どの宗教を信仰すればいいのか

2016年01月21日

特定の宗教や宗派を名指して「邪宗だ」とか「インチキ」とか「悪魔の教え」だとか声高に言う方も多くおります。

自分が信仰している宗教が一番だと思うのは当然なので、それは構わないのではないかとは思います。
ただ、他の宗教や宗派を貶めるのはどうかと思いますが。

ネットで情報も集めやすい時代ですから、逆に情報が多すぎて「何を信仰すればいいのか」迷う方もいるかと思います。

信仰はですね・・・ぶっちゃけ「好きなものでいい」と思います。
信仰に値しないと思ったのであれば他の宗教にすればいいのですし、自分に合っていると思ったもので構わないと思います。

もちろん前提はあり、他者に迷惑をかけず、世の中の(色々な意味での)規律から逸脱しない宗教ならば何を信仰しようが個人の自由だと思います。

宗教なんて信仰しない、信仰心など無い、という方も多くいらっしゃるでしょう。
それでも宜しいのではないかと思います。自分(の力)を信じるという事で「自分教」とでも言いましょうか。

家族や親族が亡くなった時にお世話になった寺社があるので、熱心では無いけども一応その宗教を信仰しているという態で・・・という事でも(信仰とは言えないかも知れませんが)構わないのだと思います。

信仰は自分の心の拠り所にするものですので、無理に信仰を持つ必要はありませんし、そもそも無理に信仰したものはとても信仰とは言えるものではありません。

私の場合は色々あって仏教の真言密教を信仰するようになっただけです。

posted by 未熟な修行者 at 23:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

ほんとにやめてほしい

2016年01月17日

私は子供の頃からですが、たま〜に変なものを見たり聞いたり感じたりする事があります。
頭がおかしいと思われるかも知れませんが事実なんだから仕方ありません。

ちなみに見たり聞いたり感じたりすることが、たま〜にあるだけで何も出来ません。
見たいものが見れるわけでもないですし、お祓いできるわけでもない。

と言うか、怖いから近付きたくありません、関わりたくないのです。

世に言う心霊スポットなども、若い頃は友達と遊び半分で行った(ごめんなさい)事もありますが、何も見えなかった事が多いですし、仮に見えたとしても見えてないフリしてます、怖いから。(笑)

もちろん今では
「近付くもんじゃないわー、面倒なだけでいい事ないし」
なんて思ってます。


私が見えると知っている人からは、変な事があるから何とかしてくれと言われる事がたまにありますが、ほんとやめてほしいです。

と言うか、他人からの相談に乗っても何か見えた事ってあまりないですし、見たい時に見えるわけでもないし、仮に見えてもたいてい何すればいいかわからないです。
何かあっても神仏に助けをお願いするくらいしかできないです。

そしてそういう相談をしても一緒に行ってくれないからと言って、写真を撮ってきて私に見せるという手法を編み出すなと言いたい。
実際にその場に行っても分からないのに写真くらいでまず分かるわけがないのだ、ということに早く気付いてくれないものだろうか。
世の中にそういう事を専門にしている方は大勢いるんだから、そっちへお願いしてほしいです。

とは言っても、ばっさり断れない事もあって大変ですが。


posted by 未熟な修行者 at 19:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

お守りは気の持ちようも大きい

2016年01月10日

初詣に行ったらお守りを授かってくる方も多いと思います。
私自身もお守りを授けて頂きます。

しかし、大半の寺社でお授け頂くお守りはそのままでは気休め程度にしかならないと思います。
最悪の場合、作った工場から納品され、そのまま「授け所」で授けているだけかも知れません。
そうではないとしても授ける方全員分の具体的で細かな祈念をいちいち出来る訳もないので、全部まとめてお祓いや読経をしているだけだと思います。

ですので絶対に効果があるとは言えません。
ただ、授けて頂いた方の気持ち次第で効果が出ることがあります。

授けて頂いた方が有り難く感じて、守って頂ける、助けて頂けると心から信じるのです。

日々守って頂いているのだという事を心から信じ、お守り(に形を変えた神仏)に対して感謝の念を持たねばなりません。
お守りを持っていなければ、もしかしたらあなたは帰宅途中に事故に遭っていたのかも知れず、お守りのおかげで事故に遭わずに無事に帰宅できたのかも知れません。
もちろんお守りが無くたって事故には遭わなかったかも知れませんが、そういうことではなく「守って頂いて今日も無事に過ごせた」くらい思い込むのです。

お守りは神仏の分身でもありますので財布やバッグに入れっ放しで存在も忘れているのでは意味がありません。
毎日取り出して拝む必要までは無いと思いますが、たまに心の中で感謝するのが良いかと思います。
信じるだけで良い方向に変わる事もあるということです。


posted by 未熟な修行者 at 00:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

どんな修行をしてるのか

2016年01月07日

どんな修行をしているのかと聞かれることもあります。

正直なことを言ってしまえば、きちんとされている修行者や僧侶の方から見れば
「修行と偉そうに言えるようなことはしていないじゃないか!」
というレベルです。(笑)

檀信徒勤行と言いまして、信仰の深い方であれば仏壇で礼拝・懴悔文・三帰などから始まって、祈願文・回向などまでを行なうのですが、大体これは欠かさず行なっております。(端折れる部分は端折る事もあったりしますが)

檀信徒勤「行」と言うのですから、これだけでも「行を修する」、つまり修行と考えております。

私の勝手な意見かも知れませんが、御仏壇に手を合わせて祖先に感謝したり、成仏をお祈りすることも「修行」と言えると思っております。

なお、一応「三密」を意識して行なうようにはしております。
「三密」については、いずれ書くかもしれません。

状況によっては必要に応じ他の修法を行なう事もあります。

posted by 未熟な修行者 at 00:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

ここからスタート

2016年01月05日

非常に未熟な在家の仏教修行者です。
もちろん在家ですので普通に仕事をしております。

基本的には真言密教系なのですが、それにとらわれるつもりはありません。

大変未熟者ですので、いくら在家とは言え仏教修行者としてあるまじきことを書くことがあるかもしれませんし、修行をサボってしまう事もあります。

その程度の者ですが、大目に見て頂けますよう御願い致します。

気張らず時間が許せば書いていこうと思います。

posted by 未熟な修行者 at 20:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記