とある神社が凄かった

2016年11月30日

熊野神社と付く名の神社は日本全国にあり、熊野三山の祭神を勧請された神社であるようです。
随分前になりますが、私が行ったのは都内二十三区のとある場所にある熊野神社です。

街中に残る小高い山(丘?)の上にあり、正参道はかなりの勾配の石段と舗装されていない土の地面もありました。
実は、正参道の場所がよく分からず、舗装された道路の方からも行けるため、そちらから行ってしまいましたが。(笑)

空気が清浄な感じと言うか、ピンと張り詰めた感じと言うか、ともかく境内に入った瞬間に
「おおっ、ここ凄い」
と思う場所でした。まさに神域と言う感じです。
周りは普通の住宅街なのですが、一歩入っただけでここまで明らかに空気が違う神社はそれほど多くありません。

そんな空気を楽しませて頂きつつ、きちんと拝殿でお詣りさせて頂きました。
ここは是非とも御朱印も頂いておかねばと思い、社務所に行ってみたのですが神主さんはお留守。でも御家族の方に親切に対応して頂けました。

御朱印を待っている間にあちこち見て回っていたのですが、ふと気づくと私のすぐそばに真っ黒な蝶が飛んでおります。面白い事にウロウロしている私につかず離れずの距離でずっと飛んでいるのです。
カラスアゲハ?クロアゲハ?
蝶の種類は詳しく分からないのですけれど、歓迎されているような感じがして嬉しかったですね。

20〜30分程いたのですけれど、私がいる間は他の参拝者の方は来ませんでした。
参拝者がひっきりなしに訪れるというような神社ではなく、主に地元の氏子の方々に大事にされている神社なのかと思います。

パワースポットなんて呼ばれて人だらけで、神聖さもあまり感じなくなっているような場所より余程素晴らしい神社でございました。

posted by 未熟な修行者 at 23:56 | Comment(23) | TrackBack(0) | 日記

神社参拝は午前中がベスト

2016年11月27日

神社にはなるべく午前中、それも早い時間に参拝された方が良いです。
(もちろん迷惑になるような時間は避けるのは当然ですが)

とある神社で思ったのですが、それほど参拝者が来ていない午前中早目の時間だと神聖な感じで空気が清浄な感じがするのですが、午後になるとまったくそういう神聖さが感じられなくなる神社が結構あります。
特に参拝者が多く訪れる所ほど、それが顕著だと思います。

参拝者の穢れが残るからでしょうか。
この場合の「穢れ」とは汚いと言う意味ではありません。穢れは自然に発生するもので精神的にも伝染すると言われます。他人からの嫉妬や憎悪などの悪感情、逆に自分から他人への悪感情も穢れの一つと言えます。

神道では穢れを極端に嫌います。
特に死の穢れには敏感で、近親者の死があった場合にも決められた日数は参拝しないのがルールです。
イザナギノミコトが亡くなったイザナミノミコトに会いに黄泉の国に行き、なんやかんやあって(知らない方は日本神話を見て下さい)この世に逃げ帰ってきてすぐに海で死の穢れを洗い清めています。その際には最初に災厄の神が二柱生まれています。
神道でのお葬式は神葬祭と言いますが、これも神域内では行なわないくらい死の穢れは特に遠ざけます。
(ちなみに仏教では死を穢れとしておりません)
血も死を連想するために穢れの一つとされ、出血のある怪我をしている人、女性で月のものが来ている方(女性蔑視するわけではありません)は本来参拝は避けるべきというのがルールです。

血や死の穢れがある場合は参拝しないので、それらは別としても先に書きましたように人間は生きているだけで様々な穢れに触れてしまいます。
穢れを落とすために手水舎で浄めるのですが、それをしない参拝者も多くおります。
そんな参拝者が多く来れば神様も遠ざかって本殿の奥に引っ込んでしまい、神聖な感じも無くなってしまうのかも知れません。
柏手を打とうが鈴をガラガラ鳴らそうが神様は出てきてくれないでしょう。

なので、参拝者の少ない午前中早目の時間に参拝するのが一番良いです。

posted by 未熟な修行者 at 23:29 | Comment(15) | TrackBack(0) | 日記

他宗派を罵るのは主に信者

2016年11月22日

承認せず即座に削除しておりますが、他宗派を信仰されていらっしゃる信者の方から暴言や罵りとしか思えないコメントを頂く事もごく稀にあります。

怪しげな新興宗教は別ですが、私自身は他宗派どころか他宗教も無信仰の方も否定するつもりはありません。
何度も同様な事を書いておりますが、基本的には他人に迷惑をかけず正しい生き方を実践されているのであれば誰が何を信仰しても、仮に無信仰でも自由だと思っています。

仏教界も基本的にはそういう前提です。仏教自体が廃れている現在、他宗派だからと言って批難したりすることはやめようではないか、と言う流れになっています。反発しているところもあるようですが大勢がそういう状況です。

実はこういった流れに従いたくない人と言うのは一般の信仰者だったりします。
他宗派の教義の一部を曲解し勝手な拡大解釈をし、それを論って批難する方も多くおります。
驚くべき事に、お寺のお坊さんやその御家族に対してまで、この宗派のこういう所がいけないなどと堂々と批難する方もいるそうです。

宗派以前に、まず仏教徒として考えてみて頂きたいものです。
そもそも仏教には他者を悪く言ってはいけないという教えがあります。
それを堂々と破っている時点で仏教徒としては失格です。
自分の信仰している教えはこんなに素晴らしいんだよ、と言うのは大変良い事だと思います。
但し、その為の理由付けとして他者を貶める言葉を並べるのは最悪の行為です。

真言宗系を嫌っている宗派であっても、私は否定するつもりはありません。
申し訳ないながら私個人としてはその宗派を信仰しようと思わなかっただけであり、それは些細な考え方の違いにしか過ぎないのです。
たったそれだけの事ですから、その宗派を悪く言うのは心から信仰なさっている方に対して大変失礼な事だと思いますし、そもそも仏教では悪く言ってはいけないのですから私は言うつもりはありません。

実のところ、各宗派の開祖には他宗派を下に見る事が多かったのは歴史の上でも明らかです。
真言宗の開祖である弘法大師もその当時の宗派を下に見ておりました事実は確かにあります。(完全否定ではなく古い教えだと言う事なのですが)
どの開祖でも同じですが、野心もあったかも知れませんが、その時代に何とかして教えを広めたいとか切実な思いもあったのではないかと思います。

だからと言って、一信仰者が他宗派を貶める発言をしていいわけではありません。
宗派以前に仏教徒としてそれが正しい事かどうかを考えれば自然に分かるはずです。
他者を貶める発言をしても大変見苦しいだけです。
そういった発言は宗派云々といった小さなことではなく、仏教信仰自体から人が遠ざかる原因にもなりえるのだと言う事、因縁果を考えて頂きたく思います。

本尊とする仏様が違う、教義が違う、色々あるかも知れませんが、他者を貶める事無く教えを守って正しく生きていくのが本来の仏教徒の姿であると思っております。

posted by 未熟な修行者 at 01:29 | Comment(9) | TrackBack(0) | 日記

体験修行で暴行とか

2016年11月15日

指摘される前に書きます。(笑)

東京の多摩地域にある寺で「体験修行」として預かっている中学生に暴行したとか、更には別の30代男性も住職から暴行を受けたとか。
真言宗豊山派のお寺と住職は言っているそうですね。もし本当に言う通りだとしたら大変残念に思います。

どういう経緯なのか分かりませんので、安易な発言は出来ませんが。

体験とは言え修行ですからそれなりに厳しくても不思議ではありませんが、体験修行で言う事を聞くつもりも修行する気も無い人に暴力をふるう事など普通ならありません。帰ってもらえばいいのですから。

結構な早い時間にネット上でお寺の名前が暴露されてましたが、私は名前すら聞いた事が無いお寺ですので、どういうお寺なのか知りませんし、住職がどういう方かも知りません。
実は出掛けた先で時間が空いた時に近くのお寺に行けるよう、GoogleMapで寺社のマイプレイスマップまで作っているのですが、それにも載っていませんので小さなお寺なのかなとも思いました。
映像で見る限りは結構広いですね。


本当に感覚的なものなのですが、映像で見る限りちょっと違和感を感じます。
本堂がそれらしく荘厳されてはいます(随分簡素です)が
「これ本当にお寺かな?」
という違和感を感じます。
比較的新しい建物のようだからと言う事ではありません。
東京などでは消防法などの関係で、建て替える場合にはビルにせざるをえず、ビルの中のワンフロアがお寺とかも普通にありますし、そういうお寺にも勿論行った事はあります。

ですので新し目の建物だからとかそういう意味ではなく、なんとなく違和感を感じるんですよね。
なんと言えばいいか、仏教らしさを感じないと言いますか、お寺っぽい体裁を整えただけのような印象があります。

お寺と言っているだけで実際は只のセミナーなんじゃないかなとも思えてしまいます。
住職も資格が無く僧侶ですらないか、もしくは破門された人である可能性もあります。

体験修行程度で暴力をふるったり、掃除などならともかく領収書の整理などのようなお寺の仕事を手伝わせるのも異常です。

本当にお寺かどうかはともかくとして、厳罰でいいんじゃないですかね。

posted by 未熟な修行者 at 23:43 | Comment(11) | TrackBack(0) | 日記

数息観はお勧めです

2016年11月10日

しばらく霊の話しばかり書いてしまいましたので、信仰を持つ身としての記事も書かねば。(笑)

私は勤行の前に必ず瞑想(観法)をしております。(勤行の一つとして行なっているのですが)
もう少し詳しく言えば「数息観(すそくかん)」というもので、座禅を組んで腹式呼吸を行ないます。そして文字通り呼吸の数を数えるという「観法」の中でも初歩的なものです。
禅宗で良く行われていますね。修行僧が座禅を組んで瞑想しているアレです。

真言宗では「阿字観(あじかん)」と言う有名な観法があり、本来ではそちらをするべきなのでしょうが、なにぶん家で行なう場合は様々な雑音などでどうしてもうまく出来ないので、一番初歩的ともいえる「数息観」を行なうようにしています。

正式な座禅(結跏趺坐)が出来ない場合には、片足だけをもう片足の太腿の上に載せる半跏趺坐でも構いません。そして右手指の上に左手指を載せて両親指の先端を軽く合わせる「法界定印」という印を組みます。(この印は仏像で見た事がある人も多いと思います)
私の説明だと分かりにくいですが検索すると出てきます。(笑)
他の印を結ぶ時もあります。

数え方としては「ひぃー」、「ふぅー」、「みぃー」という数え方ですが、別に「いーち」、「にー」、「さーん」でも構わないです。
例えば、口から息を吐きながら体の不浄なものが出ていくイメージをしつつ「ひ」、鼻から吸いながら清浄な空気を体に入れるイメージをしつつ「ぃー」、つまり吐く息と吸う息がセットで「ひぃー」になります。
もちろん言葉に出して数えるわけではなく、イメージをしながら更に頭の中で数を数えるわけです。
十(とぉー)までいったら、今度は逆に数を減らして数えています。(私の場合)

具体的に言えばもう少し色々な決まりがあったりもするのですが。

ちょっとしたイメージをしながらではありますが呼吸の数を数えるだけなので簡単そうに思えますが、実際は慣れるまではなかなか難しいです。私も未だに数え間違えたりします。(笑)

ばっちり集中できると30分や1時間くらいはあっという間に過ぎてしまいますので、タイマーなどで時間を設定しておくといいです。最初は5〜10分くらいにしておくといいです。
集中している時にいきなりタイマーの音が鳴ると結構ビックリしますけどね。


瞑想は眠くなる、と言った人がおりました。
おそらく瞑想とは何も考えないと思っているのでしょうが、瞑想とは言っても私のは観法であり何かに一心に集中するものであるため、余程の睡眠不足などでない限りは頭がスッキリします。
意識的に神経を集中していますから眠くならないです。

修行の一環として精神修養の為に行なうものですが、特に信仰を持っていない方でも実践されている方は多いです。
嫌な事があったとか、気持ちが落ち着かない時などにもお勧めなのです。
posted by 未熟な修行者 at 23:15 | Comment(12) | TrackBack(0) | 日記

霊園に霊はいっぱいいる?

2016年11月06日

たまに霊が見えてしまう(だけで何も出来ない)私ですが
「見えちゃうと、お墓参りに行ったら大変そうだよね」
なんて事を言われた事が何度かあります。

実を言いますと霊園(墓地)には呆気ないくらい霊はいません。(笑)

霊園というくらいですから霊が一杯いるのだろうと思うのでしょうが、これが想像以上にいないです。見えてしまう時期になっても霊園にいた方が安心なのではないかと思うくらいにいないです。
どんな霊園でも同じとは断言できませんが、普通の霊園で多くの霊を見るなんてことはまずありません。

絶対にいないというわけではなく、ただ単にフラフラと彷徨っているのを見かける事はありますが、これは恐らくその霊園に葬られている人でなく彷徨っている内に迷い込んだだけの関係のない霊です。普通に移動して入ってきて、普通に何処かへ行ってしまいますし。
ひょっとしたら死者が葬られている霊園なら救いがあると思って来ているのかも知れませんが。
フラフラしているのは街中の方が多く、霊園だからと言って特に多いわけではありません。

ちょっと面白い(と言ったら失礼ですが)のは、納骨についてきているらしい霊は何度か見た事があります。
遺族が参列している中にちゃっかり混じっているんです。これすぐに分かるんですよ。何故だかお判りになりますか?
答えは、一人だけ礼服ではないからです。(笑)
たいてい遺族にくっついて行っていなくなるのですが、遺族が帰っても1時間以上そこに佇んでいる霊もおりました。(直視せず目の端でずっと観察してたことがあります)


あと私自身は見た事が無いのですが、お墓を介して出てくる霊を一度だけ見た事があるとY君から聞いた事があります。どうやら、お墓をあの世とこの世を結ぶ出入り口みたいな感じで使ったのではないかと思ったそうです。
でも、一度見ただけなのでお墓がそういう役割で使えるものなのかどうかは分からないとは言っておりましたが。

そしてY君も同じ意見です。
「霊園って、そこらへんより霊いないから静かでいいよね〜」

正直なところ、霊の数としては普通に街中などで見るよりも少ないくらいです。
何度か夜中の霊園に行った事もある(真似してはいけません)のですが、私が行った事のある霊園では特に昼間と変わらなかったです。

posted by 未熟な修行者 at 18:46 | Comment(18) | TrackBack(0) | 日記