善意の行動なのにね

2016年04月29日

熊本地震の被災者の方々のために芸能人の方等が募金や現地での支援、ネット上で応援のコメントなどをしていらっしゃいますね。

困っている人がいれば自分に出来る範囲で手を差し伸べるのは宗教的にも当然の事ですし、人間としても間違っていないはずです。素晴らしい事だと私は思います。
それに対して売名行為だの偽善だの不謹慎だの批判する方がいるのはとても残念な事です。

自分はこのように支援した、という事をネットで公開してもいいと思います。
「出る杭は打たれる」という言葉がありますが、率先して「出る杭」にもなってくれたわけです。
それを見て「この人も支援したんだ、自分も支援しなければ」と思う人も実際にいるわけです。

仮に売名だろうが偽善だろうが実際に支援しているのであれば、苦難に直面している被災者の方々にはとても有り難い事で迷惑な事ではないと思います。
ですから被災者の方が文句を言うとはとても思えず、全く関係のない対岸の火事な立場の人だからこそ批判できるのではないかと思います。

ここぞとばかりにネット上で他者を貶めて悦に入っても、心ある人から見れば幼稚で捻くれた発言にしか見えませんし、自分自身にとっても何の実りにもならないでしょうに。

偽善にしか見えなくとも助けが必要な方にとっては心から有り難く思える一方で、良かれと思ってやった事でも全員が賞賛するわけではなく中には捻くれた心でしか物事を見れない人もいます。
打たれた杭の方は気にせず今後も頑張って欲しいと思います。


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読めない・・・

2016年04月22日

明治時代に復刻版として出され昭和の後半にも第9刷が出された、読みたい本があったのです。
もちろん仏教関係の本なのですが。

既に販売していなくて古書として探しても見つからなかったのですが、私の住んでいる地域の図書館に蔵書としてある事を発見。

喜び勇んでページを開くと、書いてあるのは梵字と漢文オンリー・・・

そ、そうですよね〜、復刻版を増刷したわけですものね〜、当時のままですよね〜、現代語訳とはどこにも書いてありませんものね〜・・・


ええ、読めませんでしたとも


posted by 未熟な修行者 at 22:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

熊本の地震

2016年04月20日

熊本や大分を震源地とする地震がありました。

そしてまだまだ余震が続いております。
悲しい事に亡くなられた方も多くいらっしゃるようです。

被災者の方々はどれだけ怖く心細いことでしょう。


私には何もできませんが

亡くなられた方々の御冥福をお祈り申し上げます。

被災者の方々が安心して過ごせる日が一日でも早く訪れますようお祈り申し上げます。


posted by 未熟な修行者 at 22:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

勤行時のちょっとした体験

2016年04月14日

夜の勤行の時なのですが何度か不思議な体験をしました。

勤行と言うのは決まった時間に行なうのがいいのですが、仕事を持っている単なる在家の修行者の身ではなかなかそういうわけにはいきません。

自宅の二階にある仕事部屋に祭壇があるのですが、その日は少し忙しくお客さんにメールを送ったりしていて普段よりも遅くなってしまったのです。

すると、祭壇の前(私の位置からは斜め後ろ)から「チーン」とおりんが鳴る音がしました。
そんな所にはおりんどころか音を立てるような物もないのですが、明らかにそこで鳴ったとハッキリ分かるのです。実際に「何だろう?」と思って見ても何もありません。

気のせいだったかと、また仕事を続けていると再び「チーン」とおりんの鳴る音がしました。
特に何か見えもせず嫌な感じもしませんが、もしかしたら何者かが私の勤行を待っているのかと思い、そこで仕事を切り上げ勤行をしました。

これまでに二度同じ事がありましたが、特に他には変わったことも無く、ただおりんの鳴る音が聞こえただけです。
ただ、勤行が終わった後には何故かいつもより心が満たされた感じがしました。
こちらはそれほど不思議な体験というわけでもないですね。


勤行中にすごく嫌な体験もあります。

こんな適当な修行者でも経本など見ずに目を閉じて諳んじる事ができる部分もあるのです。(笑)
目を瞑って観想して諳んじている最中ですが、直前までお香の香りだけだったのに突然何かが腐ったような強烈な匂いがしました。

そして背後にはとてもいやーな気配です。腰から背中にかけてゾクゾクするような感じです。
ただの適当修行者の私には後ろを見ることなんて怖くてとても出来ません。(笑)
「うわ〜」と思いながらも、ここは気づいていないフリで勤行を続けるしかありません。

勤行の中で光明真言を御唱えするのですが、そこで急に匂いが消えて気配もなくなりました。
と言っても一通り終わるまで後ろを見ることは出来ませんでしたけれど、後ろを見た時には別に何もありませんでした。
特に何かされたわけでもないですし、たいした話ではないのかも知れませんけど。


何にせよ、私程度の勤行でも何方かの供養になるのであればいいか(でも怖いのはやめてー)、と思っております。


posted by 未熟な修行者 at 00:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

イメージの力

2016年04月07日

イメージトレーニングを行なったことありますか?

多くのスポーツ選手が行なっている事は有名で、集中力向上、感情コントロール、実力発揮のため等々、様々な効果があると言います。

例えば怪談をすると変なものが集まってきてしまうとか言いますよね。
怪談をしているから集まってくると言うよりも怖がっているために人の心に負のイメージが湧きあがって雰囲気も不気味になってきますし、何か嫌なものが見えたような暗示にかかってしまう可能性があります。
もしかしたら本当に嫌なものが集まってくるのかもしれませんが実際は分かりません。

宗教での瞑想では神仏やその力や心をイメージする事で加護を得ようとするわけです。

仕事でも成功する人は常にポジティブな気持ちで進んでいきます。
逆にうまくいかない人は失敗することへの心配ばかりでネガティブな気持ちばかりです。

しかし、絶対に失敗する、ダメだ、出来ないと思っていた事でも
「あ、これ、うまくいくかもしれない」
と思った瞬間にすべてが良い方向へ進み思わぬ成功を収める事がありますが、ポジティブな気持ちに切り替わったために想像以上に良い方向へ進むのだと思います。

つまり心の持ちようです。
偽の薬でも本物と思い込むことで効くことがあるプラシーボ効果というものもあるように、ポジティブなイメージを持つと心身に良い影響が出る事が実際にあるわけです。
もちろん、イメージですからそれでもダメな時はあるのですが、ポジティブなイメージだけでメリットがあるかも知れないのですからお薦めです。

でも、人間はポジティブなイメージばかり常に持てるわけではなく、ネガティブなイメージも持ってしまうのは普通の事です。

そこでイメージトレーニングを行ないます。
別に教室に通ったりする必要はなく、自宅で落ち着いて行なえば十分です。

まずはリラックスする事なのですが慣れないとこれが実に難しいです。
腹式呼吸をすると良いと言われますが実はリラックスさえできれば何でもいいのですが、人間が自然に行なっている事が一番良く、呼吸というのはその最たるものです。

慣れない方が腹式呼吸をしようとすると、腹式呼吸をする事だけに意識が向きますので一旦余計な事を忘れることが出来ます。
目を閉じて、鼻からゆっくりと吸ってお腹を膨らませ、口からゆっくりと吐く時にお腹をへこませる、これだけを軽く意識して行なうといいでしょう。
余計な事を考えなくなると呼吸も自然になってリラックスした状態になります。
その為に腹式呼吸が薦められます。

リラックスした状態でポジティブなイメージをするわけですが、これも難しいです。
ポジティブなイメージを持とうとすると、どうしてもまずはネガティブなイメージが先にきて、それをポジティブなイメージに何とか変えていこうとしてしまいがちです。
こうなるとリラックスした状態ではなくなり呼吸も乱れています。
その場合は再び腹式呼吸だけを意識する事からやり直すといいです。

最初の内は「この仕事が成功して上司に称賛される」姿というような漠然とした感じのイメージで構いません。
気持ちが乱れなくなったら、少しづつ具体的なイメージをしていきます。
リラックス中は創造力も向上しているので実現成功するための具体的な方法なども思い浮かぶ事もあります。

慣れてくるとそれほど意識しなくてもすぐにリラックスできるようになり、ポジティブなイメージもすぐに出来るようになります。


posted by 未熟な修行者 at 22:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

信仰もいいですが当たり前のことをまず大切に

2016年04月03日

ある御家族の奥様が某宗教に夢中になって困っているとの話を聞きました。
(その宗教が何かは申しません)
御主人もその宗教を信仰していますが、仕事も忙しいのでそれほど熱心ではありません。
お子様もいますがまだ中学生なので宗教にはまったく興味はありません。

宗教団体に言われた事を頑なに守り、信者仲間を大事にし、その団体が主催する会には何をおいても参加します。
地域行事の運営にも積極的にかかわり、場合によっては深夜まで頑張っています。

そこまでであれば素晴らしいとも思えるのですが、家族の事を二の次で放っておいて、なのです。
お子様もいるのに食事も作らないのです。お金を渡しておいてコンビニの弁当を買って食べているそうです。ほぼ毎日遅くまで帰宅しないのですから当然です。
朝食は深夜帰宅する前に買ってきておいたパンを与えるだけだそうです。
他の家事は仕事から疲れて帰ってきた旦那さんかお子さんがやっているそうです。
仏壇があるそうですが、御先祖様へではなく、教義に対して供養しているそうです。
世間の一般常識よりも教義の方を大切にしているそうです。

その宗教団体から抜けた方に聞きましたが、地域行事の運営にまで積極的にかかわるのは団体から言われているのだそうです。地域での発言力を強めるために必要なのだそうです。そしてこういった貢献をしたり、新たな入信者を連れてくると団体が主催する会において信者達大勢がいる前で褒められるそうです。
団体の会報にはあらゆる他宗教を批判する事も平然と書かれているそうで、信者はそれを徹底的に刷り込まれるそうです。
改宗したくなっても脅されたりで簡単には出来ないそうです。


信仰よりもまず最初に当たり前のことを大切にすべきです。

宗教団体への貢献は団体内でよく思われたいだけではないでしょうか。
その貢献をまるで点数稼ぎのように競っていないでしょうか。
家族を大切にせず放っておく事が正しいでしょうか。
御先祖様の供養もしないで教義のみ供養する事が正しい事でしょうか。
まず世間の一般常識があった上での信仰が正しい姿ではないでしょうか。
地域での発言力を強めないとならない宗教が正しいでしょうか。
無闇に他宗教を批判し貶める事が果たして正しいでしょうか。
改宗しようとしたら脅される宗教が正しいのでしょうか。


基本的に人の信仰に口出しするつもりはございません。
前にも書きましたが、他者に迷惑をかけず世の中の(色々な意味での)規律から逸脱しないのであれば、何を信仰しても個人の自由だと思っております。

しかし、まず当たり前の事を大切にすることなく信仰だけに走っても幸せとは思えません。
幸せになれる、幸せである、と思い込んでいる、もしくは思い込まされているだけでしょう。
そんな宗教団体に入るのであれば無信仰の方がまだマシではないしょうか。

posted by 未熟な修行者 at 00:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記