オーブが写った?

2016年05月30日

とある心霊番組(録画されたもの)を見ていました。

心霊スポットに訪れたタレントの方が写真を撮っていてですね。
「危うきに近寄るもんかーっ!」な私はそんな場所に行くこと自体凄いな〜と思います。
その中にオーブ(光る玉のようなもの)が写ったとかなんとか。

えぇっ、それはどうなんでしょう・・・

水滴や埃、小さな虫に光が反射しただけだと思います。
なぜあんなに丸く映るのかは光を反射する物がピントが合っていない場所にある、つまりピンボケする距離にあるからです。

例えば古い廃墟、埃だらけな所で人が動けば埃も舞い上がるので、そんな所で写真を撮ればそれっぽい物が撮れたって何も不思議でもありません。
出演している霊能者は埃が舞っていることが確認できる位置に移動(フレームアウトしたり)して確認してから、突然「ここで撮ってみて下さい」とか言っているような気がしてならないんですけど。

暗くて多くの埃が舞っているところでフラッシュを焚いて何十枚も撮影してみればきっと簡単に写せます。

埃はずっとそこにあるわけではなくふわーっと移動しますし、光を反射しない向きになったりしますので、動画でも移動して突然消えるとか、写真でも前後には写らず1枚だけ写っているとかがありうるわけです。

屋外でも降り出した雨粒に光が反射してそれらしく写る事や、夜景などでは非常に遠くにある照明の光が近くにある埃にうまく反射して、それっぽく写る事があります。
滝なんて周りは水滴だらけですから写ったとしても当然で、あと肉眼では見えないほど僅かな霧でもオーブのように写る時があります。

明るい場所では埃に反射した僅かな反射光などかき消されてしまいますので、オーブは夜や薄暗い場所で撮影したものが多いのです。
明るくても写る事はありますが多いのはぎりぎり逆光にならないような感じに太陽があったりします。光の反射の具合でそう写っただけのものがほとんどです。

全部がそういったものと断言はしませんが、そんなものが写ったからと言って大騒ぎするほどの事じゃありません。

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偽経でもいいんじゃない

2016年05月25日

お経の中には「偽経」と言われるものがあります。
「疑経」とか「疑偽経」とも言われますね。

簡単に言えば、原典から翻訳されたものでなく勝手に創られたものであったり、膨大な経典の中から一部を抄出して創られたものなどのお経の事を言います。

お経は和訳されていない限りは漢語で書かれているものが多く、それを音読みや訓読みで読経されるために訳が分からないだけであって呪文ではありません。
(一部に真言が含まれていることも多いですが)
基本的には正しく生きるための教えや教義が書かれています。

歴史的・文学的には「偽経」かどうかの意味はあるでしょうが、信仰の上からは鬼の首を取ったように「これは偽経だ」などと批判したところであまり意味がありません。

信仰的には「偽経」かどうかが問題なのではなく「正しく生きるための教えや教義」が書かれているかのみが大切な事であると思います。
例え偽経であってもそういったものであれば、そしてそれが長い間読誦されてきたのであれば、私は例え「偽経」であっても構わないと思っております。


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力のある方を御紹介

2016年05月19日

できません!
私が何もできないと言っているためなのか、力のある方を紹介してほしいとか言われても。

基本は「御縁」です。
「御縁」がなければ例え紹介しても会えないと思いますし、「御縁」があれば僧侶だろうが宮司だろうが神父だろうが霊能者だろうが、力になって頂ける素晴らしい方ときっと出会えるはずです。

お家の菩提寺や、近所の寺社や教会などを巡ってみる方が宜しいかと思います。
「御縁」があれば相談に乗ってくれると思います。


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重ねて言いますが

2016年05月16日

私は霊能者ではありません。

普通に仕事をしております。むしろ宗教やスピリチュアルな事とは丸っきり正反対な仕事です。
半世紀近く生きている年齢です。妻も息子もおります。

子供の頃からたまに変なものが見えてしまう事があり、これまでに人から教えてもらったり経験で知ったりで超初歩的な逃げ方とか避け方とかは知っていますが、霊視だの除霊だのなんてことは出来ません。
怖いので自分から近付くこともしません。
見えちゃっても、ただただビビって見えないフリして逃げるだけです。(笑)
他の見える方に「憑いちゃってますよ」と言われた(心当たりあり、自覚は無し)事もあります。

もちろん霊能者になりたいとも思いません。(そんなもんになったらもっと怖い思いをしそうで嫌)


在家で真言宗を信仰しており(超適当ではありますが)勤行もするので未熟な修行者と名乗ってます。
ただ真言宗に限らず他の宗派でも良いと思ったものは学ぼうとします。

なにしろ未熟者ですので、真言宗信徒としてどころか仏教徒としても言うべきでない事を書いてしまうかも知れませんが気にせずスルーで御願い致します。


コメントであまり深刻な相談されてもきっと役には立てません、ごめんなさい。
(コメントは承認制ですので公開してはマズイ場合は公開しませんし、ただの誹謗中傷は無視します)
あと、基本知り合いの方向けに書いていますので、そこは御理解下さい。


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インチキかどうかは分かりませんが

2016年05月12日

友人の友人(私の知らない人ですが)が、ネットで評判のいい霊能者の方に相談してみようと思うと言ってたそうです。

何があってそう思ったのかまで具体的には分かりませんが
ここ1年程、何事もうまくいかず、母親が大病を患い、息子も精神的におかしくなった、のだそうです。

何事もうまくいかないのは偶然ではないかと思いますし、その人の母親であれば60歳は超えてるはずなので大病してもおかしくありませんし、息子さんは心療内科などに連れて行くべき(行ってない)ではないかと。

まあ、本人が霊能者に相談して安心するなら別に相談してもいいと思います。私などには無い力が本当にあるのかも知れませんし。


実際の所どうなんでしょうね。
ネットで
「今まで何人かに見てもらったが偽者ばかり、しかしこの人は本物だった」とかの体験談らしいことが書かれているのも見かけますが、本人自身か共謀している人がなりすまして書いているか、もしくは単なる広告なのでは・・・。

霊視は○万円、除霊は○万円とか書いているところ、全部同じ金額ってことなのだろうか。
見えることがあるだけの私でさえも、これはすぐいなくなるとか、しつこそうとかくらいは何となく分かったりするのに。
最低金額ってことなのか、なんだかんだ言って釣り上げるつもりなのか、と思ってしまう。

そもそも「霊視・除霊します」なんてわざわざネットで客集めするかな〜と疑問。
本当に力があればネットでそんなこと書かずとも口コミだけで知れ渡っており、忙しくて新規の相談など受付けていられないと思うのですが。

見える事があるだけで、な〜んにもできない私でさえ知人経由で知れ渡ってしまったりするのに。
人の口に戸は立てられないってほんと実感しますよ、人に言うなって言ってるのに。


まあ、気休め程度でもなるのであれば別に構わないとは思いますが。


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友引って

2016年05月08日

ある方から
「葬儀は友引を避けるのが普通だよね〜」
と聞かれました。

お通夜は構わないが告別式は避けるという説もあったり、宗派によっては気にしないところもあります。

もともと「友引」とは「先勝」と「先負」の間にある日で「勝負がつかない」日であり、別に「親しい人を連れていってしまう」と言うような意味合いではないそうです。

なので気にする必要はあまり無いのかと思います。(私は真言宗ですので気にしますが)


友引の日の葬儀に関して、少し不思議な体験をした事がありますので書いておきますね。

私の知人でお母様が亡くなられ、友引なんて迷信だからと葬儀を友引に行なったのですが、葬儀が終わって数日後にその知人も急逝してしまいました。
お母様をすごく大切にされていた方で、心臓に持病があって入院されたこともあるので、葬儀の疲れや精神的ショックなどから急激に体調を崩してしまわれたのだとは思いますが。

ただ、不思議な事に何故か私の携帯電話の留守電に、知人と親族らしき方がお母様の葬儀の事について話している会話が録音されておりました。

私は仕事でお客様から直接電話がある事が多いので携帯電話の不在着信などはマメに確認します。
普通であれば着信有りとか留守電メッセージ有りとかの表示が待ち受け画面にも出ている筈なので、少なくともその日の内に気付くはずですが、表示など無くまったく気付かなかったのです。

そして知人も亡くなったとの連絡を受けた数日後、他の方から不在着信があったため着信履歴を見ている時になって、はじめて亡くなった知人からの着信があった事に気付いたのです。念の為と思い留守録も確認したら録音されていたと言うわけです。

録音自体はお母様が亡くなった翌日にされていたのですが、私へのメッセージではなく親族らしき方と葬儀の段取りについての少し言い争う感じの会話が数分間入っていたのです。
葬儀のお手伝いをするほど親しかったわけではないので、葬儀の準備で忙しい知人が私にかけてくるとは思えませんし、親戚らしき方と言い争うような会話をしている時にかけてくるとは思えません。

何故そんな録音がされていたのか、なぜ着信有りなど表示されていなかったのかなどは分かりませんが、葬儀の事で親戚と揉めてしまったと言う悲しい思いを分かって欲しかったのかな〜と。
ま、そういう事もありましたよ、程度で。


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生前戒名って・・・

2016年05月05日

生前戒名ってありますよね。
ネット上でも「生前戒名をつけます」と謳っている所が多くあります。

そういったところに申し込んで生前戒名を付けてもらっても葬儀の時には認められない事もかなりあります。

実際に葬儀を行なってもらうお寺さんで授けた生前戒名ではない場合、下手をするとそのままの戒名では駄目であらためて戒名を授けて頂かないと葬儀自体を断られる事もありますし、その戒名を認めて頂くために多額のお金を用意しなければならないなどという事もあります。

仮にその業者がお寺さんで、そのお寺さんに葬儀をお願いするのなら問題は無いでしょうが、あまりに遠方ですと葬儀をお願いするわけにはいかない事も多いのですから注意が必要です。

またネット上で生前戒名をつけると謳っている業者には仏教と何の関係もないところもあります。
葬儀の時に戒名が数十万以上かかるから2〜3万で生前戒名をつけると言えば申し込んでくる人もいてボロ儲けだ、と考えている業者の方が多いのです。

戒名とは仏弟子となって戒めを守る事を誓って授かるものなので、生前に戒名を授かるには仏弟子にならねばなりません。仏弟子になるには本来それなりの修行を経なければなりません。
申し込んだら安易に授けてくれるというものではないという事は理解しておいた方が良いでしょう。

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戒名とは

2016年05月03日

戒名(法名等ほかの呼び方もあります)とは仏弟子となって戒めを守る事を誓って授かるものです。
葬儀は仏弟子になる儀式ですので戒名が授けられる(必要になる)わけです。

宗派によって違うので一例として考えて頂いた方が良いのですが、戒名は
院号+道号+戒名+位号
もしくは
道号+戒名+位号
と言う形で付けられます。
位号と言うのは「居士」、「大姉」、「信士」、「信女」、「童子」、「童女」などとつけられているもので目にした事がある人も多いと思います。
(位号を付けない宗派もありますが)
今は院号等〜位号まで全て合わせたものを戒名や法名などと呼ぶことが普通になっていますが、位号の上にある2文字(多くの場合)が本来の戒名です。

仏式の葬儀が行われて仏弟子になったという事は出家したという事であります。
出家とは本来は家族との繋がりなどもすべて断ち切ることですから俗名のままと言う訳にはいかず、仏弟子としての名である戒名が必要なのでしょう。


「金額によって立派な戒名になるのがけしからん」
という方がおられますが、昔は生前から他者や寺院に対して施し(お金だけとは限らず)をしていた方は立派な戒名を授けて頂けました。もちろん寺院を維持していくために生前に財施を多くしていた方にもです。
つまり生前は在家としてきちんと修行をしてきたと見做されるのです。

そういう意味合いで言えば、今まで何のお付き合いも無く施しもしていない方がお寺さんに戒名を授けて頂く場合、生前の財施も含めた金額と考えると高くなってしまうというのは間違いとは言い切れません。
(とは言え、私も高過ぎではないかな〜と思うこともあります)

仏式の葬儀を行なう以上は戒名を授かるというのも御供養の一つと考えてください。
ですが大金をはたいて戒名を立派にしてもらったから、あの世で故人の扱いが変わるという訳ではないと思います。


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お葬式って高い

2016年05月01日

知人のお父様が亡くなられて、その葬儀に凄いお金がかかったという話を聞きました。

会場等の手配などは葬儀屋さんに依頼して、お坊さんは御先祖様と同じ宗派のお寺さんに頼んだそうです。
参列して下さった方がそれなりに多かったこともあり当初の予算もかなり越えたそうです。
確かに思っている以上に色々な事にお金がかかります。

思い切り簡単に言ってしまえば、本来の仏教は悟りを求めるものであり、死者の葬儀を行なうものではありませんでした。

仏式の葬儀は故人を仏弟子、つまり仏とするという儀式です。
仏とは悟った人の事で、特に信仰も無い人が故人となったからと言って急に悟って仏になるという事はありえませんが、生前は時間が無く修行しての悟りに間に合わずに故人となってしまったので慌てて仏弟子にするという儀式なのです。
なので生前に信仰していようがなかろうが葬儀を行なうと仏弟子になれるという形になっています。

つまりある意味、形骸化した儀式であるとも言えます。
更には葬儀社が絡んでいる事が多いので、どんどん形骸化してお金もかかるようになってしまったとも言えます。

もちろん遺族の気持ちとして、きちんと御供養してあげたいという気持ちも、故人や遺族が心から信仰しており普通に葬儀を行ないたいと言う気持ちもあるでしょうから、形骸化しているから不要だと一概に切り捨てる必要もないのです。
葬儀自体にではなく、葬儀を行なうという御供養の気持ちが大事なわけです。

残された遺族を思いやる故人が
「お前達が一文無しになってでも立派な葬儀をあげろ」
とは思う訳がなく出来る限りの事をすればいいだけです。
経済的な理由でどうしても無理なのであれば御供養の気持ちだけでもいいのです。

キリスト教を馬鹿にしている訳ではない事は何卒御理解頂きたいのですが、葬儀自体は仏式より安く済むことが多いので極端に言えば必ずしも仏弟子にならずクリスチャンになったっていいわけです。
カトリックでもプロテスタントでも請け負ってくれるなら(葬儀は信者のみという所もあります)そちらで葬儀を行なって頂いてもいいわけです。

更には身内だけで質素に済ませるとか、葬儀無しで火葬し埋葬してもいいわけです。信仰があってもなくても葬儀は必ずしも必要というわけではなく故人の遺志や遺族の判断で決める事です。

私の知人にも経済的理由で親の葬儀が出来なかった人がいますが毎日心から御供養し、今では経済面でも満たされて幸せに暮らしている方もおります。

そうは言っても、葬儀無しだと良く思わない親族がいるとか、近所の目が気になるとか色々理由もあり難しいと思います。
最近ネットで安く葬儀が出来るとかもあり色々な立場から批判されたりしていますが、もともとが形骸化している儀式としての葬儀だと思うと、必ずしもいけないという理由にはなりえないと思います。


信仰心すら無い人でも葬儀をしないと祟りがあるとか故人が地獄に落ちるなどと思ってしまうのは日本人に多い発想なのですが、どんなに立派な葬儀を行なったとしてもその後の御供養がおざなりであれば意味はなく、たとえ質素な葬儀であったり葬儀が出来なかったとしても故人を心から供養することこそが大切なのです。


posted by 未熟な修行者 at 00:01 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記