釈迦十大弟子A

2017年04月23日

引き続き、お釈迦様の十大弟子のお話しを書きます。

実際には経典により微妙な違いがある場合もありますので、既知の情報と違ったとしても笑って流して下さい。(笑)

摩訶迦葉
大迦葉とも迦葉とも書きます。
マハーカッサパとかマハーカーシャパなどと呼びますが、日本での呼び方は「まかかしょう」が一般的です。
元々、幼い頃からバラモンとして修業をしていた方です。出家しようと考えていましたが家系の絶える事を恐れた親に結婚をさせられました。ですが、相手も出家しようと考えていた女性で、12年後に別れて二人とも出家します。
ちょうど同じ頃に出家したばかりのお釈迦様に出会い、どちらかが真理を悟ったら師弟関係となろうと約束しました。その後、真理を悟ったお釈迦様の噂を聞いて弟子となりました。
仏弟子の行なうべき十二の頭陀行(生活規則)を厳格に守ったため「頭陀第一」と言われております。
舎利弗と目連が亡くなってからは仏教教団の後継者と目されておりました。
お釈迦様の入滅後に教えが誤って伝わるのを懸念して最初の結集、つまり弟子達が集まり、それぞれが記憶しているお釈迦様の教えを確認し合い経典として編纂する集まりを開催しました。そのおかげで現代に仏教が伝わっているという大きな功績を為したわけです。
色々と伝説の多い方で、お釈迦様の弟子で従兄弟でもある阿難陀が連れ歩いていた弟子が気儘に還俗してしまった事を叱りつけたと言う事もあったそうです。
また、お釈迦様が入滅された時には弟子500人と説法の旅に出ており、彼が急ぎ駆けつけてお釈迦様の足に礼拝するまで火葬の薪に火が点かなかったそうです。


阿難陀
阿難とも書きます。アーナンダ、アナンと呼びます。日本でも「あなん」と呼ぶ事が多いです。
この記事にありますように施餓鬼会の起源となった事や、お釈迦様の従者として25年間付き従っていたので最も多く説法を聞いておりますので「多聞第一」とされております。
また非常に美男子であったために女性からよくモテた(決して靡かなかったそうです)と言う事でも有名です。
お釈迦様の養母(実母はすぐ亡くなっています)の出家の希望を叶えるため、お釈迦様を説得し女性の出家を認めさせたという話も有名です。
十大弟子の中では一番若くて悟りを得るのも遅かった為、他の弟子から窘められることも多くあったそうです。
お釈迦様が入滅された時にも未だ悟りを得られておりませんでしたが、その後修行に邁進し悟りを開く事が出来たと言われております。
前述した結集には摩訶迦葉から悟りを得ていないから参加を認めないと言われ、一心不乱に瞑想修行をし結集の日の朝に悟りを開いたとか、悟りは得ていないが一番多く説法を聞いて記憶していたので参加を認めざるを得なかったなど複数の説がありますが、結集には参加できてお釈迦様の説法を口述しました。
多くのお経の冒頭に「如是我聞」という言葉が良く出てきますが、これは「私はこう聞いた」という意味でこの場合の私と言うのは、多くが阿難陀の事であるとされております。
なお、お釈迦様の十大弟子の中では最も長生きで、120歳まで生きたと言われております。

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釈迦十大弟子@

2017年04月18日

お釈迦様の誕生日の記事を書きました。
ネタは幾つかあるのですがなかなか記事が書き進まないので(と言ったら失礼ですが)、お釈迦様の十大弟子のお話しを何回かに分けて書こうかと思います。

実際には経典により微妙な違いがある場合もありますので、既知の情報と違ったとしても笑って流して下さい。(笑)

まずは
舎利弗
サーリプッタとかシャーリプトラと呼ばれますが、日本での呼び方は「しゃりほつ」が一般的です。
他に有名な呼ばれ方もあり、般若心経の中に「舎利子」と出てくるのは舎利弗の事です。
それ以外のお経にも度々名前が出てまいります。
サンジャヤという懐疑論を唱える師の弟子でしたが、後述する目連と共にサンジャヤ師の信徒250人を引き連れてお釈迦様に弟子入りしました。
弟子入りしてすぐに悟りを開くことが出来たのと、お釈迦様の説法を大変良く理解したので「智慧第一」と言われております。その為、お釈迦様からの信頼も非常に篤く、お釈迦様の代わりに説法もしたそうです。
ただ、残念ながらお釈迦様よりも先に病で亡くなってしまいます。


目連
目犍連とも書きます。
モッガラーナとかマハーマゥドガリヤーヤナと呼ばれます。日本では「もくれん」もしくは「もっけんれん」が一般的です。
舎利弗と一緒にお釈迦様に弟子入りしました。そして7日後には悟りを開いたそうです。
神通力(いわゆる超能力)が使えたそうで「神通第一」と言われております。
この記事に書きましたように「お盆」の起源となったことで有名です。(「仏説盂蘭盆経」自体は後代に中国で作成された偽経と言われておりますが)
仏教教団を良く思わないバラモンに三度襲われ、三度目で亡くなっております。
神通力があるのに殺されたと言うのはおかしくないかと言われますが、この理由は後にお釈迦様が述べていて経典に書かれております。長くなりますので興味のある方は御自身で調べて下さい。(笑)


上記のお二方はお釈迦様よりも早く亡くなっているのですが、これはお釈迦様の説法が正しい事を示すために先に成仏したのだと言われます。
お釈迦様は「命あるものは必ず滅する」と説いておりますが、それでも大事な高弟を二人も先に失ってしまい非常に悲しまれたのではないかと思います。

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4月8日はお釈迦様の誕生日

2017年04月05日

日本では、4月8日はお釈迦様の誕生日とされています。
多くのお寺さんで生誕を祝う仏教行事が行われます。(一部宗派を除きます)
釈尊降誕会(しゃくそんごうたんえ)、灌仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、花祭(はなまつり)、など呼び方は色々ありますが、いずれもお釈迦様の生誕を祝う行事です。

使われている暦自体が現在とは違いますので、本当に4月8日であるかは実は分かりません。
かの玄奘三蔵が「ヴィシャーカ月の後半8日、あるいは後半15日という説があった」と伝えており、このヴィシャーカ月が漢訳された時に4月と訳されたようです。(ただ、インドの暦では第二の月となっておりますので2月8日とする説もあります)
ともかく、日本に伝わる古いお経では4月8日と記されているので、日本では4月8日とされております。

実は生まれた年も、紀元前624年、紀元前566年、紀元前463年など(他にもある)の説があります。
日本では現在のところ一般的には紀元前463年が生誕年であるという説が有力とされております。

2500年ほど昔の事ですから実際のところは不明であり、残された様々な資料などからの推測になっているわけですが、それは致し方ないですね。


お釈迦様の生誕を祝って、花で飾った花御堂(はなみどう)に、右手で天を左手で地を指している誕生仏(お釈迦様の誕生時の像)をお祀りして、参拝者はその誕生仏像に甘茶をそそぐという行事として一般的に知られています。

花で飾った花御堂は、お釈迦様の生誕地となったルンビニーという花の多い地を表しています。
誕生仏は、生まれてすぐに7歩歩んで天と地を指して「天上天下唯我独尊」と言ったという有名なシーンを表したものです。
甘茶をそそぐのは、お釈迦様の誕生時に天から甘露の雨が降って、その身を清めたという言い伝えを表しています。


仏の教えを伝えてくださったお釈迦様の誕生を祝うとともに、その大きな恩恵に感謝するという日でもあります。
幸いな事に今年の4月8日は土曜日です。お時間があって興味がおありでしたら、降誕会が行なわれている御近所のお寺さんにでも足をのばしてみてはいかがでしょうか。


posted by 未熟な修行者 at 00:29 | Comment(11) | TrackBack(0) | 日記