あら><

2016年07月26日

昨日ですか、児童買春・児童ポルノ法違反の疑いで僧侶が逮捕されたとか。

この僧侶の宗派では「妻帯」も宗祖が認めているのに、何故そんな真似をしたのでしょうね。
もちろん「買春」は認められておりません、当たり前ですけども。
そもそも僧侶としてと言うより、人としてどうなんだ、という話にもなるわけですが。

お寺の住職さんも可哀想ですが、檀家さんも可哀想な気が致します。
檀家さんの気持ちまで裏切るわけですし、その宗派、更に言えば仏教自体まで蔑まれかねない行為です。

真相は分かりませんがお寺の跡取り息子なので何となく僧侶になったとかでしょうか。
甘やかされて育ち、とりあえず僧侶になったみたいな感じだったのでしょうか。

どの宗派でも同じことが言えると思いますが、最近の若いお坊さんの中には僧侶以前に人としても尊敬できない振る舞いの人がいないわけではないのは確かです。
ただの仕事という意識で僧侶になるのはやめてほしいものです。
本当に信仰心を持っている人であれば、その程度の気持ちの僧侶かどうかは分かってしまいます。
そんな僧侶では、お寺どころか仏教自体もますます没落していく気がします。

件の宗派のルールはよく分かりませんが破門なのでしょうかね。
であれば、普通の人間に戻って、まずは人として法律を遵守する事を学んでほしいものです。
posted by 未熟な修行者 at 22:15 | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

葬儀専門の僧侶?

2016年07月23日

私は仕事で個人宅や企業や店舗などから依頼され訪問して行なう作業が多くあることは以前にも書きました。
お寺さんに御伺いしての作業は今まで無いのですが、実はお坊さんの御自宅に作業に伺った事はあります。

ここでは、尊敬できるお坊さんも多くいるという事をよく書いておりますが、その反対の例もあると言う事でこの記事を書いておこうと思います。

行ったのは随分前ですが、そのお宅は都心にある高級タワーマンションでした。
もちろん最初はお客さんがお坊さんだとは知らず、凄いマンションだなと思っただけでした。

玄関を開けて頂いた時に言葉遣いなどから、あれ?お坊さんかな?という雰囲気はありました。
頭は剃髪とまではいかないですが五厘刈りくらいでした。
しかし、30代前半くらいでかなり派手な服を着ていて、シルバーか何かのごつい指輪までつけていましたのでお坊さんではないのかな、勘違いだったかな、とも思いました。
その方のほかにもう一人40代後半くらいの方がいらして、こちらはお坊さんと言う感じはしませんでした。

居間で私が作業している間、そのお二人はソファーに座って色々とお話をしておりました。
まったく知識が無ければ何とも思わないのでしょうが、その会話の中にはお坊さんで無いと使わない用語などが多かったので、やはりお坊さんのようでした。

会話から分かった話では、どうやら葬儀専門のお坊さんのようです。
別の部屋に法衣や袈裟もありましたのでお坊さんであることを確信しました。
ただ、そのマンションの近辺にはお寺はありません。
お寺に所属していないか、もしくは名前だけ所属しているだけのお坊さんかも知れません。
(宗派によっては所属寺院が無いと僧侶と認められないところもあります)
葬儀会社などからの紹介で葬儀のみ行なう個人事業主的なお坊さんという可能性もあります。
そしてお坊さんらしくない方の人は葬儀会社の社員なのかも知れませんが、何かマネージャーみたいな雰囲気でした。

私には分からないと思ったのか
「院号とそれなりの位号をつけて20〜30アップしてもいけそう」
「この間の○○では志納が少なかった」
「そろそろ社葬いきたいな」
などと言う話までしていたのですが内容が内容でしたので少々幻滅してしまい、早く帰りたかったです。(笑)

お坊さんとは割と気楽に会話してしまう私ですが、さすがにこの時は事務的に作業を終わらせてそそくさと退出しました。

そもそも本当にお坊さんだったのかも分かりません。
結婚式場のチャペルなどでただのアルバイトが偽牧師となって結婚式を行なう事も多いように、破門になった者が勝手に僧侶としての活動を行なっている場合や、酷い場合には正式な僧侶ですらない者もいるらしいです。
本物の僧侶だとしても本山に所属していないお坊さんだと、本山に納める上納金のようなもの(所属寺院は納めています)も無いので、葬儀を行なえば行なうほど豪勢な生活も出来てしまいますね。

世の中に色々な人がいるように、立派なお坊さんもいればこのようなお坊さんもいるのは事実です。

posted by 未熟な修行者 at 20:30 | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

印象深かったシーン

2016年07月20日

とあるお寺での一コマ。

肝臓癌で御主人を亡くされ生きる気力を失った御婦人がおりました。
法要を執り行なった御高齢のお坊さんの前に娘さんと一緒に来て御婦人が放った言葉。
「もう生きていたって仕方ない、死ぬのも怖くなくなった、早く主人の元へ行きたい」

お坊さんがすかさず
「それは凄い、人は皆必ず死ぬ、それが真理なのだから無闇に死を恐れる事は無いと言う仏様の教えがあります。奥様は既に悟りの一端を開いておられるのですな」

お坊さんの意外な言葉に顔を上げた御婦人に、お坊さんは続けて
「私のような未熟者はこの齢になっても死ぬのが怖くて怖くて・・・いやいや、それより怖いのがあの世で待っている亡き妻です。・・・実はですね、私の妻は怒らせると手に負えないくらい怖いのですよ」

御夫人と娘さんは少し呆気にとられたような表情です。

お坊さんが続けます。
「妻が亡くなった時、仏弟子の端くれであるはずの私も非常に苦しみ悲しみました。ですが、だからと言って私までが早く死んだら更に大きな苦しみ悲しみを子供や孫にまで背負わせてしまいます。そんな事をしたら妻は怒るだけでは済みません、折角あの世に追いかけて行ったのに会ってもくれないかも知れません。だからこんな齢まで醜態を晒してもまだ生きております。私の妻と同じように御主人も怒るのではないですか」

御夫人は娘さんをちらっと見て
「そうですね、でも何を生き甲斐にすればいいのか・・・」

お坊さんは言いました。
「生き甲斐など無理に持たずとも生きて生きて、その時が来たら静かに逝くだけでいいのですよ」

御夫人は俯いて手に持ったハンカチをクシャクシャにしています。

続けてお坊さんは言いました。
「人は皆いずれ死にます、私も奥様もそうですし、生まれたばかりの赤ん坊であってもそれは同じです。悲しみ続けても苦しみ続けても足掻いてもそれは避けられぬ事。であれば、いずれ必ず来るその日までは毎日御主人の御供養をなさって、あとは美味しい物を食べて良く眠る、それだけでいいのですよ」

そのまま続けてお坊さんは
「あえて生き甲斐を考えるならば、そうですね・・・奥様がいずれ御主人の元に行かれた時には、御主人が亡くなられてからの娘さんや御孫さんの日々を報告しなければならないですね、大事な役目と思いますよ」

御夫人は頷きました。

どう見ても80歳は過ぎていると思われる、そのお坊さんは悪戯っぽく笑って
「とは言っても、確実に奥様より私の方が早くあの世に逝くと思いますから、その時には『娘さんや御孫さんとの日々を報告する日が来るまで待っていて欲しいと言っていた』と、御主人にしっかりお伝え致しますよ」

奥様と娘さんは泣き笑いの顔で何度も頷きました。


ちょっと印象深かったので書きました。
(記憶に頼ってますので細かい所は曖昧です)

posted by 未熟な修行者 at 01:45 | Comment(8) | TrackBack(0) | 日記

お盆終了

2016年07月16日

うちは東京ですので、13日に迎え火をして本日は送り火です。

迎え火は私は仕事で不在だったのです。
そして送り火の本日は私の両親が旅行で不在。

母は
「ちゃんとお経もあげておいてね〜」
と言い残し、父と二人で旅行に行ってしまったのです。
<いや、私は僧侶ではないのだけど・・・>

修行者と言ってる割に、家族はそんなものかと思われるかも知れませんね。
そんなものです。(キッパリ)
先祖を敬っていないとかではありませんので御勘弁下さい。(笑)

きちんと読経を含め供養させて頂き、送り火を致しました。
仏壇への御焼香と送り火は妻と息子も一緒です。

それはともかく、母はオガラを大量に用意しすぎ。
キャンプファイヤーじゃないんだから・・・

posted by 未熟な修行者 at 21:26 | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

便利なY君(笑) その2

2016年07月10日

前回の続きです。

Y君に初めて会ったのは友人(結構古い付き合いで私の事は知っています)の紹介でした。
実は私が変なものに憑かれてしまい困っていた時期に
「お前、変なもんにつきまとわれてるって言ってたろ、こいつも見えるんだよ。除霊も出来るみたいだから連れてきた」
と友人が連れてきたのがY君でした。

その友人にも、と言うか誰にも詳しい姿まで言っていなかったのですが、Y君は私に会うなり
「傘をさしている奴だよね?イマイチはっきりしないけど黒っぽいスーツみたいなの着てる男の人でしょ?」
と見事に言い当てました。

実はその一週間ほど前に、とある所で急に出くわしてしまい心の準備が出来ていなかった私が驚き慌てふためいたせいで存在に気付いてくれたと思われたのか、つかず離れずの距離でいつもつきまとわれるようになった迷惑なやつなのです。
特に酷い悪さをしてくるわけではなく体調が悪くなった程度なので、まず3日も無視していれば離れるだろうとタカをくくっていたのですが一向に離れてくれず困っていたのでした。


Y君はそのまま黙って私を暫くじっと見つめていましたが
「あ〜、離れてくれないや・・・仕方ない、ちょっと一緒に来て」
と言われてほぼ強制的に連れていかれたのは、とある神社です。
(吐き気を催したりで大変だったのですが何とかついていきました)
そこに着くまでに小さな神社もあったのですが、そこは見向きもせず通り過ぎてます。

「ここなら大丈夫みたい、じゃー行こうか」
と彼に連れられ境内に入り、本殿に向かい暫く歩いていると急にふっと吐き気が収まりました。

その途端に私をじっと見ながら歩いていたY君が
「あ、離れたねぇ、良かった良かった、さぁ神様にお礼しよう」
と手を合わせるよう促されました。
気付くとここ暫く優れなかった体調も戻っており、振り返ってみてもあの変なやつはいません。

何をしたのか分からなかったのでY君に聞いてみると
「ん〜、神様にお願いしただけ。あれは離れたからもう大丈夫」
「成仏したってこと?」
「離れてもらえるようお願いしただけだから元いた場所に戻ったんじゃないかな、よく分からないけど」
この神社に今は神様がいると感じたので神様の力で祓ってもらうのが可能と思った。だから境内に入った瞬間からずっと神様に話しかけて祓ってもらったと言うのです。

驚いて
「神様と話したってこと?」
と聞いてみると
「いや〜、一方的に話しかけてただけ」
と笑います。

「心の中で怒鳴りつけたり、寺社に行かずに神様や仏様に祈るだけで簡単に離れる奴もいるんだけど、さっきのは離れなくてね〜、実際に寺社にお詣りしてお願いした方が確実かな〜と思って」
と飄々としてます。


なんだか気が合って仲良くなり、気が付けば既に20年以上の付き合いになっています。
今迄に何度か助けてくれているのは確かですが、実は厄介事も(かなり)押し付けられたりもしてます。(笑)


今後その手の話を記事にするとき彼が登場する事がありますので、説明がてら今回Y君の記事を書いたと言うわけです。

ちなみに、この記事
「男ならキャバクラで本気で楽しんじゃうのがかなり有効」
って言い放ったのもY君です。(笑)

posted by 未熟な修行者 at 23:25 | Comment(12) | TrackBack(0) | 日記

便利なY君(笑)

2016年07月09日

友人に見る事が出来る人がいます。
私が見えてしまったものを私が何も言わない内に
「こういった格好のこういうのが見えたでしょ?」
とほぼ正確に言い当てるのです。

おそらく何度か記事で書くかもしれないので、Y君と名前を付けておきましょう。(笑)
Y君は車のディーラーをやってます。

Y君は特に何かの宗教を熱心に信仰しているというわけではありません。
ですが、神仏を信じていないわけではなく、敢えて言うなら幅広く信じていると言うか、うまく利用していると言うか。(笑)
「失礼なこと言うな」
とY君には言われそうですが。

Y君の羨ましいところは、自分が見たくない時には見えないように出来る、という所です。
そのコツを聞いてみた事があるのですが
「う〜ん・・・なんて言うのか、蓋をする感じ?」
とまったく要領を得ない説明をしてくれました。
もっとこう具体的に説明してくれないと分からないという私の苦情には
「感覚的なものだからそういう説明しかできないなぁ・・・ま、いいんじゃない、たまに見えるくらい」
と言われただけで詳しい方法は分からずじまいです。

もう一つ羨ましいところがあって、Y君と私が変なものを見てしまっても、彼にはまず近寄ってこない(例外もありますが)のです。私には近づいてくる事があるのに。(涙)
と言っても、Y君が一緒の時には私に変なもの(ちょっとしたものなら)が近づいてきても彼が睨み付けると離れてくれることがあって、とっても便利・・・じゃなかった、有り難いのです。(笑)

知人のネットワーク内だけですが彼の噂を聞き、たまに除霊を頼まれるそうです。
それを仕事にすればいいのに、と言った人がいますが
「仕事にしちゃいかんと婆さまに言われてたし、そんな仕事面白くないし〜、場合によってはこっちに被害が来るから嫌だ」
と言います。
知人の紹介の場合のみ、そして気が向いた時だけ無償で対応してくれる程度です。

念のため言っておきますが彼を紹介することはできません。
車のディーラーとして仕事を頑張っているので時間が自由にならず対応できない事も多いのと、あと本当に彼に被害が向いてしまう事があるのです。一度死にかけた事もあります。

長くなってしまったので続きはまた。
posted by 未熟な修行者 at 11:07 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

施餓鬼会に行かなくてもいいか

2016年07月04日

施餓鬼会に不参加でも構わないのだろうかと言うコメントがございました。
非常に長くなりそうでしたので記事にさせて頂きました。

頂いたコメントの要点ですが

お盆の供養と施餓鬼供養は別物と言う認識でよいのか?
昨年亡くなられた御家族がおり新盆を迎える、お坊さんに来て頂いて御供養して頂くつもりで、御布施は平均的な額をさせて頂く予定。
そのお寺から施餓鬼供養のお知らせが届き、参加した方が良いとは思うがお盆の供養と施餓鬼供養の両方を合わせると結構な出費となり経済的に負担になる。
出欠連絡するので不参加でも問題ない気はするが、不参加では亡き家族に申し訳ない気がする、更には不参加で何らかの障りがあったらと心配

と言う事ではないかと思います。

お盆の供養でお坊さんに御自宅に来て頂くのであれば、施餓鬼会はお寺さんに集まって行う法会ですので別物と言う認識で宜しいかと思います。

施餓鬼会と新盆の御供養どちらを優先すべきかと言えば新盆の方が宜しいと思われますので、新盆の御供養は是非お坊さんに来て頂いて下さい。準備等は来て頂くお坊さんに相談すれば大丈夫です。
既に御存知かと思いますが、御布施とは別に御車代(近所のお寺なら必要ないかも)、御膳料(お食事を差し上げない場合)を包んでお渡しするのが一般的です。
御布施、御車代5千円〜、御膳料5千円〜位で大丈夫だと思います。

質問者様には該当されない蛇足なお話ではありますが、新盆の場合は普通よりも少し多めにお布施することが多いので、それすら経済的に厳しいという場合にはお坊さんを呼べないと言う方もいらっしゃるかも知れません。
その場合には御家族だけで手を合わせて熱心に御供養されると良いでしょう。
但し、経済的に余裕はあるのにも関わらず勿体ないからとお坊さんを呼ばずに御家族だけで供養と言うのは供養にはならず、悪業を積んでしまうとされています。きちんとした理由がある場合のみ御供養になるのです。

施餓鬼会の御志納(御布施)ですがお寺さんによっても違いますし、塔婆を書いてもらうかなどによっても違ってきます。
ただ、新盆だとやはり高くなる傾向は見られ、数万円〜の御布施となる場合があります。

御遺族の気持ちとしては出来る事はしてあげたいと思うのは当然です。
気を付けて頂きたいのは
「高いな、嫌だな、勿体ないな」
などと思いながらの御布施には本来の功徳はありません。
御布施は喜捨とも言いますように「喜んで施させて頂きます」というのが本来の姿ですから、嫌々ながらでは意味が無いのです。
喜んで出せない時点で本来の功徳は無くなる、だから自分の出せる範囲だけで決して無理をする必要はない、と言われるお坊さんもおります。

そして、おそらく一番気になっていらっしゃるのは、不参加ゆえに何らかの障りがあるのではないか、というところだと思います。
お盆の供養は故人のためですが、施餓鬼会というのは餓鬼を供養して功徳を積みましょうというものであり、成り立ちから言っても本来は生者が功徳を積むための法会です。

現在では同時に故人の供養も致しますよ、という形になってきているものと思って下さい。
故人の供養も一緒に行なってくれるので参加しないよりは参加された方がいいのは言うまでもありませんが、無理してまで参加する必要はありません。
経済的に余裕があれば故人の為、今後も引き続き御供養して頂くお寺さんの為、参加すればいいだけです。

つまり、施餓鬼会は基本的に自由参加です。
施餓鬼会に不参加だと言うだけで故人が苦しむと言う事もありませんし、障りなどありません。
その点は安心して頂いて大丈夫です。

今後のお寺さんとの付き合いも考えて不参加とは言いにくいのであれば、不参加とつけた用紙の隅にでも
「経済的に難しく不参加ですが、心ばかりの御布施をお供えさせて頂きます」
と書いて、御布施(1〜3千円程度でも可)を添え、早めにお寺に直接渡しに行かれると良いと思います。
お渡しする時に不参加の理由を言ってもまったく構いません。実はそういう方も結構多いです。
心ばかりとは言え御布施もあるのですからお寺さんも無碍にはできませんので大丈夫です。

それでも色々と言ってくるお寺さんだったとしたら、ちょっと宜しくないお寺さんである可能性もあります。
不参加という事よりそんなお寺さんに故人の供養をお任せする事自体が不安になります。

きちんとしたお寺さんであり、一般参加も可能な施餓鬼会であれば
「お金のあまりかからない一般参加をされてはいかがですか?」
と聞かれる場合もあります。
一般参加だけですと御布施自体が不要であったり、必要であっても五百〜千円程度の所もあります。

不参加なのが気になる場合には、一般参加可能な施餓鬼会に参加して心の中で故人の供養にもつながるように念じて下さい。
そして、御自宅では御仏壇に向かって手を合わせて施餓鬼会での供養が出来ない事を詫びて頂けばいいと思います。

いつも書きますが、大切なのは常日頃の供養です。

少しでも心のつかえが取れましたら幸いです。
posted by 未熟な修行者 at 23:55 | Comment(8) | TrackBack(0) | 日記

施餓鬼会

2016年07月02日

お盆の時期には施餓鬼会と言う法会が行われる事が多くあります。
(施食会とも言います)

お寺さんによって、6月中であったり、7月のお盆の時期であったり、8月に入ってからの事もあります。
お盆=施餓鬼会と思われている方も割と多くおりますが、本来は施餓鬼会はいつ行なってもいい法会なのです。たまたまお盆の時期に行なうお寺さんが多いだけです。

施餓鬼会は「仏説救抜焔口陀羅尼経」というお経に由来しています。
簡単に内容を説明します。

お釈迦様の弟子の阿難様が修行中に焔口という餓鬼が現れ
「阿難よ、お前の生命は後三日で終わり来世は必ず餓鬼道に落ちる。それが嫌なら苦しんでいる無数の餓鬼に飲食を与え供養せよ」
と言われました。
しかし、餓鬼道は食べ物があっても食べられないという世界ですから供養する事は難しいです。
そこでお釈迦様に相談すると
「恐れることはない、施餓鬼棚を設けて多くの食物を供えて、十方の聖僧を招き、餓鬼達に法味飲食を施す施餓鬼を行なえば良い」
と諭しました。
阿難様がお釈迦様の仰ったとおりに実行された結果、餓鬼達は救われ、阿難様御自身もお釈迦様の弟子の中では最も長生きする事が出来ました。

無数の餓鬼と言うのは、ある意味では無縁の餓鬼です。
御先祖様も含めてすべての餓鬼に施しを行ない供養するのが施餓鬼会です。
自分の御先祖が餓鬼道に落ちていると言うことか、と嫌な顔をされる事もありますが、たいていの場合は先祖と言ってもせいぜい3〜4世代前くらいまでしか分からず、それ以前の先祖は供養される事はありません。
もし御先祖が餓鬼道に落ちていたら・・・程度の意味合いですので餓鬼道にいると断言しているわけではありません。

施餓鬼会は有縁無縁も含めてすべての霊を供養すると言う事であり、それによって大きな功徳を積むことになるので自分自身も御先祖にも御利益があると言う事になります。

一般参加できるお寺も多いので興味がある方は参加されてみてはいかがでしょう。
posted by 未熟な修行者 at 21:00 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

もうすぐお盆です

2016年07月01日

修行者らしくない記事が多いので、少しはそれらしい記事も書こうと思いつきました。(笑)

もうすぐお盆の時期です。
東京などの関東圏では7月13日〜16日がお盆とされています。地方によっては8月13日〜16日の所もあります。

お盆は「仏説盂蘭盆経」という経典が元とされています。
簡単に内容を説明します。

お釈迦様の弟子で神通力に優れた目連様がある時、神通力を使い亡き母がどうしているかを見てみると、餓鬼世界に落ち苦しんでいるのが見えました。餓鬼世界は食べることも飲むこともできない世界です。
どうすれば母を救えるのかお釈迦様に相談すると
「お前の母は罪が重い。人に施しをせず自分勝手であったため餓鬼道に落ちたのだ
 すべての比丘(僧)に食べ物を施せば母親にもその施しの一端が口に入るであろう」
と諭されました。
そこで目連様は十方の聖僧に施しを行なって母の追善供養をしてもらったところ餓鬼道から救われた。

このような内容です。
ちなみに目連様の母は貧しかったために自分の子供達の事だけで精一杯で他人の事を考えるゆとりが無かっただけであり決して悪人と言うわけではありませんでした。

ここで少し物知りな方からは横槍が入るかも知れません。
と言うのは「仏説盂蘭盆経」というのは仏教発祥のインドではなく、儒教の「考」の影響を受けて中国で作られたものなので偽経と言われているからです。
そして混同されがちな「施餓鬼会」と言うのもあります。こちらは次の機会に書きます。

以前にも書きましたが、大切なのは供養の気持ちですから偽経であってもいいのです。
お盆は亡き父母や近親者を迎え、皆で供養するとともに現在の自分達が一生懸命に見生きている姿を見て頂くためのものです。

地方では8月がお盆の時期とされている事が多いのは、関東圏に出て行った者が夏季休暇で田舎に帰り、親族一同集まって皆で亡き人を迎えられるよう、8月になったという説もあります。

今の御時世では、お盆休みは海外旅行だとか、お盆休みなんてそもそも取れないとか、子供が受験を控えているからとか、本来のお盆らしい事はなかなかできなかったりします。

重ねて言いますが供養の気持ちこそが大切なのです。
亡き人達も今を一生懸命生きている人達の都合をすべて無視しろとは言いません。

御自宅に御仏壇があれば普段よりもお供え物を少し多くし、感謝の気持ちを持って手を合わせましょう。ほんの数分で済む事です。そして自分達が一生懸命に幸せに暮らしていると言う事を亡き人に見て頂くわけです。

帰省できなかったり旅行中であったりでも、きちんと迎えできない事への謝罪と、普段より尚一層の感謝の気持ちを念じましょう。それだけでも亡き人は分かって頂けると思います。
posted by 未熟な修行者 at 21:00 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記