見守る御主人

2016年06月30日

訪問した家で「嫌だ」と感じたことがあった話を以前に書きました。

実は見たり感じたりするからと言っても毎回怖い思いをする訳ではありません。
多くはないですが中には心温まる経験もあります。

4年ほど前に伺った一軒家での事です。
お子様達もとっくに全員独立しておられ、1年ほど前に御主人が亡くなってからは結構立派なお宅に奥様お一人で住んでいるという一軒家に仕事で伺いました。

作業場が居間なのですが、入った瞬間に奥様お一人ではない事がわかりました。
居間の隅の方に御高齢の男性の姿がうっすらと少し光って見えていました。

気づいた瞬間ちょっとビクッとしましたけど嫌な感じはまったくしないのです。
居間はとても暖かみがあって明るい空気と言う感じです。
とにかく変な事を言うわけにもいきませんので、とりあえず無視と言うか何も見えなかったフリして作業を始めました。

来客もそれほど多いわけでもなく、お子様達もそれぞれ家庭を持っていて頻繁に来るわけではないので、仕事で伺ったとは言え私と言う話し相手がいて奥様はとても楽しそうなのです。
作業をしながらお話し相手をさせて頂いたのですが、お話し好きなようで奥様のお喋りは止まりません。(笑)
「主人も先に亡くなっちゃって一人きりだと寂しくてね・・・これからは自分の好きな事をしようと思って色々始めたのよ」
とカルチャーセンターみたいな所でいくつか習いごとも始めたと仰っていました。
聞いてみると、そのお歳から始められるのは大変ではないかと思うような習い事まであったのですが、奥様はとても楽しそうに話されます。

ちらっと先ほど見えた御高齢の男性の方を見ると、楽しそうにお喋りしている奥様を微笑んで見つめています。
<旦那さんかな・・・>
と思ったら、微笑みながらスッとこちらを向いて軽く会釈されました。
<やっぱり旦那さんか>
と納得しました。
誰もいないはずの方を向いて普通に会釈して奥様に不審に思わてもいけませんので、軽く頷く程度でしたが会釈を返しました。

奥様はお喋りこそ止まりませんが上品に見えます。多分とても明るく社交的なのでしょう。そして旦那さんもニコニコと微笑みながら奥様を見つめていらっしゃるので奥様を大切にされていたのでしょう。明るくて仲の良い御夫婦だったのだろう、と思いました。
良い雰囲気の空気に包まれているようで、その場にいるだけでこちらが癒されるような空間でした。

成仏してたらあの世に旅立っているのではと思うのですが、嫌な気配も全くないので旦那さんは成仏できていないという感じではないのだと思います。よく分かりませんが不思議な体験でした。

気づいた時には旦那さんの姿は見えなくなっておりましたが、奥様の事が心配でたまに見に来ているのかも知れません。

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見えるのが羨ましい?

2016年06月25日

幽霊なのか、怨念なのか、そうでないものかは判断できませんが私がたまに怪しいものを見るという事を羨ましがる人が稀にいらっしゃいます。
怖いもの見たさなのは分かるのですが、正直なところ見えるだけであれば見えない方が絶対にいいです。

基本的には見えないのが通常でたまに見えてしまう時がある程度なのですが、いつ何きっかけで見えてしまうのか未だにさっぱりわかりません。
霊能者のように祓う事すら満足にできないでビビるだけの何が羨ましいのか分からないです。
(余談ですが某自称霊能者がまったく祓えていないのを目撃したことがあります)

自分の歩いている前方に、絶対に因縁をつけられると明らかに分かる、物凄〜くガラの悪い体の大きな兄ちゃんが鉄パイプを振り回して歩いているとします。
インネン吹っ掛けられても撃退出来ないのに、わざわざ近付いて良く見てみたいと言ってるのと同じです。

見えてしまった時に気付かないフリするのって実は結構大変なんです。
しばらく見えない時期が続いていて急に見えてしまうと、かなりビビってしまい見えないフリもうまく出来ないこともあります。(絶対顔に出てると思う)

勿論怖いものばかりではなく、ちょっとクスッときたり、心が温かくなるようなこともありますが。
ただ、異質の存在に対して冷静でいるのは難しいです。

若気の至りで私も行った事はあるので偉そうには言えませんが、そんなものを見てみようと所謂心霊スポットに行くのはやめておいた方がいいと(今は)言えます。

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亡き祖父からの知らせ

2016年06月24日

私の父方の祖父は私が一歳の時に亡くなっています。
初孫だったこともあってとても可愛がってくれたようなのですが、生まれて一年程度ですから私自身は覚えていません。

私の叔母(父の妹)が、ある日夢を見たそうです。
亡くなってから20年以上も経っているのですが、祖父(叔母にとっては父)が夢に出てきて
「頭が痛い、頭が痛い」
と苦しそうな顔で言うのだそうです。
最初は何だろう、としか思わなかったらしいのですが毎晩のように同じ夢を見るのだそうです。
毎晩のようにこんな夢を見るのはおかしいと思い、気になってお墓に行ってみたら墓石の上に歯ブラシが乗っていたそうです。他のお墓にお参りにやってきた人が墓石を掃除するのに使ったと思われる汚れた歯ブラシだったそうです。
叔母は
「これだったのか」
と思い、それをどけてあらためてお墓を綺麗にしてお参りして帰ったとの事でした。
その後は夢に出てこなくなったそうです。

ちなみに叔母は怖い話とか大嫌いな人です。信じる信じないという問題以前に怖いから嫌だ、という人なのですが
「さすがに自分の父親の事だからねぇ、怖いとかなんとかより気になっちゃってねぇ。見に行って良かったよ、そういう事もあるんだねぇ」
と言ってました。

となれば、初孫でとても可愛がられていた事ですし、たまに見えちゃったりする事もある私にも何か知らせがあったかと思われますよね。

実はまったく何も感じませんでしたし夢にも出てきませんでした。
祖父は一生懸命知らせようとしていたのに私が気づかなかったのだとしたら
「ええい、あれほど可愛がったのに役に立たん孫め!」
と祖父はイラッとしていたかもしれませんね。(笑)

もしくは、たまに見えてしまう事にすごく嫌悪感を持っていてやさぐれていた時期ですので敢えて私には来なかったのかも知れませんけど。

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初めて見たのは

2016年06月22日

幽霊と言いますか、そういった怪しいものを初めて見たのは小学1年の頃でした。
もしかするとそれ以前にも見ていて気付いていないだけかも知れませんが、明確に生きている人ではないと思ったのはこの時が初めてだと思います。

当時はまだ両親と同じ部屋で川の字になって寝ていました。
夜中に目が覚めてしまう事はまず無いのですが、何故かふっと目が覚めました。

部屋の入り口から一番遠いところに寝ている父が夜中にトイレに行きたくなっても私を踏むことがないように豆球を点けているので薄っすらと部屋の中は見えます。

布団の上に座るように起き上がってみると足元の方に誰かいます。
両親は私の両側で普通に寝たままだったので「誰だろう」と不思議に思いました。

髪が結ってあり赤い着物らしきものを着た女性で、足を横にずらした所謂「横座り」のような形で布団の足元の方に座って部屋の端の方に顔を向けています。
昔の遊女のような赤い襦袢1枚の姿が一番近いのですが、当時はそんな事はわからなくて時代劇に出てくる女の人みたいだと思いました。
目は割と切れ長で、化粧っ気はあまり感じないのですが唇だけは異様に赤く見えます。

豆球が点いていると言っても、薄暗くそこまではっきり見えるのは不思議です。
その時には怖いとかは思わず、普通にこの綺麗なお姉さんは誰だろうと思ったのです。

そして私が見ている事に気付いたのか、その女性が凄くゆっくりと私の方に顔を向けはじめました。
あまりにもゆっくりとこちらに顔を向けてくるのが不気味で、ちょっと怖くなってきた私は再び横になって寝たふりをしたのですが、その女性は少し上半身を乗り出してきました。

掛け布団を被りたかったのですが当時の私はかなり寝相が悪く、蹴飛ばしてしまったのか見当たりません。
仕方なく目を瞑ったのですが何事も起きないので薄目を開けてみると、私の顔の上1メートル辺りに女性の顔がありました。
怖くて叫んだつもりなのですが声が出ません。

不思議な事に女性は上半身を乗り出しているにもかかわらず、下半身は最初に座っていた場所にあるのです。
上半身が伸びたように私の顔を真上から見下ろしています。
そして何か喋っているのですが声が小さすぎるのかよく分かりません。

「オバケだ」
と怖くなった私が父と母を揺さぶったのですがまったく起きてくれません。
女性は相変わらずの高さのに上半身があり、こちらを見下ろしています。

恐怖が限界に達した私は、父の枕元にあった腕時計を掴み女性に投げつけました。
女性にではなく見当違いの方に飛んだのですが、それで女性はふっと消えてしまいました。
投げつけた腕時計は押入れの襖に穴を開けてしまいました。
そこで意識が途切れました。

翌朝、襖には穴が開いており腕時計が転がっていたそうです。
私の話など信じず、父も母も私が寝ぼけて投げたんだろうと言ってました。

祖母にその女性の事を話すと
「誰にも言っちゃいけないよ、可哀想な人なんだから」
とだけポツリと言いました。
何か心当たりがあったのかも知れませんが、その後も何故か聞いてはいけない気がして聞けずじまいでした。
祖母は既に亡くなっているので真相は今もわからないままです。

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お寺参拝時に持参しているもの

2016年06月20日

以前、知人から
「お寺に行く時って何か持っていってるの?」
と聞かれた事があります。
宗教にまったく興味のない知人は純粋に何か持って行くものがあるのだろうかと思ったのだそうです。

私がお寺に行く時に持っていっているものを紹介します。

まずは「念珠」です。
普通に葬儀などで使用される珠が少なく輪の短い「略式念珠」の時もありますが、主珠が108個ある「本連念珠」を持っていくこともあります。略式はあまり宗派は問いませんが本連は真言宗用の念珠です。
でも、本堂の外からお詣りする場合には使わずに合掌だけの事も多いです。

次に「塗香」です。
こちらは主に手などに塗るお香です。
本来は読経の前などに手を清めるのに使うのですが、小さなお寺などでは手水舎が見当たらなかったり節水中だったりしますので、そういった場合に手を浄めるために使います。成分にもよりますが口に僅かに含むこともあります。

稀に「経本」を持っていく事もあります。
好きな時間に本堂で一通り誦経させて頂ける機会はそれほどありませんし、重要な部分は覚えておりますので今はほぼ持っていくことはありません。
経本は真言宗ですので「檀信徒勤行経典」で必要なお経や真言はほぼ載っています。
(宗派によっても若干違う部分はありますけれど)

御浄財用の「小銭」
これも重要です。幾つかのお寺さんを巡る時には、一円玉、五円玉、十円玉はとにかく大量に持っていきます。御浄財として入れる金額の多寡は気にしなくていいので一円玉一枚でもまったく問題ありません。
あと御朱印を授かる場合には百円玉もある程度必要になります。

ハンカチやハンドタオル
手水舎で手や口を清めた後に拭くためです。
清潔であれば色や柄などは派手でなければあまり気にしなくて大丈夫です。

ウェットティッシュ
携帯用の20枚くらい入っている物です。
意外と手が汚れていて、手水舎がなかったり節水中だったりした時に便利ですので。

ライター
なんとなくお線香をお供えしたくなった時に火をつけるために。
だいたいお線香に火をつける機械やライターが備え付けてあったりすることもありますが念のため。

御朱印帳
授けて頂くつもりであれば必要ですね。

B5のクリアファイル
御朱印帳に書いている余裕が無い場合や住職御不在の場合などの場合には、書き置きしてある御朱印を授かる場合があります。
その場合、半紙を半分にした程度の大きさのものであることも多く、たいていの御朱印帳より大きくて挟んでもはみ出してしまいます。そのままバッグに入れたりすると折れたり破れたりしてしまいます。その際にB5のクリアファイルがあると便利です。
なお、そういった書き置きサイズの御朱印を綴じておける御朱印ホルダーと言う物が市販されていますので、それでも構いません。(普通の御朱印帳よりも少しお高めですが)

メモ帳と筆記具
何かメモする時に使います。(当たり前ですね)
幾つかお寺さんを巡っていると、どのお寺さんにどんなお堂があったとか分からなくなる事もありますので。

バッグ
上記に挙げた色々な物を入れるため必要です。
派手すぎなければ色や形などはそれほど気にしなくて大丈夫です。
私はカーキ色のトートバッグを使っています。
お寺さんの案内や独自に出されている印刷物などを頂く事もありますので、少し大きめのバッグの方が良いかと思います。

だいたい、この程度でしょうか。
その他に携帯電話(寺内はマナーモードで!)や財布なども勿論持っています。
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お寺さん巡りの結果

2016年06月19日

土日と晴天の猛暑日だったのですが、以前から気になっていた11のお寺さんを巡ってみました。
自宅からそれほど遠くないお寺さんばかりなので甘く見て自転車で巡ったのですが、自宅からは近くてもお寺さんからお寺さんへの移動距離は結構あったのでした。
猛暑の中、移動でヘロヘロになって、お寺さんの空気で癒されて、また移動でヘロヘロに。(笑)

中には御多忙そうにも関わらず私だけのためにわざわざ本堂を開けて入れて下さったお寺さんもあって恐縮するやら感激するやらです。私一人の我儘で長時間つき合わせるわけにいきませんので、さくっと拝ませて頂いた後に短時間ですが本堂の中を色々と拝見させて頂きました。

各お寺に一体ずつあって十三のお寺を巡る十三仏巡りは知っておりますが、今回巡ったお寺の中に十三仏すべての像があるお寺がありました。新しい像でしたので古い由緒あるものと言うわけではないようでしたが、一寺に十三仏すべてあるというのは近所では他にないので新鮮でした。
写真撮りたかったんですけどね。
そうそう、私は寺社で写真を撮る事ってまず無いです。寺社を撮影している人は結構いるのですが、私自身はなんと言うか失礼なような気がして撮れないのです。個人的に思っているだけですので禁止されていない限り撮りたい人は撮って構わないと思います。

とあるお寺の不動堂では、御浄財を入れると突然そこそこな音量の不動明王真言が流れ出して「ビクッ」と驚いたり。

また、少しだけお坊さんとお話(堅苦しい話はほぼ無いです)をさせて頂いたり。

お留守でどなたもいらっしゃらないお寺さんもあり残念でしたが、「その日は」御縁が無かったということで、またいずれ訪ねてみるつもりです。


なかなか楽しい時間でした、めちゃくちゃ暑かったですけど。

そして帰ってきてから気づきましたが、自分でもびっくりするほど日焼けしてました。
いわゆる土方焼けと言われる、袖から出ている腕と顔だけの日焼けです。
腕の裏側は白いままですし、腕時計の跡もくっきり残っているのが何だかみっともないような。(笑)

暑い日が続いておりますが皆様もどうぞ御自愛下さい。
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神社での御願いごと

2016年06月18日

私は神社にもよくお詣りさせていただきます。

真言宗を信仰しているからと言って神社には行かないと言う事はありません。
神仏習合の頃の名残かも知れませんが、真言宗では神社にお祀りされる神様を大権現としてお祀りすることもあります。
ですので、仏さまは「神社に行っちゃいかん」などとは言わず、例え宗旨違いであっても礼節を持って手を合わせ真摯にお詣りすることは喜ぶのだと教えられました。

神社で様々な御願い事をされると思うのですが、私も神社に参拝した際には手を合わせて御願い事をする事がよくあります。と言うか未熟者ですので御願い事ばかりしております。


しかし、無闇に数多くの神社に参拝してどこに行っても同じ御願い事をするのは宜しくないのかも知れません。
神様はそれに対して別にどうこう思われる事もないと思います。
ただ、ごく稀だと思いますが神様のお使い(お稲荷さんであれば狐のような)によっては良く思わない事があるかも知れません。


私の経験ですが、とあるお稲荷さんに参拝して御願い事をしました。その後で何か所かの神社にも参拝して同じ御願い事を致しました。

とある神社の本社で同じ御願い事をして、そこの末社として祀られていたお稲荷さんにも手を合わせて同じ御願い事をしようとしたところ、今まで様々な神社でしてきて、つい今しがたも本社でした御願い事であるにもかかわらず何故かきれいさっぱり忘れてしまったのです。
御願い事を思い出そうとしてもどうしても出てこず、更には両側にある狛狐が私の事をじっと見つめているようで居心地が悪い感じがします。

これはおかしいと思い、一旦お稲荷さんの前から離れた瞬間に嘘のように御願い事を思い出しました。
「同じ御願い事をあちこちの社でしているじゃないか」
と少し不快に思われてしまったのかも知れません。

なので、あらためてお稲荷さんの前に行って
「失礼しました。宜しければ御縁を下さいますようお願い致します」
と手を合わせました。
狛狐に見つめられている感じもなくなりましたが、もしかしたら節操がないと呆れられてしまったのかも知れません。(笑)

どこの神社でも同じとは限りませんが同じ御願い事をあちこちでしていると、こういう事もあるのかも知れません。真相はわかりませんけれど。

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パワーストーンの処分方法

2016年06月17日

パワーストーンが不要になった場合の処分方法について質問がありましたので記事にします。

しばらく身に着けずに保管しておく時は放置したままでは良くない場合もあるので、たまに浄化してあげると良いそうです。
石ごとに浄化の方法があるらしいですが私は詳しくないので御自身でお調べ下さい。


それでは実際の処分方法です。
処分方法については色々な情報もあるようでどれがいいのかも難しいところですが、やってみて問題無いと思われた方法を書いておきます。

石が不要になり処分する場合ですが「何も効果が無かった」と思っても気付いていないだけで、実際には何らかの悪いものから守ってくれていたかも知れませんので、必ず感謝の気持ちを持って処分して下さい。


まず水道水で構わないので「ありがとう、お疲れ様」という気持ちを持って軽く洗ってあげて下さい。表面の汚れを流水で軽く流す感じで構いません。

その後、家の庭や川沿いの土手などで構いませんので石を埋めるための穴を掘って下さい。
面倒だからと言って植木鉢やプランター等の土に埋めてはいけません。
必ず大地の土に埋めます。自然に戻してあげるという事に意味があるのです。
(掘っても怒られないような場所にして下さい)

簡単に出てこない程度の深さであれば、それほど深くなくても大丈夫です。
掘り返すことが無いような所であれば10センチ程度の深さでも問題ありません。

穴を掘ったら、その中に粗塩を軽く一摘まみほど振り撒いて下さい。
それから「ありがとう、お疲れ様」という気持ちを持って、石を穴の中に入れます。
石の数が多い場合はある程度の数の石を入れたら土を少し被せて、石を入れるというようにすれば良いです。

石をすべて入れたら土を被せて埋めて下さい。
最後に粗塩を埋めた土の上に少量振り撒いて「ありがとう、お疲れ様」と念じて下さい。
手を合わせたりする必要は特にありません。


なお、石は他の人にあげないで下さい。あなたに合った石であっても他の人には向かない場合があります。

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お寺さんとの縁の持ち方

2016年06月16日

お寺に行ってお坊さんといきなり話ができるのかという御質問がございました。

お父様が大病されて長くはないとのこと、特に信仰している宗派はなく、御自宅に仏壇もなく、お付き合いのあるお寺もない、万一の時に葬儀会社から適当なお坊さんを派遣されるのは違和感があるため、お坊さんの人柄等を見極めた上で御縁があるのであれば、との事のようです。

そういう事情がなくとも、お寺にお詣りして手を合わたら帰るのではなく、出来ればお坊さんとちょっとお話してみたいが、いきなり話しかけていいものだろうか、と思われている方も大勢いらっしゃるようです。

そういった方々はどうすればいいのか私なりの御説明をします。

御質問のあった方のように事情がある場合、お寺の宗派はお父様の御実家や御親族様の信仰なさっている宗派を選ぶのでも構わないかと思います。
特に宗派にこだわりがなければ、お家の御近所にあるお寺さんで構わないと思います。
ただ、同じ宗派のお寺さんであっても御住職の考え方などによってお寺としての方向性がまったく違う場合もありますので、いくつかのお寺さんを候補に選んだ方がよいと思います。

定期的に法話会や写経会を開催しているお寺さんであればそれに参加されてみるのも良いかも知れません。
おそらく1〜3千円程度のお布施をお納めする必要があることが大半ですが、よほど忙しくない限りは終わった後にお坊さんと少しお話しできる機会も割とあります。


そういった会が開催されていない場合には訪ねてみるしかありません。
しかし、いきなりお寺さんを訪ねてお坊さんと話してみたいと思ってもお話しできない事が非常に多いです。
大きなお寺でお坊さんが何人もいるようなところは別ですが、細々とやっているお寺さんですとお坊さんは御住職一人しかいないということも割と多いです。
お坊さんは毎日何度かのお勤めがあり、更には法要で出かけたり、檀家さん宅へ出向いてのお付き合い、墓地の管理、それ以外の様々な雑務全般、と想像する以上に多忙ですので外出されている事も多く、いきなり行っても会う事が難しいケースもかなりあります。

お寺におられる可能性が高いのは午前中のそれも前半です。
朝の勤行が6〜7時くらいでその後に朝食というケースが多く、その後はしばらくお寺におられる事も多いようです。時間でいえば8〜10時くらいでしょうか。
ただ、その時間であっても雑務などで忙しい事も普通ですし、お寺さんによってお勤めの時間が違う事もありますので御注意下さい。

一番確実なのはお電話で
「最近仏教に興味があって色々なお寺さんにお詣りさせて頂いています。可能であればお詣りさせて頂いた後に数分でいいのでお坊さんにお会いして少しお話してみたい」
とお坊さんの比較的自由になる時間を聞いてしまう事です。
(もちろん急な法要等が入ったなどでお会いできなくなる事もあります)
いきなり信徒になりたいというのではなく、宗派も色々あるのでどれを信仰するかも迷っている、お坊さんの時間の都合がつく時にザックバランなお話しを聞いてどんなものか感じてみたい、くらいの態でいいのです。その事を言ってしまっても構いません。

多忙で無理と言われた場合には御縁が無かったと思って諦めましょう。
そんなにはっきり言われる事はまずないと思うのですが、まったく無いわけではありません。

御縁があってお会いできる場合、遅れないよう少し早めに出かけ、まずきちんと参拝されて下さい。御浄財(御賽銭)は1〜5円程度で構いません。
そしてなるべく長居しないように心掛けながら、お寺の由来や、御本尊はどのような仏様なのかや、どのような教えを説かれているのかを聞いてみるといいでしょう。
お話しする中で分からない言葉が出てきたら質問します。
熱心なお寺さんお坊さんであれば時間の許す限り、きちんと説明して頂けます。

実は失礼にならない程度の微妙なツッコミを入れてみるのも人柄がよく分かったりするのですが、いい塩梅のツッコミは大変難しく、ただの失礼な発言になりがちなので止めておいた方が無難です。
(私は何度かやらかしたことがあります)


コメントで御質問があった方のように、残念ながらそれほど遠くない将来に仏事が予想されるという事情がおありの場合は、お坊さんとのお話の最中にさりげなく
「失礼ながら経済的な事情があり満足なお布施も出せないのですが、それでも将来必要な時にこちらで仏事を執り行なって頂く事は可能なのでしょうか?」
と率直に聞いてしまってもまったく構わないのです。(直接お会いした時のみです)
費用が少なくて済むようにアドバイスを下さるお坊さんもいらっしゃいますし、お布施の金額は気にしませんというお坊さんも中にはおられます。
無理なら無理と言われるはずで、その場合は御縁が無かったと諦めればいいだけです。


私の場合、ふらっと参拝しただけのお寺さんで御住職がお留守にされていても御家族に
「本堂に入ってお詣りをさせて頂く事は可能でしょうか」
と図々しくも聞いてしまいます。(御家族様も忙しそうであれば遠慮しますが)
こころよく開けて頂ける事もありますし、反対にお坊さんが不在の時は無理と言われる事もあります。

お坊さんがいらっしゃって時間があればこころよく御本堂でお詣りさせて頂ける場合も多いです。
「数分お話しさせて頂いても宜しいですか?」
と聞いて、お坊さんが忙しそうでなければ積極的に話しかけるようにしています。
お寺の由来や御本尊の功徳についてや、このお寺さんではどのような教えを説いているのかを聞く事もありますし、ただの世間話程度をする事もあります。


「仏さま」は信仰しようかな〜という心を持った方へは広く門戸を開いておりますので、その仏さまをお祀りしているお寺さんも原則的には門戸を開いているはずです。
もちろん御多忙の事も多いので自分の都合だけをゴリ押しせず、お寺さんの事情も汲み取った上で必要最低限の礼儀を持っていれば遠慮なくお話していいのです。

注意点ですが、お話が具体的な相談事になってしまうと場合によっては相談料のような意味合いで「お布施」をしなければならないこともあります。その場合も「お気持ちで」と言われる事は多いですが、現実的にはだいたい5千円〜が多いです。
とりあえずお寺さんに触れてみたいという場合にはこの点注意が必要です。


あと大切な事ですが、せっかく御縁を持ててもそれっきり音信不通になっては意味がありません。
これは、と思ったお寺さんお坊さんに出会えたら、可能な限り何度も参拝して自分の顔を覚えて頂く方が宜しいかと思います。

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パワーストーンって

2016年06月15日

私も所謂パワーストーンと呼ばれるもので出来た腕輪念珠を身に着けていたりします。

邪気を祓ったり、運気を上げたりなどなど石によって色々な効果があるそうです。
ただ、お持ちの方も多いとは思いますが単なるアクセサリーでしかないものが殆どだと思います。
もちろん全部がそうとは言いきれないかも知れませんが。

30万円近い腕輪念珠を見せてもらった事もありますが、ただの石としか思えず特に何も感じませんでした。
(私とその念珠に縁が無いからだと言われたら何も言えませんけれど)
そもそも腕輪念珠にそんな大金をポンと出せるなら元々が相当恵まれている方のはずですから、身に付けようが付けまいが変わらない気もします。
まず、その物自体には何の効果も無いと思った方が良いでしょう。

僧侶や霊能者が作成したとか謳った物までネットで売られていますが、寺社で販売する方が参拝者も増えて絶対にいいはずです。
自分の目で見て選んだわけでもなく宅配便で送られてくる物では言われるような効果はまず無いと思います。

もし効果があったように感じたとすれば自分の心の有りようが変わった為ではないかと思います。
良いイメージを信じて進むだけで良い事は起こりえますから「高いお金を出した=効果がある」と思い込めれば良い方向に進むこともありますので、何等かの宗教を信仰し運気が上がると信じ込むのと効果は変わらないと思います。

高いお金を出すのであれば世の中の恵まれない方のために寄付をし、その領収書でも身に着けていた方が余程運気が上がる気がします、布施という事で。


お薦めは自分で石を見て気に入った物を選ぶことです。
稀に石に変なものが入り込んでいる事がありますので、紙(ティッシュでも可)で包んだ少量の粗塩を身に着けておくといいです。

石の選び方は、かわいいとか綺麗とかではなく(駄目というわけではありませんが)妙に惹きつけられる石を見つけられたらそれが一番いいです。
但し、そういった石はなかなか見つからないと思いますので、これはと思う石が見つからない場合にはその時点での購入は諦めた方がいいです。

複数の石を購入して(石同士の相性は私には分かりませんが)自分で腕輪を作っても構いませんし、腕輪の形で売っている物を購入されても構いません。
石一つだけ購入して巾着などに入れて身に着けるのでも問題はありません。

自宅に入る前には購入した石に粗塩を軽くふりかけて一旦邪気を祓ってあげた方が良いようです。

家に入ったら「自分の所に来てくれてありがとう、これからよろしく」という言葉をかけてあげて下さい。
普段寝る時には外して綺麗なお皿の上において枕元などに置いておくと良いです。
一般的に言われている普段の浄化方法はよく分かりませんのでお店で聞くなり調べるなりして頂ければと思います。


私の腕輪念珠もその辺で購入できる程度の決して高い物ではないのですが、自身で「加持念珠」という修法を定期的に行なっています。(「加持念誦」でなく「加持念珠」です)
多少手間と時間がかかりますし、これも気の持ちようかもしれませんが、自分の信仰に沿うものですからまだ信じられると思っております。


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訪問した家で

2016年06月13日

私の仕事はオカルトやスピリチュアルや宗教的な事とは丸っきり正反対な仕事です。
あまり仕事の内容について詳しくは説明できないのですが、個人宅や企業や店舗などから依頼され訪問して行なう作業も多くあります。

そんな中、たまたま私自身が感じる時だったという前提もあると思われますが
「ここ、嫌だーっ」
と思うような所に当たる事も稀にあります。
嫌だと思っても作業が終わらなければ帰れないのが辛いところです。(泣)

とある一軒家の個人宅に伺ったときの事です。
つい先日御主人が病気で亡くなられたばかりでまだ仏壇も無く祭壇のままでした。
仕事は極力事務的に行ない家庭の事情にはなるべく触れないという規定がありますので、そっと心の中で手を合わせておきました。
そこでは別段不思議な事もなく、特に何か感じることもなく普通に作業していました。

ただ作業を進める上で確認せねばならないことがあり、それは亡くなった御主人の仕事部屋でないと分からないと言われました。
案内して頂き、奥様がドアを開けた瞬間、まだ部屋の明かりをつける前ですが
「うわっ、ここ嫌だ」
と感じました。
しかし、そんな事は当然言えません。

奥様が明かりをつけて下さったのですが、物が溢れ返っていて窓も開けられないような部屋でした。
別に何かはっきりと見えるわけではありませんが、何か妙な空気と言うか気配のようなものに支配されており、照明も十分明るいのですが何故かドヨーンと暗い感じがあります。
「汚い部屋でごめんなさいね、掃除もさせてくれない部屋だったので」
と奥様は恐縮していましたが、私は早く済ませたいと言う一心ですので覚悟を決めて部屋に入り、確認しなければならない事をさっさと済ませて部屋から出ました。
不思議な事に部屋から一歩出ただけで明らかに空気が違います。明らかに照明が暗いはずの廊下の方が明るく感じますし、なにより祭壇のある部屋の方がよほど明るく澄んだ空気で安心するくらいです。

亡くなられた御主人がそのために病気になったのかは分かりませんが
「あんな部屋にいたら駄目だ」と内心思っていました。
ですが何も感じない人からすれば頭のおかしな人の戯言と思われるでしょうし、仕事の規定で家庭内の事に首を突っ込んではなりませんので奥様にそんな話を言えるわけもありません。
落ち着いたら片付けると仰ってたので多分大丈夫かなとも思いましたし。
その後は特に何事もなく仕事も終わって退出しました。

そういう部屋だから良くないものが溜まるのか、良くないものが来たからそういう部屋になっていくのかは分かりませんが、そういった部屋では散らかっているだけではない何かを感じる事が割とあります。窓も開けられないような部屋は特にです。

以前にも部屋についてきちゃったものを自分でなんとかする場合、部屋を掃除する事を書きましたが、そういった理由もあるのです。

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将門の首塚

2016年06月11日

知人が「将門の首塚」に行ってきたと言っておりましたので昔の体験談をします。

今から30年近く前の事なのですが私は東京大手町にある会社に出向して働いておりました。
勤務している部屋は地下のとても広い部屋で色々な会社から出向してきた100人以上の人が机を並べていたのです。
私の右隣の席には別の会社から出向されてきている10歳ほど年上の方(仮にAさん)がおり、とても仲良くして頂いていました。

時々、その広い部屋の中でうすボンヤリとした黒っぽい影がスーッと移動して壁の中に消えていくのを見ました。たくさん並んだ机も椅子も通り抜けていくのです。何故か人は避けていくのですけどね。
最初に見た時は驚きましたが別に何かされるわけでもなく、ちょっと嫌だな程度の空気をまとっている感じでしかなく、じっと見ていてもこちらに何かちょっかいをかけてくる様子もありません。

とある朝、出勤してすぐですが、またスーッと移動しているのを見かけて
「またか」
と思って目で追いかけていたのです。
すると急にAさんが私に
「あ、○○君も見えてるんだね〜、ここたまに変なものが通るよね〜」
と言われビックリ。
その方もここで何回か見ているとのこと。

「あれかね〜、すぐ隣に将門の首塚あるからそれかね?」
と言われて私は更にビックリ。
将門の首塚の祟りとか怨霊の話などは何かで見たり聞いたりして知っていましたが、まさかこんな近くにあるとは思いませんでした。
まだまだ二十歳そこそこの若造で怖いもの知らずでしたので
「知らなかったの? じゃ、ちょっと見に行こうよ」
とAさんに誘われるまま勤務時間中にもかかわらず(笑)二人で抜け出して見に行きました。

ビルの地下から、そのまま地下鉄の出入り口にもなっている所を上がっていって、歩いてすぐの所に将門の首塚がありました。
随分前の事ですので今とかなり違うと思うのですが、その当時は狭くて開けた感じでは無かった記憶があります。
平日の勤務時間中、それも確か10時にもなっていないオフィス街ですから他に誰もいませんでした。(笑)

そんな事はどうでもいいのですが、将門の首塚に到着するなり思ったのが
「うそ〜、すっげー神々しいじゃん」
と思ったのでした。薄暗いですがすごく爽やかな神々しい感じが満ちていました。

実は、うちはすご〜く端っこの方ですが一応祖先に源氏の家系がいるらしいので、平家の武士である将門さんはマズイのかな、とも思っていたのですが全く予想に反した状態でした。
何と言うか「ようこそ、首塚へ!!」って感じです。(笑)

あの黒い影が持っている感じと全然違う、と思いました。
首塚の碑からと言うよりも、地面全体から神々しい気(と言うものなのでしょうか)が立ち上っているような感じがするのです。
詳しい事は私に分かるはずもありませんが、祟りとか怨霊とかのイメージとはかけ離れているように感じました。

「どう?何か感じる?」とAさんに聞かれましたので
「神々しい感じしかしませんよ、怨霊とか程遠い感じ」
と答えました。
Aさん自身はそれは感じなかったのか
「へ〜、そうなんだ」と言ってました。

勤務している部屋で黒い影を見てから、すぐに行ってみたので見える時だったとは思うのですが、首塚に何か悪いものがいると言う感じもしませんでした。あれだけ神々しかったら悪いものはそこにいられないとも思いますが。

将門の祟り、なんてないんじゃないかな〜と思ったものです。
ちなみに黒い影の方はその後も何度か見かけましたが、1年半ほどで出向も終わりましたので何だったのかは今でもわかりません。

posted by 未熟な修行者 at 23:21 | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

破戒僧とか言う人は

何回かに渡って僧侶の「肉食」、「妻帯」、「飲酒」、「喫煙」について書いてきました。
念の為ですが、私個人が調べたり聞いたりした結果の見解を書いてきただけですので必ずしも正しいとは言い切れません。また時代の流れとともに誤って伝わったり、時代の中で変化してきた可能性も無いとは言えません。そのことは御理解・御容赦下さい。

中には僧侶や仏教が批判されても仕方がないと納得せざるを得ない部分も確かにあります。
つい先日も某宗派の総本山の僧侶が修行僧にとんでもない真似をしてニュースになりました。個人的には嫌いでない宗派なのでとてもガッカリしました。

それはともかく・・・

今まで書いてきましたように僧侶はこうあるべきというのは勝手な思い込みである部分もあるのではないかと思います。

無信仰でやたらと批判するだけの方もいらっしゃいます。
信仰は個人の自由ですから無信仰である事自体は別に何の問題もありません。
しかし「生臭坊主だ」とか「破戒僧だ」とか声を荒げて主張する無信仰の方の中で多く見受けられるのが
「信仰していないことへの言い訳にしているだけ」
のことが多い気がします。
「〜〜〜だから信仰しない」のではなく
「信仰するつもりがないから」言ってるだけの方も非常に多いです。

無信仰は他を頼らないという事ですから別に問題ありませんし、それはそれで立派な信条だと思います。
なのに仏教に限らずとも宗教を批判するのは信仰しない言い訳がましく思えます。黙して語らず、堂々としていればいいのではないでしょうか。

もちろん何かのきっかけで関わったお坊さん、例えばお葬式を頼んだら守銭奴みたいで僧侶としてはとても尊敬できない人間だったという残念な事もあるでしょう。
私もそういう話はよく聞きますが、そういう事ならまだしも、ただ単に何処かで嫌な僧侶の話を聞いたというだけの根拠だけで、昂然と僧侶または仏教を徹底的に批判するのは、たった一人の悪人がいたから人類全員が悪人と言っているのと同列の無謀な言い分です。

多くの宗派があり多くのお坊さんがおられます。その中にはとても厳しい戒律を守っていらっしゃる立派な僧侶もおられます。

御縁があれば尊敬できる師が見つかるかも知れません。
私は僧侶ではなく只の信者ですがそのようにして尊敬できる師を見つけました。


念の為ですが、私は聞かれれば答えるくらいはしますが自分の信仰だけが正しいとか思ったり、自分の信仰を人に勧めた事もありませんので誤解無きように御願い致します。

posted by 未熟な修行者 at 07:00 | Comment(10) | TrackBack(0) | 日記

僧侶の喫煙について

2016年06月10日

一つ忘れていましたが、僧侶の喫煙についても怪しからん、と言われる方が多いです。

これもあっさり書きましょう。

喫煙については戒律にはありません。
何故なら原始仏教の当時はタバコは存在していませんでしたので戒律があるはずもないのです。

お寺さんや宗派によっては喫煙を許していない所もあります。
現代の禁煙の風潮に従ってという事もあるでしょうが、ニコチン中毒を自分で律する事ができないと思われるという面もあるのでしょう。

如何にも僧侶と言う格好のままで公の場での喫煙は確かにあまり良くは思われないと思います。

戒律は存在しないのですから原則的に世の中のルールに従えばいいと思います。
無理に禁煙する必要はないと思いますが今の時代やはり良く思われないのは事実なので、人の目に触れないようにすれば問題無いかと思います。

posted by 未熟な修行者 at 20:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

僧侶の飲酒について

肉食、妻帯について記事にしてきました。

今回は「飲酒」についてです。
長々と書かず、あっさり書きますよ。

仏教では原則「飲酒」はダメとされています。
もうこれは原始仏教の時代の経典などにも書かれていますので疑う余地はありません。

ただ、日本では神事には酒を使っていますし神聖なものと考えています。
そのため日本ではあまり厳格な戒めとはされていません。
「飲酒自体ダメ」だったものが「自分をコントロール出来て悪事を働かなければ飲んでも構わない」に変わってきました。

また、仏教は暑い地域で出来た宗教で、その戒律を寒い地域に持っていっても通用するはずはありません。
寒冷地では体を暖めるために飲酒する事もあります。
日本は温暖な地域にはありますが高山にあるお寺さんも多いので、ある程度は大目に見られたという事もあります。
お釈迦様も戒律が多すぎるので不要だと思う戒律は無くしても良いと言っていたそうです。

とは言え、本来は禁止されていたはずですので「飲酒はダメ」が本当の所ではあると思います。


真言宗では節度を持って飲むのであれば問題ないとされている所がほとんどですので、僧侶ではありませんが私自身も(今は)適度な飲酒にしています。
posted by 未熟な修行者 at 07:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記