝をすると尚良いと言っておりました。


ああ、また長くなってしまった。簡潔に書けない文章力が恨めしい。^^;

posted by 未熟な修行者 at 22:53 | Comment(13) | TrackBack(0) | 日記

意外と凄い結界でしたD

2018年03月29日

当初、思っていたよりも長くなってしまいました、これで終わりになります。^^;
続きです。

Sさんの祝詞奏上が終わりました。
「はい、これで全て終わりました。もう大丈夫ですよ」
御夫婦がホッとした顔になります。息子さんは途中で飽きちゃってたみたいですが。(笑)
「いや〜、途中で明らかに感じが変わりましたね〜」
とY君。
すると奥様が
「私も何となくですけど雰囲気が変わったと思った瞬間に、Yさんが『おっ』って言ったので、ああやっぱりそうなのかなって思いました」
と言います。
どうやら御主人より奥様の方がその辺りは敏感に感じ取れるようです。

それはともかく、Y君が何か落ち着きが無くなっています。どうしたのかと思ったのですが
「霊が入れないか試してみたいな〜、いいですかね〜?」
と言い出しました。
Sさんが苦笑しながら
「いいですよ、神様の力を試すと言う訳ではなく安全確認と言う事で」
と答えると、Y君がウキウキしながら玄関先に出ていきます。皆でY君の後についていきました。
Y君が御宅の敷地の外に出て、その後に敷地内に戻ります。
「お〜、すげ〜、中と外で全然違うね〜」
と出たり入ったりを繰り返しているので、私もやってみました。
確かに敷地内と敷地外では結界を張った部分を境にして、肌に感じる空気感のようなものも全然違います。敷地内では爽やかな感じで何だか頭もハッキリするのですが、敷地外だとネットリした空気で若干視界がぼやけるような頭が僅かに重いような(初期の鼻風邪の時みたいな)感じがします。最初にこの御宅に来た時にはまったく気付かなかった(Sさんしか分からなかった)ですが、結界を張ってみると内と外で違う事がハッキリ分かります。これほど違うとは驚きでした。
奥様も試して、一歩入るだけでスッキリした感じがする、と言っていました。
ただ、御主人はあまりよく分かっていないようでしたが。^^;

Y君が
「ん〜、あそこにいる霊が入れるかな〜。息子さんに霊を憑けて試すわけにはいかないし〜、どうしよ〜」
と言い出しました。
やっぱりそう来ますよね…私に憑けてみるのでしょうね。^^;
1体しかいなくなってましたが、少し離れた所に立っていたその霊の近くまで行き、Y君に憑けられました。正確には後をつけてくるだけで、とり憑かれたという程のものではありません。
憑けてもらった瞬間にそこそこ不快感に襲われたので、あまりいい感情を持った霊では無い(悪い霊と言う程ではないですが)のでしょう。
「この霊、結構気持ち悪いんだけど」
と言う私の抗議は当然の事ながらスルーされまして
「はい、そのまま家まで行くよ〜」
とY君は楽しそうです。

御宅の方に向かって歩いて行って敷地に入った瞬間に、霊が離れたのが私にもわかりました。
「おお!」
と私とY君。
霊は私が足を踏み入れる直前の敷地外に暫く佇んだ後に、そのまま遠くに移動していきました。
「息吹でしたっけ、前にSさんに霊を祓って貰った時の感覚によく似てますね」
と私が言うと
「そうですね。この結界も息吹も神様の力を借りての事なので似ているのでしょうね」
とSさん。
この後にY君がもう少し強い霊ならどうなんだろうと言い出しました。もちろん冗談ですが。^^;
Sさん曰く、どんな霊が来ても絶対に安全と言う訳ではなく、Sさん自身が神様に祈願した力を上回るような霊であれば効果が弱いかも知れない、しかし弱い結界であっても無理矢理に通り抜ければ霊にもダメージがあるし、家の中にはきちんと神様がお祀りされているので入り込めば更にダメージがあるので通ろうという霊はまずいないはず、更に御家族がきちんと神棚をお祀りし続ければ神様の力は強くなるので、そういった意味でも入って来れなくなるだろうとの事でした。

この後で、Sさんから御夫婦に説明がありました。
長く結界を有効に保つために色々と細かい約束事もあるのですが、原則となるのは毎日なるべく朝早めの時間に神棚に手を合わせて感謝と守って頂けるようお願いすると言う事が大事なのだそうです。
「要は失礼の無いようにきちんと神様に感謝とお願いをしていれば、この御宅を守り続けて下さいますから」
とSさん。

誤解を避ける為に書いておきますが、今回は家を建てた場所の正面が偶然に霊が通りやすい道であり、その道から玄関までの間に簡易的な結界になる塀なども無い、しかし両隣と背後の家には簡易的結界になり得る塀などがあるので入ってきた霊が出にくくなってしまっている、更にはどうやら息子さんが霊を呼び寄せてしまい易い感じがする、これらの要因が重なっていると思われる為に結界を張り、きちんと神棚をお祀りした方が良いと言う判断をしたそうです。
このように結界まで張らねばならないケースはそれほど多くないそうで、わざわざ別に結界を張らなくても、きちんと神棚をお祀りしているだけで家の壁自体が結界のようになって守られる事もあるそうです。

Sさんが言っておられましたが、今時の若い御家族の御宅だと神棚が無い事も普通に多いですが、それなりの御年の御家族がいらっしゃる御宅などで神棚があってもきちんとお祀りされていない為に、ただ神棚があって中に御札が入っているだけの状態になってしまっている事も多いそうです。
滅多にある事では無いそうですが、中には誤ったお祀り方をしている為に良くない影響が出てしまう場合も無いわけでは無いので、お祀りするならきちんとお祀りする事を心掛けるべきだそうです。


例によって長くなりましたが、これで終わりです。^^;

posted by 未熟な修行者 at 00:55 | Comment(16) | 日記

意外と凄い結界でしたC

2018年03月26日

続きです。

SさんがY君に
「ひとまず結界を張ってしまいますので、もう少し見張っててください」
そして奥さんとお子様には
「少々時間がかかりますので、こちらにいて下さい」
と言い、Y君の傍にいるように指示します。

それからSさんと御主人、私の3人は玄関側とは反対の家の裏に向かいます。
御主人に
「では、今から結界を張っていきます。私が指を差しながらゆっくりと歩きますので、そこに線を引くような感じで少量の日本酒を撒いていって下さい。線と言っても多少途切れるたりするのは問題ありません。ただ、土地をぐるっと囲むようにしますので途中で切らしてしまわないよう指で塞いで調節しながら少量を撒いていって下さい」
私には
「続けて、日本酒をまいた所にお清めの塩で線を引くように撒いて下さい。こちらも多少途切れたとしても大丈夫ですので、少量で構いません」
と言います。

「では、私が指を差したら、それぞれ撒きながらついてきて下さいね」
Sさんは2度軽く柏手を打ってから、祝詞を小声で唱え始めました。
時間にして3分くらいだと思います。
後から聞きましたが、家の裏手で祝詞を唱え始めたのは御近所から奇異な目で見られる事を避けるためだそうで、小声なのも同様の理由だそうです。

祝詞を唱え終えったSさんは一度深く頭を下げてから、すっと地面を指差し小声で何かを繰り返し唱えながらゆっくり歩き始めます。
そこに御主人が日本酒を少量ずつ撒いて、私がその上から粗塩を撒いていきます。
凄く狭くなっている場所もありますし、撒き方がぎこちない事この上ない(笑)ので、一周するのに10分程かかったと思います。
何とか一周終わって元の場所に戻ると、Sさんは再び小声で祝詞を唱えます。今度は30秒もかかっておらず最後に深々と頭を下げます。

「はい、ここは終わりです。まだとりあえずの形なので再び神棚に行きますよ」
そうSさんが言い、玄関前へ戻りました。
Y君と待っていた奥様とお子さんに向かって
「とりあえずの形ですが結界は張りましたので入って来ないと思います。強い結界にするために再び神棚の所に行きましょう」
と告げます。
この時点で、私は結界が張られて何かが変わったという感じはしませんでした。清浄になった感じがしたりするのかと思っていたのですが。Y君もこの時点では何も変わった感じはしなかったと言っておりました。

全員が神棚の前に集まると、Sさんがお子さんに向かって
「ここには神様がいるんだよ。このお家に変な人が入って来ませんように、神様守って下さいって御願いしようね」
と言うと息子さんが頷きます。
この後はSさんの指示通りに、全員で二礼二拍手一礼、そしてSさんを除く全員は手を合わせて軽く俯いたままで、この家と家族を守って下さいと念じ続けます。
Sさんが祝詞を奏上し始めます。
外とは違って小声ではありません。大声と言う訳でもないですが良く通る声で、さすが元神職です。
結構長かったです。
後から聞いた話では神棚に神様をお祀りする際の祝詞、御宅と家族を守って貰う事を願う祝詞、張った結界を神様の力で強く永く保って貰う事を願った祝詞、これらをすべて合わせた祝詞なので長かったのだそうです。

実は祝詞の途中で空気と言いますか、家の中の感じが急に変わったのがはっきりと分かりました。
ピシッと張り詰めたような、喩えて言うなら朝早い時間の神社の聖域のような感じです。
私自身は暗いとは感じてはいなかった(Y君は最初から薄暗いと感じていた)のですが、急に明るくなったようにも感じました。
Y君も私と同時にそれらを感じたようで、祝詞の最中だと言うのに
「おっ!」
と小さく声を出していました。^^;


すみません、あと少しでこのお話しも終わりなのですが睡魔が。(笑)
続きます。


posted by 未熟な修行者 at 23:06 | Comment(5) | 日記

意外と凄い結界でしたB

2018年03月22日

続きです。

Sさんはその家に行って下さる事になりましたが、すぐは都合がつかないのと、結界を張るなら適した日があるとの事ですぐに行くことは出来ません。
Y君経由でSさんの言葉を伝えました。
どちらにしても結界は張った方がいいと思う、商売ではないので結界を張る事自体の料金は不要。
ただ、しっかりした結界を張るなら色々と自分達で買い揃えておいて欲しい物があり、更には氏神様の神社で祈祷をして頂く必要があって玉串料として幾らかのお金はかかり、これらすべてで3万円前後はかかるかと思う。
でなければ、お金はほぼかからないが効果も弱く有効期間が短い方法もあり、こちらの場合は効果がある内に玄関前に塀を立てる(DIYでも可)などの必要がある。
どちらがいいか決めて欲しいと言う事でした。
御家族は前者の方で了承しましたので、用意しておいて欲しい物を伝えました。

Sさんが行くまで、Y君が2日に1度ほど見に行く事になりました。
と言っても、家の外からでも分かるので質の悪い霊が来ていないかを前を通りかかるだけでしたが。
たいした事無さそうであれば何も言わないので、少し不気味な事があっても気にしないで大丈夫と言っておいたらしいです。
でも、見かけた事の無い人が頻繁にウロウロしていたわけですから、近所の人に物凄く怪しまれたらしいです。(笑)

そして、Sさんが御宅に伺う日が来ました。
待ち合わせ場所は御宅の氏神様の神社です。
御家族とY君と私とSさんの全員で神社に参拝します。
事前に御夫婦が神社に御願いしておいたのですが、持ち込んだ日本酒三升(その内、二升は奉納品)と粗塩1kgを御祈祷して頂き、神宮大麻と氏神様の御札を授与して頂きました。
(日本酒と粗塩の御祈祷は御願いしても受けてくれない神社もあります)

それから御家族の御宅に行きました。
その道中で私はY君に見えるようにされました。^^;
SさんはY君が取ったその方法も目の当たりにしたので
「なるほど、それがきっかけになって見えるようになるんですか。面白いですね」
と妙に感心しておりました。
私としても、Sさんがどう結界を張るのか、その効果はどうなのかを実際に見たいので、今回は私の方から見えるようにしてもらうつもりだったため今回に限っては文句はありません。(笑)

少し広めの道路から直角に入った道の突き当りに御宅があります。と言っても行き止まりではなく御宅の前で曲がっていて道が横に伸びています。
霊が通りやすい道のようだと聞いておりましたが、特に私は何も感じません。実はY君もそういうのはよく分からないみたいです。
御宅の前から延びる道路のかなり離れた所に突っ立っている霊はおりました。別に悪そうではありません。
Sさんは、霊の通り道と言う程ではないけれど若干通り易い道に感じる、更には突き当りなのでそのまままっすぐ進んで来てしまい易い感じがすると言っておりました。

御札は車の中に置いておき、御祈祷して頂いた粗塩と日本酒を持って御宅にあがらせて頂きました。
「分かってたけど、やっぱりいたね〜」
とY君。
私も見ましたが、御高齢の女性の霊が佇んでおりました。^^;
と言っても悪い霊ではなさそうです。
「では、まず出て行って貰って、お家の中を清めましょう」
とSさんが言います。
Y君が説得したらすぐ出て行ってくれました。見ておりましたが普通に玄関から出ていきました。

予め用意しておいて貰った白い平皿と半紙を出して貰うと、日本酒を平皿に少量注ぎ、粗塩を一つまみ入れました。
半紙を細く千切って束にすると、平皿の中の日本酒に軽く浸しました。
御主人が予め作っておいた神棚の設置場所に、その濡れた半紙を軽く叩きつけます。
実は既にSさんにお話しはして、それで大丈夫です、と言われてはいたのですが、私が以前に書いた心理的瑕疵物件Fの時の方法とほぼ同じ事をされていたので、概ね間違いじゃなかったとホッと安心したのは内緒です。(笑)

SさんがY君に
「玄関前に行って、新たに別の霊が入り込まないようにしておいて下さい」
と言うと、Y君が出ていきます。
御主人に用意しておいた神棚を持って来て貰い、設置しました。

それから御主人に
「御家族皆さんで車の中から御札を持って来て下さい。両手で御札を持った御主人を先頭にして次に奥様とお子さんの順番で玄関から入ってきて下さい。慌てなくて大丈夫ですから」
御家族が取りに出ると、Sさんは半紙を一枚半分に折って唇で軽く咥えます。
戻ってきた御主人から御札を受け取ると恭しく頭を下げてから、神棚の中に入れていきます。
そして、半紙を唇から離すと小さく折り畳んでポケットにしまいました。

「では結界を張りに行きましょう。お清めの塩と日本酒を持ってついてきて下さい」
とSさんが言います。
私が粗塩を持ち、御主人が日本酒の瓶を持ち、奥様はお子さんを抱えて、Sさんの後についていきます。

玄関から外に出るとY君が暇そうに立っていました。
「さっきから向こうの方にいるけど近付いてきてはないよ〜」
指を差した方向を見ると、御宅に着いた時に立っていた霊に加えて別の霊も離れた所に立っています。
Y君がお子さんに
「あっちにいる人見える〜?何人いるかな〜」
と聞くと、お子さんは指を2本立てました。
「しっかり見えてるね〜」
とY君が苦笑します。


続きます。

posted by 未熟な修行者 at 23:25 | Comment(8) | 日記

意外と凄い結界でしたA

2018年03月17日

続きです。

Y君が撮影した画像を見て貰ったのは霊能者のSさん。Y君や私が信頼している霊能者のお一人で、私よりも少し年上の方です。
物心ついた頃から霊を見る事があったこともあり、神職となって神社で数年間お勤めしてましたが、その後はどういうわけか神職から離れ、ずっと普通の会社員として働いているのだそうです。
やはり、知り合い限定で相談に乗るくらいで、霊が見える事も原則的には内緒にしているそうです。

Sさんと言う人がいると言う事は(霊が見える知り合い達の間での)噂では知っておりましたが、実際に知り合いになったのは割と最近のことです。
初めてお会いしたのはY君と私、それからSさんの三人でした。
実はSさんが受けた相談で霊を祓える人を探しており、知り合いの伝手を辿ってY君の名前が挙がったのだそうで。もちろん私はついででして、興味があったのでついていったのでした。(笑)


Sさんに会う前に私はY君に霊を憑けられました。当然見えるようにもされております。(笑)
憑けられたと言うと大事のように感じますが、適当にそこらにいた弱い霊が私に付きまとうようにしたのです。
どうやったのかは分かりませんが、私の苦情に
「いいじゃ〜ん、Sさんが本当に見えてるか分かったら、すぐに追っ払うから〜」
実際の所、体調にもほとんど影響はありませんでしたから、そこらをウロウロしていた本当に弱い霊だったのだと思います。

そしてSさんとお会いしたのですが、お互い自己紹介が終わるなり私に
「それ見えてますよね。何でそのまま連れて歩いているんです?」
と苦笑しました。
Y君も笑いながら
「どんなのが見えてますか〜?」
と聞きます。
「50代くらいの中年女性で、髪は肩くらいまで、茶系の上着で茶系のバッグを・・・あ、これテストですかね?」
と笑いました。
書くまでもないですが、ばっちり当たりです。
Sさんはその後で
「これくらいの霊なら私でも」
と言い、小さな声で何か呟いてから霊に向かってフッと息を吹きかけました。
すると霊が離れていきました。

あっさりお互い信用ができました。初めはこういう出会いでしたね。
それはともかく私は強制的に見えるようにされたままなのを何とかして欲しかったのですが。^^;

Sさんは元神職と言っても、霊を祓うのはそれほど得意ではなく弱い霊くらいしか祓えないとのことです。
得意なのは霊が集まりやすかったり通りやすかったりする場所が分かる事で、さすが元神職と言うべきなのかそういった場所に結界を作る事が出来るのです。

Sさんが受けた相談のお手伝いをして欲しいと言うで会う事になったのですが、Y君が
「俺、結界とか作れないから知り合いになっておくのもいいかな〜って」
と言う理由でお会いしたのでした。私は単純に興味があったと言うだけでした。(笑)


話を戻して、Y君が写真を送ったのは、このSさんです。
「この家、玄関の辺りがあまり良くないですね」
「どういう風に良くないんですかね〜?」
「写真だけだと大半が推測になりますけど」
とSさんが話しだしたのは以下のような事でした。

周りの道路などを見る限りでは、立地的に霊が通りやすい道に思える。
以前に老夫婦が住んでいた家の時には、例えば塀、大きな石、植えられていた樹木などがあって結界を張ったような作用をしていたのだと思う。できれば霊がまっすぐに入って来ないよう玄関前は塀などがあるといい。
今の家は道路に面してすぐ玄関があり遮る物が何もない上、囲んでいる周りの家は全て塀や生け垣があるので入ってきた霊が通り抜けにくい。
実際には見てみないと分からないけど入りやすい環境ではあると思うので、もし子供が呼び寄せてしまい易いなら何らかの結界になるようなものを玄関前に作るなどの対策をした方がいい。
そのような事でした。

「実際にその家に行って見ましょうか?間に合わせだけど結界を張ってもいいですよ」
との事になりました。


あ、しまった。知り合いになったきっかけを書いていたら長くなってしまった。^^;
続きます。(笑)

posted by 未熟な修行者 at 00:18 | Comment(9) | 日記

意外と凄い結界でした@

2018年03月10日

半年ほど前の話です。
とある御家族から、Y君に相談がありました。

30代の御夫婦と4歳の息子さんの御家庭で色々と不気味な事が起こるとのことでした。
新築の家なのですが、家族以外の気配が常にあり、息子さんはおじさんがいると言うのだそうです。
御夫婦は二人ともはっきり姿を見たという訳ではなく、リビングから廊下に通じるドアのガラス越しの向こうで何かが移動したようなボンヤリした人影らしきものを一瞬目にしたくらいだそうです。リビングに家族全員が揃っていますので当然そこには誰もいない筈で最初は泥棒かと思ったそうです。ドアを開けても家の中隅々を探しても誰もいなかったそうです。
また、御主人から呼ばれたと思って奥さんが返事をすると御主人は呼んでないと言う事が良くあるのだそうです。
ちょっと不気味なのは深夜にお子さんの声が聞こえて目を覚ますと、お子さんが上半身を起こして誰かと会話しているように喋っていたと言う事も度々あるのだそうです。

ここ数年、この御家族の近親者に亡くなられた方がいるわけでもありません。この家の近所でも亡くなられた方はここ3年程はおりません。
この家が建つ前は老夫婦が住んでいましたが、高齢の為お二人とも老人ホームに入っておりますが至って元気で暮らしているそうです。

Y君が呼ばれて見に行ってみると、家の中には50代くらいの男性の霊がいたそうです。
私は時間が取れませんでしたので行っておらず後からY君に聞きました。
特に悪さをしようと言う霊でも無かったようで、拍子抜けする程あっさりと説得に応じて出て行ってくれたそうで、Y君はそのお宅を後にしたそうです。
その日から不気味な事が起こることはなくなり御夫婦は安心されたそうです。

「だけど、あの家の印象がちょっと気になってんだよな〜」
何かは分からないのだそうですが、新築の家で照明も明るいのにも関わらず薄暗く感じるのと、何故か若干の圧迫感があるような居心地の悪さを感じたのが少し気になってはいたのだそうです。
Y君にしては珍しくいつまでも気にしておりましたので、また何か問題があれば相談あるだろ、と私は冗談ぽく言っていたのです。

しかし、二週間ほど過ぎたある日、息子さんが再度おじさんがいると言い出したそうです。
奥さんが息子さんに聞いてみると前回とは違うおじさんだとの事。それから真っ黒な人がいると言ったそうです。
その頃から、誰もいない二階からミシミシと誰かが歩くような音がしたり、旦那さんではない誰かのボソボソした声が聞こえたりし始めたそうです。

再びY君が呼ばれて訪れました。私はこの時も同行してません。
同じ霊が再び入り込んだのだろうと思っていたそうですが、息子さんが言うとおり確かに違う中年男性がいたそうです。この霊も説得してみるとすぐに出て行ってくれました。
他に真っ黒なと言うよりかモヤのような濃いグレーの霊がいたそうです。こちらは消えかけの霊なのか説得をしようにも何の反応も示さずに、ずっとそこにいるだけなので強制的に祓ったそうです。

これでいなくなりましたが、こう短期間に入り込んでくるのは、もしかすると御家族の誰かが呼び寄せてしまっているのではないか、ひょっとすると霊の姿をしっかり見ているので息子さんである可能性が一番高いのではないだろうかと思ったそうです。

そうだとすると近い内に再び霊が入り込んでしまう可能性も無いとは言えません。
この時にY君は
「しまった〜、さっきの霊にどうして入ってきて居座ったのか聞いてみれば良かった〜」
と思ったそうです。
勿論私もこの話をY君から聞いた時に、霊に聞けるんだったら何故聞かなかったんだと、突っ込んでおきました。(笑)

基本的には呼び寄せてしまい易い人でも、家の中にまで入り込ませてしまうと言う事は案外少ないです。
勿論、外から連れてきてしまうと言う事も無いとは言えないのですが、説得を聞いて素直に出ていくような霊であれば尚更好き勝手に家の中まで入り込んで来るような事はあまり無く、仮に迷い込んできても自らすぐ出ていく事が多いです。

呼び寄せやすい人がいて、その場所自体が居心地が良いので居座ってしまうのかも知れません。
Y君が照明は明るいのに薄暗く感じたり居心地が悪いと感じたのは、この家に何か別な問題があって霊にとっては居心地がいい状態になってしまっているのかも知れません。

そこでY君は、再び霊が入ってきてしまうような別な問題があるかも知れない、そっちに詳しい人に見て貰うので、と許可を貰って家の中と外観を色々な角度からスマホで撮影させて貰いました。
撮影した画像は知り合いの別の霊能者に送って見て貰いました。
するとその日の内に返事が来ました。

「この家、玄関の辺りがあまり良くないですね」
でした。


続きます。

posted by 未熟な修行者 at 00:12 | Comment(12) | 日記

正しく生きるとはB

2018年02月28日

続きです。

正しく生きるとは具体的に何かを「十善戒」をベースとして書いております。
今回は「十善戒」の「三業」の内、「意」に当たるもので、3つあります。
「意」は心で思ったり、物事を感じたりする働きと考えて下さい。
「三業」の内、「身」や「口」よりも重要視されております。
と言うのも、人は「身」や「口」の行動の前に、心で考えたり物事を感じるからです。
例えば「お金が欲しい」と考えたり感じたりして、「盗み」を働いたり、そこまでいかなくともお金を持っている人を妬んで悪口を言ったりしてしまうというような事です。
つまり一番の根本的な部分であると言われているのです。


不慳貪(ふけんどん)
物惜しみをしたり、貪りの心を起こしてはならないと言う事です。
「慳」が自分の所有物を手放したくないという物惜しみを意味し、「貪」が未所有の物を手に入れたいなどの貪りを意味します。

誤解されやすいところなのですが、自分の所有物は惜しみなく人に渡しなさい、物を欲しがってはなりません、そういった欲から離れなさい、と言う事ではありません。
もしそうだとすれば、働いてお金を得るのも、働いたお金を貯めて欲しい物を買うのも駄目と言う事になってしまいます。

当たり前の事ですが、自分が働いて報酬としてお金を得て、欲しかった物を買うのはまったく構わないのです。
ただ、「足るを知る」と言う言葉がありますが、分不相応に何でも欲しがらずに身の丈にあった分だけで満足し、過剰な貪りの心を起こさないと言う事です。

また、自分のお金はたとえ1円でも人には渡さないなどと考えるのではなく、余裕があるのであればたった1円であっても寄付をして、他の人にも喜んでもらおうとする、他の人も幸せになれるようにと願える気持ちが大切と言う事です。


不瞋恚(ふしんに)
簡単に言ってしまえば、怒ったり恨んだりしてはならないと言う事です。
誤解される方がおりますが「怒る」と「叱る」は別ものです。

「怒る」と言うのは自分の思い通りにならない、自分はこいつが気に食わない、自分が欲しいものが手に入らない、自分の考えと違う、などのように自分を中心に考えたもので、つまりは仏教でいう「自我」を中心としたものである事が殆どです。
また「怒る」というのは行動でもありますが、心の中でくすぶった状態の「怒る」もあります。

「叱る」と言うのは、相手の為を思ってのことであり、これは行動です。心の中でくすぶっている「叱る」と言うものはありません。

但し「怒る」という感情の中にも人の為を思っての事の場合があります。
つまり、慈悲の心が奥底にあって「怒る」と言う事も無いわけでは無く、この場合の「怒る」は問題ありません。
ですが、「怒る」と言う感情は最初こそ慈悲の心があっても、その内に「怒り」だけになってしまう事も多くあります。こうなると駄目で、問題無いのは人の為を思っている内だけなのです。

先に書きましたように「怒る」と言うのは大抵は自分中心の考えである事が多いわけです。
人はそれぞれ考え方も違いますので、自分を中心にした考えだけで怒ったところで無駄な事なのです。

確かにイラッとする事も多い世の中ですし、私もそういう事は多くあります。^^;
そういった場合には自分の気持ちを客観的に観察して、それを心の中で唱えてみる事です。
「怒り」の気持ちが沸き上がってきたら「自分は怒っている」と繰り返し唱えます。
不思議な事に「怒り」の気持ちが静まってきます。


不邪見(ふじゃけん)
言葉通りで言えば、邪な見解を持つなと言う事です。
少し分かり易く言えば、人間の狭い知識、しかも人それぞれ違う知識を基準にして、判ったように勝手に物事を正しいと決めつけてはならないと言う事です。
あっさり言えば、自分中心の勝手な考えをするなと言う事でもあります。
(御坊様の説法では、もっと仏教的な説明がなされますが)

自分が正しいという勝手な思い込みは、あくまでも自分中心の勝手な見解でしかありませんから、そこには他人の違う見解を聞き入れる心の余裕すらも無いことが多く、違う見解の意見を言う人に対して腹が立ったり、人を馬鹿にしたりと言う事を平気でするようになってきます。
つまり、軋轢を生む元となる事が多いわけです。

人それぞれ、知識や思考、育った環境や文化も、もっと言えば常識すら違うことも普通にありますから、自分勝手な見解は無意味であり、有害でもあるのです。


「意」に当たる「戒」について書きました。
「十善戒」はこれで終わりになります。
本当はもっと色々細かく書いて説明するべきなのですが、そうすると何十倍もの文字数になってしまうので、なるべく簡潔に書いたつもりです。(分かりにくい部分も多かったかもですが)

「十善戒」はコメントであったように、道徳そのもので至極当たり前の事ばかりでしたね。^^;
でも、これを守るのは非常に大変なわけで、だからこそ「戒」として存在しているわけです。
完璧に守るのは現代では難しい部分もありますので、決して守れないのは絶対に駄目と言う訳ではなく、なるべく守るように努力する、仮に守れなかった場合はきちんと反省する、そうやって少しでも人格向上をしましょうねと言う事です。

posted by 未熟な修行者 at 23:55 | Comment(11) | 日記

正しく生きるとはA

2018年02月24日

続きです。

正しく生きるとは具体的に何かを「十善戒」をベースとして書いております。
今回は「十善戒」の「三業」の内、「口」に当たるもので、4つあります。
「口」とは「言葉」と考えて下さい。
よく「口は災いの元」とも言われるように、不用意な発言によって人を不快にさせたり、自身が窮地に陥ったり、場合によっては悪意を持った言葉を発したために人を死なせてしまう事もありますので仏教では割と重要視されています。
その割には仏教関係者を名乗る者が他者に対して平気で誹謗中傷している事もありますが。^^;
なお、口から発する言葉だけでなく、文章にした場合やインターネットでの書き込みなども同じと考えて下さい。


不妄語(ふもうご)
嘘をついてはならないと言う事なのですが、すべての嘘が駄目と言う訳では無いです。
普通に社会で生きている限り全く嘘をつかないでいるというのは難しいです。何でもかんでも正直な事を口に出せばいい訳ではありません。人の為を思って嘘をつく事もありますし、人間関係を円満にする為に嘘を言わねばならない事だってあります。
どんな嘘が駄目なのかをきちんと考える必要があります。

相手を騙して損をさせよう、騙して自分が儲けてやろう、こういった嘘は駄目です。論外ですが「振り込め詐欺」などはそのものですね。

他にも相手を本当に困らせてやろうと思って嘘をつくのも駄目ですね。
自分が気に食わない奴だからと、近所中にその人の評判を下げるような嘘の情報を流すような人もいますが、こういったものも当然ながら駄目ですね。

では、友達同士の間で冗談半分で嘘をついて騙すのは問題無いでしょうか。
これは判断が難しいところです。騙されたと知った友人が「なんだ、嘘か」と笑って何も気にしないでくれるのであれば、これは問題ありません。
ただ、本当に何も気にしていないのかは騙された側にしか分かりません。あまり怒りを露わにするのも大人げないと思って表向き笑って気にしていないフリをしているだけで、実は心の中では怒っているかも知れません。その場合は駄目な嘘なのです。

つまりは相手が損害を被る事が分かってて嘘をついたり、相手が傷つく事が分かっている嘘をついたり、怒りの気持ちを起こしてしまう嘘をついたり、不快に思うような嘘はつくのは全て駄目なわけです。
その判断が出来ないようであれば最初から嘘は言わない方がいいのです。


不綺語(ふきご)
心にも無いのに必要以上に飾り立てた綺麗事を口にしない、また不確かな噂話を口にしない、と言うような意味です。
「不妄語」のところで、「人間関係を円満にする為に嘘を言わねばならないことだってある」と書きました。
その為に心にも無い事を口にする事もあるでしょうが、大事なのは相手が不快に思わない程度にしておくと言う事です。
綺麗事というのは最初の内こそ心地良く聞こえても、必要以上に飾り立てられると不信感を持ち、その内に「心にも無い事を言っている」と不快に感じてくる事もあります。
軽い御世辞程度は必要な場合もありますが、そのように不快な気持ちを持たせる程に美辞麗句を並べるなと言う事になります。

不確かな噂話を口にしないと言うのは、根拠も無い事を言ってしまい人を傷つけるような事があってはならないと言う事です。
昔からあるのは「ねえねえ、知ってる?○○さんって□□らしいよ」レベルの根拠も無い噂話を近所の人達が人から人へ伝えると言うような事ですが、最近多いのはネット上での噂話です。
何かの事件があると勝手な推測をして、まったく無関係な人を犯人扱いしたりする事も多くあります。そして怖いのは多くの人へ伝えるのが「拡散」という形で非常に簡単であるという所で、まったく根拠の無い誤った情報であっても簡単に拡散されてしまう事も多くあります。
勿論ネット上での情報により解決が早まったりする事件が全く無いわけではありませんが、根拠も無い勝手な噂話のレベルの物が圧倒的に多いことは確かです。
無実なのに犯人扱いされたり、根拠の無い悪評を流される立場の人はたまったものではありません。
拡散する場合は、根拠の無い不確かな噂話であった場合に傷つく人や迷惑を被る人がいるかも知れないと言う事をよく考えるべきです。

詳細を書く事は控えますが、ネット上に根拠も無い推測レベルの情報を拡散されたため、それを見た方から現実の生活でも心無い仕打ちをされるようになり、追い詰められて自死を選んでしまった方がおります。
最初に勝手な推測をネットに書き込んだ人が悪いのは確かです。ですが誰も相手にせずに拡散される事が無ければ自死に到る事は無かったのではないかと思います。
拡散した方々は純粋な正義感からの行動かも知れませんが、まったく無実の人間を傷つけた上に死を選ばせてしまった要因になったのです。
言論の自由と言うもの自体は尊重致しますが、私はこれが悪業ではないとはとても言えません。

無責任な噂話はそういった可能性もあるのだと言う事をよく考えるべきだと思います。


不悪口(ふあっく)
文字通り悪口を言わないと言う事ですが、乱暴な言葉を慎むという意味もあります。
極々当たり前の事ですので詳しく書く必要もありませんが、一つだけ誤解しやすい点があります。

それは悪人や犯罪者に対してであろうと悪口や乱暴な言葉を慎むべきと言う事です。
そういった人に対してであれば構わないだろうと考える方が多いと思いますが、「十善戒」は自分自身の人格向上の為のものですから、たとえ相手が誰であろうと言わないと言う事が大事なのです。
そんな人の為に、自身の人格を下げるような言葉を吐くのは勿体無いと考えるのが良いですね。

最近は人格者であるべきはずの政治家でも悪口雑言をあっさりネットに書いていたりしますが。(笑)


不両舌(ふりょうぜつ)
二枚舌を使うなと言う事です。
Aさんには「Aさんの言うとおりですね、Bさんは良くないです」と言い、Bさんには「Bさんの言ってる事が正しいですよね、Aさんは間違ってます」のように二枚舌を使うのは良くないという事ですね。
どちらも不快に思わないように両方に味方しているだけですが、AさんとBさんはそれぞれ自分の方が正しいと言われ、それを信じてしまいます。
その結果として、AさんとBさんのそれぞれが自分が正しいと主張して仲違いしてしまう事もあるでしょうし、更にはAさんとBさんの周りの人達まで巻き込んでしまう事もあるでしょう。相手を不快に思うからです。
場合によっては、二枚舌を使ってどちらにも良い顔をする人の事を不快に思うかも知れません。
二枚舌は無責任なのです。不快にさせてしまうかも知れないという考えが無いからこその二枚舌なのですが、よく考えて気をつけねばなりません。


「口」に当たる「戒」について書きました。
言葉は気をつけて使うものです。「考え出したら何も喋れないね」と言った友人がいますけれどね。(笑)

次回は「十善戒」の内、「三業」の「意」に当たる「戒」についてを書きます。

posted by 未熟な修行者 at 23:57 | Comment(11) | 日記