自殺者の霊は自殺を繰り返す?

2016年10月30日

頂いたネタです。(笑)

よく言われている事に
「自殺者の霊は、自殺したその場所で自殺を繰り返す」
と言う話があります。

これは少々懐疑的です。と言うのも必ずしもそうではない事が多いように思うからです。
自殺者の霊を自殺現場以外(自殺現場におらず)で見る事もありますし、自殺現場で見てもいつの間にかいなくなっているからです。

Y君からも意見を聞いた事がありますが
「自殺して死ねた事を理解している場合は、自殺現場に留まることは少ないよ〜」
「自殺する事自体に執着があったり、死んでいる事に気付いてなくて自殺を繰り返す霊もたま〜にいるけど、その内存在が消えるね〜」
と言っていました。

延々と線路上で電車を待っている霊や、飛び降り自殺を繰り返している霊を見た事がないわけではないですが、自殺すること自体に執着していない限りは自殺を繰り返す霊などケースとしては非常に稀で、それでも長くても数年で消えてしまう事が多いと思います。

例え自殺し、自分が既に死んでいる事にすぐ気付かなかったとしても
「自殺を繰り返しても何故か死ねない。そうか、実はもう死んでいるからこれ以上死ねないのだ」
と霊も気付きます。そしてフッといなくなります。冗談のようですが本当なんですよ。(笑)
死のうと思って自殺しておきながら、死んだ事を理解できず延々と繰り返すという事自体が少ないです。

とは言え、自殺現場に長期間留まって自殺を繰り返している霊もいないわけではなく、こういう場合には死んでいるかどうかは重要ではなくて、自分の自殺シーンを見せつける事で悲しみや苦しみを他人に分からせたいと言う事に執着しているように感じます。それでもいずれ消えていきます。存在が薄くなっていく感覚です。
死ねば楽になると思って自殺した場合には霊として留まる事も少ないように思います。

非常に執着が強い霊の場合には自殺に限らず、割と長い間留まっているのもいるにはいますが、厄介な事に元人間という観念も既に通用しなくなっている霊もいます。執着だけ残ったような所謂「悪霊」のような感じになりますね。
「こういうのは説得しても無理なやつ」
とY君も言っていました。
念の為言っておきますが、こういうのは本当に滅多にいません。生きた人間の社会で言えば連続殺人犯みたいな凶悪犯罪者のようなものです。そんな人は身の周りにはまずいませんよね。
でも、この手のものもいずれ自然に消えるのが殆どです。

どちらかと言えば自殺より、不慮の事故死や、独り暮らしで突然死など、そういう方がその場に長く留まっている気がしますし、ケースとしても多い気はします。
自分が死んだ事も分からず、ましてや死の覚悟をして亡くなったわけでも無いので色々な執着も残ったままです。それでも、その内に自然に消えてしまう事が大半です。


宗教宗派によっては
「自殺すると成仏できず彷徨うことになる」
「自殺すると自殺現場から離れられなくなる」
などのような教えをする事があり、そもそもは自殺をやめさせるための教えであると思われます。
そういった教えがあるという状況で、更には短い期間であっても自殺を繰り返している霊を見た人がいた為に、自殺者は霊として留まり延々と自殺を繰り返すという説が出来たのかも知れません。
実際に見えてしまう立場からすれば、自殺を繰り返す霊がいたとしても長くて数年、たいていは数日から数週間だけで、自殺現場で霊が永久に自殺を繰り返す事もその場にずっと留まる事もありません。

永久に自殺を繰り返したり自殺現場から離れられなくなるのなら、数十年来の自殺の名所などと呼ばれる場所では絶え間なく霊が自殺してたり、数え切れないくらいの霊が見えてしまう筈です。
仕事で自殺が多い団地に行ったり、自殺の名所でもある観光地に行ったりしても、そんな状況になっている所など見た事ありません。せいぜい死後数か月くらいの霊が一体いるかどうかですね。


言い訳がましいと思われるかも知れませんが、念の為に仏教信仰者の立場から言っておきます。
仏教には「殺生をしてはいけない」という教えがありますが、これは他人の命は勿論、自分の命に関しても当てはめて考えるべき事で、自殺とは自分を「殺生」する事に他なりません。
それに自殺は家族親族には勿論、他人にも想像以上に多大な迷惑をかけてしまいますから、そういった意味でも罪(仏教的な意味での)は重いです。
自殺して現世の苦しみから逃れたつもりでも、来世ではもっと苦しむことになります。
運よく来世も再び人間として生まれ変われたとしても、自殺と言う業を背負っているのですから更なる苦しみを味わうことになります。
それならまだマシな方で、それ以下の地獄道や餓鬼道に生まれ変わって現世以上の苦しみを受ける可能性も高いのです。
自殺すれば安楽になれるわけではありません。数多くの大きな罪を背負う事になると断言致します。
誤解無きよう御願い致します。

posted by 未熟な修行者 at 22:58 | Comment(28) | TrackBack(0) | 日記

横断してました

2016年10月27日

ゆっくり記事を書いている時間がないので簡単に。

本日、仕事帰り、3車線の道路で赤信号で停止していました。
私の前にも4台ほどの車がいます。先頭で信号待ちではありません。

車道の信号が青になる少し前に、濃い茶系の服を着たお爺さんが交差点の先で横断し出したのが見えました。
横断歩道があるのですが、よく急いで渡ろうとする方がやるように少し離れた所から斜めに横断歩道に向かうように渡り出したのです。足元が覚束ないのかそれほど早い歩行速度ではありません。

<もう信号変わるのに、大丈夫かな>
と思った瞬間に、車道の信号が青になり3車線とも一斉に車がスタート。

<危ない!>
と思ったのですが、躊躇することなく3車線とも車はスピードを上げます。
が、何事も起きません。


・・・はい、霊だったようです。
お爺さんの姿などどこにも見当たりませんでした。

いや〜、生きている人にしか見えませんでしたので非常に焦りました。

今日はそのお爺さんを見ただけです。
見える期間になるわけではなく、1体だけを見て終わりと言う時がたまにありますが、今日(もう昨日か)はそのパターンだったようです。

めちゃめちゃドキドキしましたよ(汗)

posted by 未熟な修行者 at 00:59 | Comment(10) | TrackBack(0) | 日記

自称霊能者その3

2016年10月21日

続きです。


そして霊能者は何だか訳の分からない除霊の儀式を始めました。テレビで見るようなやつです。
小声でブツブツ言って、途中で大きめな声で「エイッ」だの「ハッ」だの言っています。

私達は苦笑を通り越して、ばれないように失笑を押し殺します。
だって、除霊の儀式が行われていると言うのに、その霊は部屋の中を相変わらずウロウロしているのです。

30分程やっていたでしょうか。
もう苦笑も失笑も通り越して馬鹿々々しくなって、すっかり飽きてました。

霊能者が
「これでとりあえず祓えました。ただカルマの浄化が終わるまでは、またとり憑かれてしまうかも知れません。気長にやっていきましょう。3日後のお昼くらいにまた来ますので」
と言って、幾らだか知りませんが謝礼を受け取ると帰っていきました。

Sさんが
「除霊できてますか?」
と聞いてきて、Y君が
「ぜ〜んぜん、まだここにいますよ〜」
確かに私たちの傍にいます。(寄らないで欲しいのですが)
「やっぱり、そうなんですね。兄の様子も一向に変わらないし」

霊能者を見送った、Sさん兄妹の母親も戻ってきました。
「全然、除霊されてないって」
とSさんが言うと
「えー、ほんとに?インチキだったのかしら」
と母親。
「インチキかは分かりませんけど見えてなかったみたいですよ〜。さっき霊能者の目の前にいたのにお兄さんの背後を指差して、そこにいる、って言ってましたね〜」
とY君。
「まだいるってことですか?」
母親の言葉に、私とY君が揃って
「今はそこにいますよ」
同じ所を指差しました。

「△△△さんって、かなり歳いったお爺さんなんですよね? でも、お兄さんに憑いているのは60代くらいのおばさんだけですけどね〜」
とY君が言うと、母親が
「え?どんな人?」
「髪は長さがこれくらいで〜、身長はこれくらいで〜、体格がこんな感じで〜」
と身振り手振りで説明します。
「名前は分からないかしら?」
と母親が言った途端
「××(女性名)・・・」
と聞こえました。
私とY君がまたも揃って
「××って名前みたいですけど」
と言うと、Sさん兄妹の母親とSさんも驚いたような顔をします。
「あ、心当たりあります?」

その心当たりについて説明してもらえましたが、それについて詳しく書けません。(すみません)
非常にざっくり言えば、勘違いしていた△△△さんと言うのは、Sさん一家と仲違いしてほぼ絶縁状態のまま亡くなったのだが、気が咎めたこともあり一家で葬儀には出たそう。
××さんはSさんお兄さんにゆかりのある方でちょっとした誤解が残ったままで△△△さんよりも1日遅れて亡くなられた、おそらくかなり心残りのままだろうということです。
(すみません、全然わかりませんよね><)

「なるほど〜、××さんは誤解したまま心配でここにいるのかね〜」
とY君。
「△△△さんはいないんですか?」
と未だ心配そうな母親。
「いませんね、そっちは大丈夫だと思いますよ〜。それより××さんに離れてくれるよう俺が説得しましょうか〜?」
「できるんですか?」
「たぶん、できると思いますよ〜」
「ぜひ御願いします」
「じゃ〜、ちょっとやってみますね〜。あ、玄関開けといて〜」
私が玄関を開けに行って戻ってくると、Y君があまりしない真面目な顔をしています。
十数秒くらいでしょうか。
すると、す〜っと××さんの霊は玄関から出て行きました。

「はい、おわり〜。やっぱり心配で憑いちゃったみたい。と言うか憑く気はないんだけど離れられなかったみたい。誤解だと納得できたら離れられたみたいよ〜」
「え、もう?お経とか唱えるんじゃないんだ?」
とSさんと母親はビックリ。
「俺お経とかよく知らないし〜。強制的に離れさせてもいいんだけど、死にたてホヤホヤだし話せばわかるかな〜って」

ふと見ると、今まで何の感情も顔に出ていなかったSさんのお兄さんは泣いていました。
誤解させたままだったことが申し訳なかったと言って泣いています。
心なしか顔色は良くなっています。
「これで大丈夫〜、あの霊能者はもう来てもらわなくていいですよ〜」

Y君は母親が謝礼を渡そうとしてくるのを
「実費がかかったらその分は頂きますけど実費かかってないし、商売ではないんで〜」
と何とか固辞して、私と一緒に帰りました。

Sさんのお兄さんは翌日には見違えるように元気に戻り、数日後には××さんの仏壇に御線香をあげに行ったそうです。その後は何事も無いようです。


ちょっと書けない事が多すぎて、よく分からない話になってしまい申し訳ないです。(笑)
実はこの霊能者とは他でも会っています。

posted by 未熟な修行者 at 08:58 | Comment(14) | TrackBack(0) | 日記

自称霊能者その2

2016年10月18日

続きです。


そして霊能者登場。
まだ割と若い女性の霊能者です。(テレビにも出た事あるそう)
Sさんのお兄さん、そして私とY君がいる部屋に入ってくるなり、その霊能者は顔をしかめました。

Sさん兄妹の母親が、お兄さんを紹介すると
「質の悪いのが憑いていますね」
そしてSさんの背後を指差して
「そこにいます、〇〇さん(Sさんのお兄さん)の左後ろにいます」
と言い出しました。

私達は苦笑を堪えるのに必死です。
なぜなら、その時は憑いている女性の霊は霊能者の目の前にいて、霊能者の顔をじーっと覗き込んでいたからです。

母親が
「やはり、△△△の霊ですか?」
と聞くと
「仰る通りそのようですね」
と言います。
しかし、△△△は80代で亡くなった男性だそうですから、実際憑いているのはその人の霊ではありません。
続けて
「息子さんがとり憑かれるのは前世の悪行のせいで背負ったカルマによるものだから、除霊と共にそのカルマも綺麗に浄化しなければならないです」
と言い出しました。

残念ながら私自身には前世を見るなどという能力はありませんので、とり憑かれやすくなるカルマがあるのかどうかは分かりませんが、確かにとり憑かれやすいと言う人はいます。
しかし、赤の他人がカルマを浄化するなどと言う事は無理です。

カルマは「業」とも言い、「自分で行なった行為」もしくは「その結果」の事で、もっと分かりやすく言えば「自分の行為で背負った宿命」とでも言いましょうか。
「因果応報」と言うように悪い行ない・善い行ないに対してそれぞれの報いがあるとされており、悪い行ないをして悪いカルマを背負っているのであれば、本人が善い行ないをしてカルマを浄化するしかありません。赤の他人がどうして来世にまで持ち越されるようなカルマを浄化できると言えるのでしょうか。
実刑を受けている犯罪者に対して、他人が「その実刑は今日で終わり。前科としても無かったことになる」と言うようなものです。

自分で原因を作ってしまって来世まで持ち越したカルマを解消できるのは本人だけであり、他人のカルマを解消できるわけがありません。
前世の因果によるカルマの解消は、本人が現世において善い行ないをし正しく生きるしかないのです。

それはともかく・・・
その時点で憑いている霊はSさんの傍にいましたので、見当違いの方を見つめながら妙な発言をしているのが私とY君には可笑しくて仕方ありません。

母親が神妙に頷いて
「お願いします、何とかして下さい」
と言うと
「一度では無理です。ともかく今日は除霊をして、後日数回に分けてカルマの浄化をすることにしましょう」
と言い出しました。
「わかりました。お願いします」

またまた続きます。

posted by 未熟な修行者 at 00:12 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

自称霊能者その1

2016年10月14日

書くかも知れないと言いながら、言った事自体を綺麗サッパリ忘れていました、すみません。(笑)

以前、この記事で少し書きましたが、某自称霊能者がまったく霊を祓えていないのを目撃した事があります。

詳しく書こうとすると個人的な情報も書かなくてはならないので、あまり詳しい事は書けません。

発端は私の友人からの連絡で
「知り合いのSさんのお兄さんが霊にとり憑かれた感じで・・・云々」
という事でしたので
「ならば、Y君に頼んでみようか?」
彼はY君の話は私から聞いていて知っていますが面識はありません。
ところが
「既に親御さんが知り合いの伝手で霊能者を頼んでしまった、ただ不安なので当日は君に立ち会って欲しい」
との事。
「いやいや、待って、待って。見える時があるというだけで何も出来ないから、Y君も一緒にいた方がいいと思うよ。Y君の都合を聞いてみないといけないけど」

正直、Y君がいれば何かあっても何とかなるでしょうが、何も出来ない私一人が立ち会うのは絶対にパスです。(笑)
そういう訳で、私がY君に連絡を取ってみると、当日は仕事が休みだそうで立ち会えるとの事でした。

当日、待ち合わせ場所で会うなりY君が
「あ、今は見えない時期か〜」
と言うなり、周りをキョロキョロ。

詳細は省きますが、Y君は私が見えるようになるきっかけが分かっており、私の苦情をものともせずに強引に私が見えてしまう時期に突入させてくれます。逆に見えなくする事は出来ないのが大変ありがたくないのです。
そして迷惑千万なことに強制的に見えるモードにされました。(泣)

そしてY君と私はSさん宅に到着。霊能者はまだ到着しておりません。

とある理由で(これは書けません)霊にとり憑かれているのだと思った母親が伝手を頼って霊能者に除霊を依頼したそうです。
Sさんは、友人(私に連絡してきた人)から霊の見える知り合い(私とY君)がいるという話を聞いていた事を思い出し、その友人に相談。その友人が私に連絡してきたというわけです。

まずは、Sさんのお兄さんにお会いしました。
つかず離れずついて回っている霊がいました。60代くらいの陰気そうな女性です。
Sさんのお兄さんは、満足に食事も取れず、夜も何かに怯えているようで眠れず、会社にも行けなくなり、僅か数日でげっそりと痩せてしまったそうです。
しかし予想していたよりも凶悪そうな霊ではありません。

「そんなに悪くはなさそうだよね?」
と私が聞くと
「だね〜、なんとなく憑いてきちゃいました〜って感じだね〜」
とY君。
「これくらいならすぐに祓えるだろ、祓ってやったら?」
「ん〜、でも霊能者頼んでんだよね〜。任せときゃいいんじゃな〜い」
と言う訳で霊能者のお手並み拝見と言う事になりました。

ちなみに私達は見える人だと言う事を伏せて只の友人としておくよう、SさんとSさん兄妹の母親には口止めしておきました。


長くなったので続きます。

posted by 未熟な修行者 at 00:26 | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

本当はいけないのです

2016年10月07日

この記事とかこの記事などは、見た感じ議論めいた説明を記事にしておりますが本当はいけないことなのです。
何の話しかと訝しく思われるかも知れませんが、私の宗旨では議論はいけない事とされています。

正確に言いますと戯論(けろん)がダメとされています。
戯論とは言葉をもてあそぶに過ぎない無意味で無益な言論の事で、愛論と見論の2種類があります。

愛論とは一見いい言葉のように見えますが、仏教では渇愛という欲望の対象での愛を示しています。
この場合での議論を避けると言う事とは直接的には関係ないので省きます。

見論ですが、見論の「見」は悟りの智慧の完成したものではなく「見識」や「見解」などのような中途半端な知識による独善的な意見のことで、それによる無益な議論の事を見論と言います。

この見論は社会の中でもよく見かけるのではないでしょうか。
会社での会議などでも多くあるでしょうし、ネット上には言うまでもなく多く溢れていますね。
相手の発言を抑え込むように自己主張を繰り返し、挙句の果てには本題からも外れて議論のための議論を不毛に積み重ねるなどもよく見かけると思います。

私はこの見論を避けます。宗旨の一つですから。
「では、ここではお前の意見ばかりじゃないか」
と思われるかも知れませんが、このブログは私の場所ですからそれは御勘弁頂くほかありません。
私がここに記事を書くのは議論をしようと思っているわけではありません。
明らかな間違いなどの御指摘は有り難く頂戴致しますが、少々挑発的な反論コメントを頂いたとしても無意味な言葉のやり取りになってしまいかねないと思った場合には
「なるほど、そう考えているのか。まあ別にいいか」
と反論はあって当然と考えるようにして、説明出来ることであれば説明は致しますが、議論までにはならないよう気を付けております。
私が書きたい事を書いているだけですので、私の記事に同調しろと言うつもりはまったくありませんし、私の意見を押し付けるようなこともするつもりはありません。

例えばこの記事に対しての反論を頂いても、もちろん最初から議論をするつもりはないわけですが、仮に信じている私と信じていない方が議論したところで平行線を辿ったままで結論など出るわけがありませんから、無益で無意味な議論になるだけです。つまり見論なのです。

宗教関係のブログなどを書いている方の中にも自分の信仰を守るためなのか否定コメントに対して過敏に反応して悪口雑言の議論になっている所もありますが、特にその宗教が仏教であればもうその時点で教えの初歩の初歩で基本中の基本に反しているわけですから、まともな方から見れば本当の信仰をしているとは見えず状況によっては妄信的とも思ってしまいます。
自分の信仰をまるっきり否定されれば反論したくなる気持ちも分からないではないですが、するべきではないとされているのが仏教です。

もっとも、ここは私が好き勝手な事を書いているだけで、議論が必要なほどの内容はありませんけれど。(笑)

posted by 未熟な修行者 at 23:26 | Comment(8) | TrackBack(0) | 日記

御朱印を転売って(笑)

2016年10月03日

そういう事する人も出てくるのでは、とちょっとだけ思った事はありましたけど。
まさか本当にネットで転売する人がいるとは思いませんでした。(笑)
もちろん転売する側も何を考えているのかと思いますが、どちらかと言うと購入する方の人の気持ちが分かりませんね。

私自身は参拝していない神社仏閣の御朱印を手に入れようとは思いませんし、そんな手段での入手など畏れ多くて。
世の中には色々な人がおりますから本当にコレクション感覚の人なのでしょうね。(汗)

世の中にある他のコレクションと同列として考えると、御朱印をコレクションして何する気だ、参拝して僅かなお金を奉納すれば手に入るのに参拝してもいない御朱印を集めて何の自慢になるのか?と思いますが。


神社仏閣は不快感を示しているそうですが、転売を完全にやめさせる妙案もなく苦慮しているそうです。

本来は参拝して頂くものですけど、プラス郵送料くらいで希望者に発送しちゃってもいいのではないかと思います。地方発送OKみたいな。(笑)
プラス郵送料くらいで発送して貰えるのなら転売なんて不心得者も淘汰されるでしょうし、入手が手軽になる事で神社仏閣は収入増もあるのではと思います。
コレクション目的の人は予想以上に大勢いて、参拝もせず御朱印だけ貰って帰る人や、最低限のマナーも守れない人が多いのですから、この際それでもいいのではないかと。
この際に注意する点としては、参拝して頂く御朱印と、発送する御朱印は全く同じものにしておかないと意味はありませんね。

もちろん私は地方発送OKになったとしても、参拝していない神社仏閣の御朱印を入手する気はありません。コレクション目的ではありませんから。


地方発送なんて罰当たりな、と思うのであれば、必ず参拝者に身分証明書を提示させて、その人の名前を書き入れてしまうとかもいいのではないかと思いますね。
芸能人などのサインにもあるように「〇〇さん江」みたいに(笑)

元々は納経の証に頂けるものでしたから、写経したお経を納めた証として御朱印を頂くと言う本来の姿に戻っても私個人としては一向に構わないくらいです。
でも、そうなると御朱印を頂く人は一気に減るでしょうね。(笑)

posted by 未熟な修行者 at 21:47 | Comment(16) | TrackBack(0) | 日記

いないという根拠

2016年10月02日

霊なんて信じない、神仏も信じない、という人がこんな事を言っておりました。
「蚊とかハエとかゴキブリとか殺すけど、そういう虫の霊は見た事無いだろ!!」
「牛や豚や鶏や魚だって毎日多くが殺されているのに、そんな霊はいないだろ!!」
「神や仏なんてのは想像の産物、神社やお寺に行ったって人生何も変わらないだろうが!!」
「科学的に証明されていないだろう!!」

実際の所、虫だと言い切れる霊を見た事がありません。
虫の場合には、死んだ瞬間に本当に只の死骸だけになる事が多いのです。

私が子供の頃には、面白半分に虫を残酷な方法で殺してしまう子供も多くいました。
殺さなくてもいい虫を殺している悪ガキも多く、私が見えてしまう時期に無闇に虫を殺している場に居合わせた事もありますが、呆気ないくらい何も感じないのですよね。

魚の場合も何故か虫に近いです。

何故なのかよく分かりませんが、もしかすると生きて次の世代に子孫を残す本能だけしか無いからなのかも知れません。

牛や豚、鶏の場合ですが、牛は霊のようなものを私も見た事はあります。豚は見た事ありません。
鶏ではありませんが、ペットとして飼われていたインコなら見た事があります。ですが悪意は感じませんでしたし、すぐに消え去りました。
ひょっとすると豚も鶏も私の住んでいる近くにはいないから見ないのかも知れません。牛のような霊も地方で見たことがあるだけですし。

犬や猫の霊は見えることもありますが、多分それらはペットだと思います。(首輪も見える時があるから)
おそらくですが、飼育されている、もしくは野良であっても人間に密接に関わっている動物なので執着があるからではないかと思います。

虫、魚、牛、豚、犬や猫も畜生道の生き物であるから、基本的にはすぐに転生しているのかもしれないですね。
それらの生き物であっても何か執着があれば霊としての存在で留まろうとするのかも知れません。
ですが、人間以外だとすぐ消えてしまうことが大半な気がします。


寺社仏閣に行っても何も変わらないと思うのは、最初からそういう気持ちで蓋をしてしまっているからです。
一説によると日本人は生活習慣などによって幼少期に神仏に対して恐れの心が潜在下に出来上がることが多いため、神仏を認めてしまう事で恐れが現実になるのを避けたがるのだそうです。
やましい事がある人は特に顕著で、恐れがあるから殊更声を上げて信じない強弁するそうです。
恐れを現実にすることを避けているので、本人は恐れによって強弁している事すら自覚しておりません。

神仏を信じないと言う人でも霊の存在は信じる人が意外と多いのは面白い点なのですが、神仏は神社仏閣にいるものと考え、自らが線を引いて近付くこともなく神仏を信じないことで恐れから遠ざかろうとします。
その一方で霊はそこらにおり、場合によっては避けようがないという認識の為、信じることで覚悟を決め恐れを和らげようとするのだそうです。


科学的に証明と言ったところで、科学的に証明されていないことなど世の中には山ほどあります、逆に証明されている事の方が少ないのが事実です。
この現象の理由はコレコレこういう事、故にこちらの現象の理由もコレコレこういう事で説明がつく、という現時点での推論でしかない事も非常に多くあるのです。
目に見えている地球上の事ですら、推論は出来ても解明されていない事が多いので、科学的に証明云々と言うこと自体に意味がありません。
そして科学で証明できていないものだからこそ余計に恐れ、声高に否定しようとするわけです。


霊なんて信じないと言われても、私は現実に見えてしまう時があるわけです。
だからと言って信じていない人に信じろと言うつもりはありません。見えないのであれば信じろと言ったところで難しい事ですから、言うつもりもありません。
霊も神仏も信じろとは言いませんし、信じないのならそれはそれでいい、としか思いません。
信じていない方の中にも人間的に素晴らしい方は大勢いらっしゃいますし。

ただですね、そんな必要もないのに無闇矢鱈と声高に否定する方は
「あ、怖いのかな、そんなにムキになって否定しなくてもいいのに」
と思ってしまいます。

posted by 未熟な修行者 at 01:26 | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記