穴守稲荷神社

2017年02月24日

続けざまですが、私の好きな神社を御紹介させて頂きます。

東京都大田区羽田にあります穴守稲荷神社です。
江戸時代後期に勧請されたと言う事ですので、歴史的にはそれほど古くはありません。
御祭神は名前の通り、稲荷大神である「豊受姫命(とようけひめのみこと)」です。
稲荷神社としてはかなり大きな神社です。

敗戦後に米軍による羽田空港拡張に伴って現在の地に遷座しました。
門前に合った赤鳥居の撤去を行なおうとしたところ、事故が起きたり工事関係者が病気になったりで撤去できないまま残されていたと言う事で有名になりましたので、そちらの話で御存知の方もいるかも知れません。
ですが、この赤鳥居も平成11年に羽田空港拡張に伴って撤去ではなく移設されており、そういった曰くのあった場所からは移されております。(その時は事故はありませんでした)

拝殿もいい感じなのですが、拝殿右横にある沢山の鳥居をくぐっていきますと奥の宮と築山があります。そちらには様々な御利益のある御稲荷様の祠がいくつか祀られており、その時によって違いますが神聖な空気を感じる事があります。

奥の宮では御神砂を頂く事が出来ます。
家内安全や商売繁盛などの様々な御利益があると言われ、頂きに来る方も多くいらっしゃいます。
奥の宮と境内整備の工事が平成30年に完了予定となっており、御神砂を頂けるのは別の場所になっているかも知れません。
実は暫く行けてないので状況が分かりません。^^;

とても良い神社ですので宜しかったら御参拝されてみて下さい。

posted by 未熟な修行者 at 01:11 | Comment(10) | TrackBack(0) | 日記

小網神社

2017年02月16日

東京都中央区日本橋小網町にある大好きな神社です。
境内は凄く狭くて、鳥居から御賽銭箱まで5メートル程しかありません。
ビルに囲まれており、ちょっと離れた所から見ただけでは見逃す方もいるようです。

御祭神は倉稲魂命(うがのみたまのかみ、いわゆる稲荷大神)、市杵島姫命(いちきしまひめのかみ、いわゆる弁財天)、福禄寿(ふくろくじゅ)の三柱です。

かなり由緒のある神社です。現社殿は再建されたり修復されたりしておりますが。
社殿の昇り竜、降り竜の彫刻が見事です。
東京銭洗い弁天としても有名ですし、場所柄、金融・証券関係で御利益を求める方が参拝されることもあります。平日でも常に数人の方が入れ替わりで参拝しているような感じです。
境内は狭いのですが、授与所(9〜18時)もありますので御札やお守りを授かる事も出来ます。


私はここの神社が大好きなんです。
途切れる事ないくらいに参拝される方がいるのに結構、神聖で空気がいい感じである事が多いです。

近くのお客さんの所に仕事で伺った時には、時間が許せば必ず御参拝させて頂いています。
実は私はちゃんと御利益を頂くことができました。どんな御利益だったかは内緒ですが。(笑)

もし宜しかったら御参拝されてみてはいかがでしょう。

posted by 未熟な修行者 at 23:14 | Comment(11) | TrackBack(0) | 日記

金縛り

2017年02月12日

みなさん、金縛りにあった事ありますか?

実はですね、私は所謂「金縛り」にあった事がありません。
大概、寝ている時に何故か目が覚めて身動きが出来ず、恐ろしい体験をするみたいなものを言うのが一般的なようですが、そういった金縛りになったことなど一度もないのです。

金縛りはレム睡眠が原因と言う説がありますね。
身体は眠っていて弛緩しているが、脳は半分起きている状態になると金縛りと言われる現象になるとか。

実体験としては私も何故か目が覚めたら変なものがそこにいることに気付いたという事はありますが、体は動くのです。
その後は(実はビビッてしまい)眠れずにテレビやビデオを見て朝を迎えた事はあります。でも体が動かずに恐怖体験をするという金縛りにはあった事は無いです。
ですので理屈はよく知らないですが、よく言われる金縛りはレム睡眠が原因という説が正しいような気がします。

目覚めたのに体を動かすことが出来なくなるほどの影響を持った霊などいたら、普通に昼間に見えてしまっても動けなくされると思います。そんなのに会った事無いです。
あ、ビビッて動けなくなるのは別です。(笑)


私がたまに見えてしまうと言う事を知った人から
「よく金縛りにあうんですよ」
と聞かされる事も多いのですが、実は私は金縛りにあったことがありません、と言うと非常に驚かれたりします。(笑)

posted by 未熟な修行者 at 00:14 | Comment(9) | TrackBack(0) | 日記

写仏のやり方

2017年02月05日

以前に写仏をする時間が取れないと書いたら意外と興味ある人がいらっしゃったようです。
単純にお絵描き感覚で書きたい方はそれほど気にしなくても構いませんが、一応は作法と言うものがありますので記載しておきます。
但し、一部の真言宗系の作法と思いますので、他宗派の方は御宗派に沿ったやり方でなされて下さい。


まずは手を洗い、口を漱いで、身を清めます。本来ですと全身を清めるべきはずですが、なかなかそうもいかないと思います。塗香を使っても構いません。

次に仏壇や掛け軸などの御本尊があれば合掌して三拝します。そういったものが無ければ心の中で仏様を思い浮かべて三拝でも構いません。

次に懺悔文(さんげもん)、開経偈(かいきょうげ)、般若心経などを唱えます。この辺りは調べれば分かるかと思います。ここに書くと非常に長くなってしまうのと、本来は師から教わるべきものですので、スミマセンが割愛します。

次に静かな部屋の机で墨をすり、お手本の上に写仏用紙を重ねて写仏の準備を整えます。
お手本は(すごく少ないようですが)一部の宗派のWebサイトからダウンロードできますし、書店で買い求めても構いません。
お手本と写仏用紙がずれないようにクリップなどで厳重に固定しておく方が良いです。簡単にずれちゃいますので。あと、お手本無しで描ける方は写仏用紙だけを用意すれば構いません。

次に写仏用紙の前に向かって心を落ち着け、作仏形像経を唱えます。と言っても、こちらは調べても分からないかと思います。仏像を作ったり写仏するなどの功徳を説いたお経です。実際には必須でもないようでお寺の写仏会などでも唱えずに書き始める事が多いので、それほど気にしなくてもいいかと思います。

そしておもむろに写仏を始めます。描きづらい場合は写仏用紙を回転させたりして描きやすいようにして描いて構いません。そして、なるべく一気に描き進めます。
この際の注意点ですが、顔は最後に書くようにします。特に眼は必ず一番最後に描き入れると言う事になっています。

描き終わったら、願文と奥書を書き入れます。
願文は願い事で「祈 所願成就」などを写仏の右側に縦書きで書きます。
奥書は写仏の左側下の方に縦書きで日付を「平成〇〇年〇月〇日」、その横に同じく縦書きで名前を書きます。つまり2行書きます。
願文が無い場合には書かなくても構いません。

最後に合掌して普回向を唱えます。これも調べればすぐ分かると思います。


・・・凄いあっさりした内容になってしまった。^^;
写仏自体は簡単そうに見えても、1時間以上かかる事も普通にありますので、時間に余裕がある時に行なわれた方が良いです。もちろん毎日少しずつ進めても構わないですが、その度に身を清めるところから行なって下さい。

描き終わった写仏はお寺に納めても構いません。(御布施が必要な事も多いですが)
宗派の教義やお寺の方針、写仏した仏様によっては受け付けてくれない場合もありますので事前に確認された方が良いでしょう。

御自宅の壁に貼って毎日手を合わせると言うのも問題ありません。

普段は受け付けてくれないお寺でも年末年始であれば納札所が用意される事があります。その時に納めると言う手もあります。
なお、失敗したものも無闇にゴミとして捨てずに保存しておいて、年末年始に一緒に納める方が良いです。

posted by 未熟な修行者 at 00:02 | Comment(13) | TrackBack(0) | 日記

節分

2017年02月01日

2月3日は節分の日です。

そう言えば節分の日に豆まきをする習慣は仏教のものなのか神道のものなのかを言い争っていた人がいたなと思いだしました。(笑)

仏教を信仰されている方の言い分は、神道では穢れを払うという考えがあり豆をまいて鬼を払う、つまり鬼と言う穢れを払うのだから元は神道の行事だ、というもの。
神道を信仰(と言うのも実は変な言い方ですが)されている方の言い分は、成田山新勝寺では力士やタレントなどを呼んで豆まきしている、神社で行なっている所はそれほど無い、仏教の行事だからだ、というもの。

そして、双方の共通認識としてあるのは、元々は中国から伝わってきたものを追儺(ついな)の行事として宮中で行なわれていたが、民間にも広まって豆まきが行なわれるようになったと言う事です。

まず整理すると、節分と言うか暦(こよみ)自体が中国から入ってきたもので、日本ではそれらを参考に作った(と言うか日本向けにアレンジした)暦しかありませんでした。
暦の中に二十四節気というものがあり、更にその中に立春・立夏・立秋・立冬がありまして、これを「四立(しりゅう)」といい、勿論これも中国で成立したものです。節分とは読んで字の如く季節を分けるものですから、この四立それぞれの前日こそが節分であり、1年に4回あるのです。
現在は春の節分しか残っておりませんが、冬から春になる時期を1年の境で、その前日である春の節分は昔の人からは感覚的に言えば大晦日のように考えて大事にするようになったため残ったと言う事です。

暦も節分も中国から伝来したものであり、暦自体は陰陽道で多く活用されました。
同じく中国から伝わった行事を追儺という鬼払いの儀式も宮中での陰陽道の儀式として行われるようになりました。その流れとして神道に節分という行事が残っているのです。
ですから、節分、追儺の2つは元は陰陽道の行事であり、節分は神道に受け継がれたと言う事になります。

さて、では節分の時の豆まきの行事はどうでしょう。
室町時代に鞍馬山から鬼が出て来て都を荒らしていたが、毘沙門天の御告げにより、炒り豆(大豆)で鬼の目を打ち潰し災厄を逃れることができた、というのが豆まきの始まりだという説があります。
毘沙門天は仏教で伝えられた神ですから、上の説が正しいとすれば(本当かどうかは別として)豆まきと言うのは仏教の行事として取り入れられたものだと言う事になります。

当時から節分に豆まきが行なわれていたかどうかは知らないですが、いつの間にか何となく節分の日に豆をまくと言う習慣になったのかも知れません。
節分イコール豆まきの日と考えるから訳が分からなくなるわけです。色々な風習や宗教儀式が日本で混ざってしまったのです。

ちなみに日本は長いあいだ神仏習合しておりましたし、神社で豆まきの行事が行われる事も実は少なくはありません。(参拝者に来てもらうためと言う理由もあるとは思いますが)
外国の風習なども上手く取り入れることが出来るのも日本の特徴ですし、元が昔の中国の風習であったとしても日本に来てアレンジされ長く伝えられてきた日本の文化なのですから、仏教なのか神道なのかを論ずること自体に意味はありません。

正直な話どっちでもいいじゃないか、としか・・・(笑)


あと、節分と言えば「恵方巻」を思い出す方もいらっしゃるでしょう。
細かい話をしてしまうと、その年の恵方を向いて黙って食べるので「恵方巻」とつけた商品名が全国的に認知されるようになっただけで、以前は「丸かぶり寿司」とか普通に「太巻き」、「節分の巻き寿司」などと呼んでいたはずです。もしかしたら大阪では今でも「恵方巻」とは言わない人が多いかも知れませんね。
太巻きになったのも昭和になってから多くなったらしく、今でも普通の太さの巻き寿司と言う方もいるようです。
以前は大阪の一部地域で行なわれていた風習です。
戦後一旦廃れていた風習ですが、発祥は江戸後期やらと言う説もあります。
そもそも巻き寿司そのものの起源が江戸中期頃らしいですから、それほど古い物ではありません。
誰でも分かると思いますが仏教にも神道にもない風習です。

恵方を向いて黙って願い事しながら食べきる、これもイメージの力次第で何らかの効力が出ないとも限りません。
日本には各地にこういった風習がありますから、別に否定するつもりは一切ありません。
私自身は豆まきも恵方巻もあまり興味がありませんが、昔からのこのような風習っていいなと思っています。


そう言えば以前に「子供の目に当たったらどうするの」というクレームがあって幼稚園の豆まきが中止になったという話を聞いた事があります。
豆まき自体が危ないからやめようではなく、目に物が当たったら危ないから気を付けようと言う事を幼稚園でも家庭でもしっかり教えるのが本来あるべき姿で、豆まきの時期にはその事をしっかり教える事の出来るチャンスでもあるんですけどね。
話が脱線しましたが、今日はこれで終了。
posted by 未熟な修行者 at 23:36 | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記