まだお話の途中ですが

2017年12月16日

長々と訳の分からない記事を書いている途中でございますが、ちょっと別のお話を。^^;

以前にパワーストーンの腕輪念珠(要はブレスレットですね)が切れた事は無いと書いたと思います。
御返事のコメントに書いたのだったか記憶が定かではございませんが。(笑)
割と作り直す事が多いので、切れるところまでいかないのです。
ところが先日、とうとう異常な切れ方をしました。

ある客先から戻る際の電車の中です。
割と空いている時間帯だったせいか悠々と座ることが出来、まだ空席もあるくらいでした。
最近ではスマホとにらめっこしている方も多いですが、私は電車移動の際には本を読んでいる事が多いです。
その時も座って本を読んでおりました。

お年寄りや妊婦の方がいらっしゃったら席を譲るつもりですので、駅に着く度に顔を上げて乗車してきた人を見るのです。
とある駅で、顔を上げるとそこそこ多い人が乗車してきました。
人が乗車してきた瞬間に、突然グワーッと視界が狭くなり、物凄く嫌な気配を感じました。

<これはまずい、多分なにか変なのが一緒に乗ってきた>

ずっと視界が狭いままで嫌な気配はしています。
もう本を読むどころではありません。絶対に周りを見渡さない方がいいと思いました。
本を閉じて鞄にしまい、顔を伏せたままにしているのが精一杯でした。
悪いのが近づくと涙目になると以前に書いたと思いますが、何故か涙目にはなりませんでした。
どこか途中の駅でいなくなってくれないかなと思うのですが、一向に視界も戻りませんし、嫌な感覚も消えません。

ひたすら顔を伏せたままでいましたが、そうこうする内に私が下車する駅に着いてしまいました。
割と降りる人も多い駅ですので、顔は伏せたまま立ち上がると流れに身を任せて、変なものは何も見ることなく降りることが出来ました。

後はついてきていなければ問題無しです。
駅のホームを足早に歩いている内に、普通の感覚に戻りました。
それでも念の為、あちこちのお店に寄り道しながら、自宅に戻りました。
全然大丈夫です。ついてきてもいないようなので安心しました。

私は腕輪念珠は出かける時以外は仕事部屋の隅にある祭壇に置いておりますので、いつものように腕輪念珠を置こうと思って祭壇の前まで来た瞬間、いきなりパンッと弾けるように切れてしまったのです。
あんな目にあった後でしたので、かなりドキドキしました。^^;
切れてしまっただけで石自体には変わった様子はなかったのですが、ひょっとしたら守ってくれていたのかなと。

そういう事がありましたと言うお話しでした。^^;


posted by 未熟な修行者 at 00:11 | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

なぜ仏教に?(3)

2017年12月10日

続きです。

40年近く昔、やさぐれて小生意気で理解力も足らない中学生の時に救いを求めて色々な宗教に触れてみて、その時に感じた事を素直に書いています。
現在の私は他宗教他宗派の批判や否定をするつもりはまったくございません御理解下さい。
御信仰なさっている方にとっては暴言に聞こえるかも知れません。大変申し訳ありませんが、大昔の事と言う事で御理解、御容赦下さい。



聖書を読んだり教会に行ってみたりした結果、キリスト教(と言うより一神教の宗教)は私には合わないだろうなと感じたと言う記事を前回書きました。


それならば八百万の神様、つまり日本の神道が良いのではないかと。
まずは古事記や日本書紀を読んでみました。
ところがですね、本当に子供向けの童話に近いような記述のものか、完全に大人向けに書かれたもの、と言うどちらも極端なものしか見つけられませんでした。
子供向けの方は省略が多かったり、思い切ったデフォルメがされていると思われますので、なるべく正確に書いてある方(でも主要な部分以外はかなり短めに編集しているらしい)がいいだろうと言う事で大人向けの方を読んでみました。
年齢不相応な記述の物を読んでしまったためだと思いますが、中学生の私には今一つ理解できないところが多くありました。(聖書の方が分かり易かったです)

半年近くかけて年齢不相応な方を必死に読みました。
今なら多少分からない所があってもインターネットで調べればいくらでも情報が出てきたりしますが、当時は調べて分からなければ他の書籍で調べることくらいしか方法が無くて、いちいち時間がかかってしまったのでした。それでも分からない点も多く残ったままでした。
考えてみれば、神代から始まって、ある時期の天皇までの長い歴史が記述されているわけで、それを中学生が完全に理解できる筈などありません。

なので、試しに子供向けの方も読んでみたのですが予想した通りで分かり易いのは確かでしたが、理解出来なかった部分が多い所は丸ごと書かれていなかったり、かなり端折って書かれたりしていました。^^;

他の書籍も調べていたためか、余計な情報も色々と入ってくるわけです。
古事記も日本書紀も西暦700年過ぎに完成したものであり、その編纂は天皇が命じております。
つまり、当時の政治のトップにとって都合がいいように書いてある筈です。すべてが根も葉も無い虚構とまでは言いませんが、日本と言う国と天皇と言う存在の正当性を示すために虚飾も多い筈で、疑問点も当然のようにいくらでも出てくる訳です。その辺りは調べようもなく分からない事だらけです。

いくつか神社にも行ってみました。
神職の方に話を聞ければと思いましたが、基本的にはその神社の歴史、どんな御祭神かについて非常に簡潔なことは教えて頂けましたが、それ以上の説明はありませんでした。
簡潔な内容であっても短時間でもお話ししてくれた神職の方がいるのは随分とマシな方で、たいていは神職の方にも会えずに境内に立っている由緒書きの碑を見るように言われたり、パンフレットを渡されて終わりと言うのが普通です。
当たり前ですが、たかが中学生ですから大きな寄進があるわけでも無いですし、神職の方だってお忙しいわけで、長々とお話しに付き合ってくれるわけが無いのですが。
当然の事なのですが、具体的な相談などは事前の連絡をしてから親御さんと一緒に来て欲しい、と言われてしまいます。どう考えても極々当たり前の事なのですけれどね。^^;

でも、そんな事すら分からない、若くて小生意気な中学生はそれだけでもイラッとしました。(笑)
そんな対応をされればされるほど、たとえ相手が中学生だろうと救いを求めてやってきているのに、と神道自体に不信感が募っていくだけで、これは信仰するに値しないと思ったりしました。


もちろん、今は神社も大好きですよ。
特に信仰していると言う訳でもないのに助けてくれる神様がおられる神社もありますし。


まだ仏教が出てきていませんが、漸く次に出てきます。
しかし、失礼極まりない私は仏教にも反感を持つのでした。(笑)

続きます。


posted by 未熟な修行者 at 23:17 | Comment(8) | TrackBack(0) | 日記

なぜ仏教に?(2)

2017年12月06日

続きです。

前回の記事は迷走しまくりの前置きだけでかなり長くなってしまいましたが、私がなぜ仏教を信仰するようになったのか不思議に思うらしく、その経緯も聞かれる事があります。正直、私の経緯などはどうでもいい話だと思うのですが。^^;

私の場合のきっかけは、たまに見えてしまったりとかで救いを求めてと言う気持ちだったのは事実です。

見えることがあるのが嫌、でも見えるだけで何も出来ないのが嫌、見えてしまいついてこられる事があるのが嫌、体調などに悪影響が出るのが嫌、そして見えるものを他人に言えば言ったで変わり者扱いされるのが嫌、場合によっては嘘つき呼ばわりされるのが嫌、最終的には見えてしまう自分自身が嫌、もう正直やさぐれました。(笑)
と言う訳で、信仰があれば少しは救われるかと思ったわけですね。

確か中学生の時だったと思います。
(過去の話ですので、現在でも当時とまったく同じように思っていると言う訳ではありません)
その頃の私が名前だけでも知っていた宗教としてはユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、キリスト教、あとは日本の神道くらいです。

ユダヤ教はユダヤ人だけの宗教のようで、ユダヤ人ではない私が信仰しても意味が無いかと。
実際はユダヤ教を信仰する者をユダヤ人と呼ぶ事もあり、人種的な意味だけでは無い事を当時は知りませんでした。

イスラム教は日本人向けとは言い難いらしいし、当時は日本語訳のクルアーン(当時はコーランと言っていた)も見た事が無いし、そもそもアラビア語じゃないと駄目らしいですし、モスクだって近所では見た事もありません。そんな状態ですから信仰しようとしても無理でしょう。

ヒンドゥー教も同様に聖典であるヴェーダの日本語訳のものなど当時は見た事すらありませんし、ヒンドゥーの寺院も近所にありません。こちらもそんな状態ですから信仰するのは無理です。あとカースト制度が根強く残っているのが気に食わなかったと言う理由もあります。^^;

仏教は、何だか古臭い感じがするし訳が分からないと当時は思ってました。(笑)

キリスト教は日本語訳の聖書もあるし、当時は身近にクリスチャンが非常に少なかったこともあって何か格好良さそうとも思いました。(笑)

日本の神道ですが、デフォルメされていない古事記や日本書紀を見れば神様の事はなんとなく分かるだろうけども、日本神話と言う物語の域でしか捉えられないんじゃないかと言う感覚でした。


まずは聖書を読んでみました。クリスチャンの方から分けて頂いた新約聖書ですので、きちんとしたものだと思います。
私個人の当時の受け止め方というだけであり、キリスト教を否定するわけではありませんので、誤解を招くようであれば申し訳ないのですが、読んでもどうもピンとこないのです。
読み物としては面白いと思ったのですが、奇跡は起こすわ、人々の原罪を背負って磔刑されるわ、復活するわで、あっさり言ってしまえば「キリストすげえ」みたいな事が延々と書いてあると感じたのです。もちろん素晴らしい教えも色々書いてはあります。

キリストはユダヤ教を公然と否定しています。ユダヤ教はユダヤ人と神との契約の宗教であり、ユダヤ人しか救わないとなっておりますし、それ以外にも様々な儀式や戒律がありますが、それらをわざわざ否定して貶める必要までは無いんじゃないかと思いました。その結果の磔刑で、人類の罪を背負い贖うためであったとか、神の言葉が真実と言う証明でもあるとか言われたりしますが、正直他にやりようは幾らでもあったじゃないかとも思ったりしたのです。

カトリック、プロテスタントのどちらも比較的近所に教会がありましたので何度か行ってみた事もあります。
神父さんも牧師さんも親切で、私の話しもきちんと聞いて頂けて、どういう教えなのかの説明もされました。
ですが、神を心から信じて、ただ神にすがる、よく言われるように「信じれば救われる」と言う話にしか思えませんでした。それも救われるのはこの世においてではないわけです。

また、私がそこで感じてしまったのは一神教の神の傲慢さです。
神の立場からなので当たり前でしょうけど、最終的には神の御心のままに、つまり上から目線だなと。^^;
つまり、信じなきゃ救わない、無信仰ならまだマシで、別の宗教を信じるものは悪魔とまで言いながら、その一方ではキリスト教では神は人を愛している、それは無償の愛だと言います。
信者しか救わないと言うのは見返り前提であり、無償の愛などと言ったものでは無いだろうと思いました。

例え信仰しても、霊が見えたりするのは神の意志、下手をすれば心から神を信じないから、と簡単に片付けられかねないと思いました。
あと悪口までは言ってませんでしたが、カトリックとプロテスタントって歴史の授業でルターの宗教改革として習ったように、実際あまり仲良くないんだな、でした。^^;

問題なのは救いというものがこの世での話ではなく死んだ後の話であるわけで、私としては今が問題なんだよ、と思ったわけです。
それでもミサに参加したり、聖書をもっと熟読すれば、何かあるのではと思いましたが、どうもしっくりと来ず、やはり違和感を感じます。

当時は他宗教を批判する聖職者も意外と多くおりました。公然と批判しないまでも暗に仄めかすような言葉を口にする方も普通におり、これが決定的でした。
キリスト教だけでなく一神教の宗教すべてにおいて感じる事なのですが、自分の信じる神は絶対的正義で、信じない者は悪という感覚、これがどうにも私には受け入れられませんでした。
この事を超極端な解釈にしてしまえば、悪は殺しても滅ぼしても構わず、それは罪になるどころか寧ろ神はその行為を祝福する、という思考にまで簡単に陥ってしまわないとは言えません。
もちろん、多くの宗教では殺人や争いを戒めていると思いますが、それすらも超えた神の意志と言い張ってしまえば、指導する立場にある者なら悪用しやすいわけです。
そんな極論は自身の宗教では説いていないと言うでしょうし原則的にはその通りなのでしょうが、現に宗教の絡んだ戦争や事件など歴史に多くの汚名を残しているという事実があるのです。

現世で救いが欲しいと言う超現実的な希望があったわけではありますが、そういう極端な解釈が可能なもので他者の思想を寛容に受け入れることは無いと言うところに違和感があったのです。

その当時から私自身は、人それぞれ考えが違うのは当たり前であり、それを一々区別して考えるのはバカらしい、と思っていたのですが、他者の思想を受け入れないような思想は私自身も受け入れたくない、と言うある意味でジレンマとも言える状態に陥って訳の分からない状況になりました。この説明分かりますかね。^^;
そういう訳で私が求めるものとは程遠く、キリスト教を素直に信じる気にはなれないと当時は思ったのでした。


心から信仰されている方にとっては暴言にしか見えないと思います。
40年近く昔、やさぐれて小生意気で理解力も足らない中学生の時に感じた事です。御容赦下さい。大変申し訳ございません。

現在ではキリスト教(に限らずですが)は、その教え自体は私の信仰とは違うからと言っても人様に迷惑をかけないのであれば何を信仰するのも自由と思っており、否定も批判もするつもりはありませんし、そのような立場にもありません。私の友人にも信者がおります。
何より、大半のキリスト教の信者の皆様がそうであるように教えに従って真面目に正しく生き、博愛的で他者にも優しい方が非常に多くいらっしゃることを存じておりますし、大変素晴らしい生き方だと思っております。


脱線&長文で未だ仏教の話が出てきておりませんね。(笑)
続きます。


posted by 未熟な修行者 at 00:00 | Comment(12) | TrackBack(0) | 日記